第7話

討伐の準備で慌ただしそうな城内を歩いていて、私は多くの人が出入りする部屋を見つけて覗いてみる事にした。


すると、机に向かって何かを書いている人が集まっていた。皆、近寄りがたいくらいに真剣な顔つきだ。


「あの、──ここは何をしている部屋なの?」


「お、奥様!」


辺境伯家については無関心を貫いていたアリューシャが関心を持つだなんて、よほど驚かせてしまったみたいだけど……。


「皆ペンを持っているわね。何を書いているの?今度の討伐でグルーが家を空けるから?」


辺境伯家の執務についての割り振りかと思ったのだけれど、対応してくれた者はやんわりと違う事を答えてくれた。


「奥様、当たらずとも遠からずでしょうか。これは執務とは違うのですが……戦に使う守護用の護符と、罠を仕掛ける為の呪符を書ける者が総出で書いております」


「護符と、呪符……」


「はい、世界でも我が国、いいえ、この辺境伯家にのみ伝わる文字で書かれた特別なものです」


「……それは、私にも書けるかしら?」


「え?あの、奥様?」


「いえ、そのっ、……グルーの持つものは私が書こうかと思っただけだけれど……こんな素人では役立たずよね」


出しゃばったようで、恥ずかしさに顔が熱くなる。説明してくれた者も、ぽかんとしているし。


「やっぱり、こういうのは書ける力を持つものが書いてこそよね、失礼したわ」


「──奥様!お待ち下さい。お教え致しますので、ぜひ旦那様の分を書いて頂けますか?」


「でも、忙しそうにしているわ。私に手間をかけては、迷惑に……」


「いえいえ、奥様が手ずからお書きになられた護符と呪符を持てば、旦那様は無敵でしょう。ぜひお力をお貸し下さい」


「……本当に良いの?」


「はい、もちろんです。僭越ながら私がお教え致しましょう」


素人の書いたものでは、単なる紙でしかないかもしれないのに……それでも、グルーの役に立てると言ってくれる。


「ありがとう。お願いするわ」


こうして、私は室内に入って護符と呪符に使われる文字について教えてもらえた。


見た事もない文字だから当然読めない。読めない文字は見よう見まねで書くから、難しくて時間がかかる。


私は参考にする書物を借りて、自室でも夜更かしして書き続けた。


それから、グルーが出立する前夜──。


「……書き上がった……」


少し不格好な文字の護符と呪符が仕上がった。


こんな事、グルーの為に頑張ってみている私は何を考えているのだろう?


だけど、王都でのドレスのお礼もしたいし、グルーはアリューシャ──私に優しいし。


その感謝も込めて、なのだから。


「……気疲れしたわ……今夜は寝よう」


薄い寝間着姿で机に向かっていたから、体も冷えているし。


私は温かいベッドに誘われるように潜り込んだ。


──だから、気づかなかった。


机に置いた護符と呪符が、一瞬だけ、ちかっと光を放った事に。


そのまま深い眠りに就いて、日の出までぐっすりと良く寝て、久しぶりに清々しい目覚めを得た。体も軽い。


表では出立の準備が整っているらしい。男の人の声がしきりに行き交っているのが聞こえる。


その中にはグルーもいるのだろうか。私はエミリーを呼んで、急いで身支度を整えて外に向かった。


案の定、グルーもいる。


「妻に、行ってくると挨拶もなしに戦いへ赴くのですか?」


「アリューシャ……こんな朝早くから、どうして出て来たんだ?」


「グルーが私に無言で行こうとしているからです」


「それは……すまなかった」


「いえ……あの、これを渡したいんです」


私は手にしていた二枚の紙を差し出した。


「──これは、護符と呪符か?」


「はい。……私みたいな無力な者が書いた代物ですけど……持って行って下さい」


押しつけるように手渡すと、グルーは信じられないと言いたげな目つきで手にしたものを見つめている。何だか居心地が悪いというか、落ち着かない気持ちだ。


「──それでは、行ってらっしゃいませ」


「──アリューシャ」


耐えかねて背を向けると、グルーが声をかけてきた。


「ありがとう、これは最強の護りになるだろうな」


「……大袈裟です……」


グルーはずるい、そう思った。だって、こんなに嬉しそうに笑ってみせるなんて。


「じゃあ、行ってくるよ。最速で賊を倒して首領格の首を持ち帰る」


「……はい、お気をつけて」


グルーが身軽な動作で馬に乗る。


「我が妻の守護があるぞ、必ず目的は達成される!いいな!」


「──はい!」


グルーと私のやり取りを見ていた人達も盛り上がって声を上げた。


「行くぞ!」


掛け声と共に蹄の音を響かせて、グルーと彼らの姿は見る見るうちに小さくなった。


「──奥様、そろそろ中に戻りませんと……」


「え、ええ。そうするわ」


渡すものは渡せたし、これで良いのよね?


力になれるかは疑問だけれど、グルーは喜んでくれていた。


それでいい。そう自分を納得させながら自室に戻る私とは裏腹に、グルーはこの日の野営で悩ましげに溜め息をもらしていた。


「……最近、おかしいんだ……」


「……何か、お体の具合でも悪いのですか?」


「いや、俺は健康だ。そんな事より、アリューシャの事は元より美しいと思っていたが、最近は可愛すぎるように見えてしまうし、正直に言えば抱きしめたいし口づけたい」


「はあ……」


「だが、そんな事をしてしまえば、理性を保てなくなるという確信があるから、怖くて触れられないんだよ……」


がっくりとうなだれたグルーに、聞かされていた部下は容赦なかった。


「正直に打ち明けて下さった旦那様に応えて正直に申し上げますと……」


「何だ?」


「飢えた馬でも食いつかない惚気け話でございますね」


「……お前には、これが惚気けに聞こえるのか……生殺し状態なんだぞ?」


「聞こえますので、どうぞ悶えていて下さい」


「大概ひどい部下だな……」


「戦場で雄々しく戦って下されば、あとは旦那様のご自由にしていてよろしいですよ?」


「……分かってるよ、アリューシャに耳汚しな話なんて持ち帰れるか」


グルーは散々に言われてから、気持ちを切り替えて馬を走らせ、賊の痕跡を見つけた。


気配を絶って、手筈通りに作戦を進めてゆく。


「旦那様、呪符で退路を断ちました。合図で総攻撃に入ります」


「よし、相手はまだ気づいてないな?」


「はい、呑気に酒をあおっています」


「数は?」


「ざっと見て、五十くらいかと」


「よし、精鋭を集めた小規模な軍勢で正解だったな。──行くぞ」


「はい!」


そこから一気に襲いかかる。気分良く酔っていた賊達は奇襲を受けて、無様に倒される者もいれば、これも覚悟のうちと武器を構えて応戦する者もいた。


けれど、辺境伯の部隊は歴戦の猛者が揃っている。退路も塞いでいる事から、個々が戦いに集中し、圧倒的な力をふるって制圧してゆく。


とうとう賊の首領格は、敗北を前にして我が身可愛さで手下を見捨てて、単身で逃走を図った。


「──お前達は残党を根絶やしにしろ、あいつは俺が追う!」


グルーが命じて、ここからは馬に乗っているより足で追った方が小回りが効くと判断した。


「必ず遂行してみせるからな。──アリューシャ、お前からの護りを無駄にはしない」


そう呟き、呪符を手にして目を光らせていると、一陣の風が吹いて手から呪符が離れて風に乗った。


「待て、お前は大事な……」


手を伸ばして掴もうとするものの、呪符は不思議な動きで宙を舞って木立へと向かう。


──おかしい。まるで風が呪符を操っているかのようだ。


そう感じながらも、グルーは呪符を追いかけた。


「──よっ、と……もう離さないぞ」


やっと捕まえた。そう安堵した瞬間、木陰に人が見えた。


相手は走り出そうとする。明らかに──逃げようとしている。


咄嗟に追って腕を掴み、こちらを振り向かせた。


そして相対するのは、まさに今回狙っていた男だった。


「……よお、オリガー。会いたかったぞ。よくも再三国境を荒らしてくれたな」


「ひっ……!」


「お前の手下は全滅だ。奴らの地獄行きには相応の手土産が必要だろう?」


笑いを浮かべて凄むと、オリガーは身の程も弁えずに足掻き始めた。


それが更に殺気を高めるとも知らずに。


「頼む、命だけは助けてくれ。何なら奪ってきた品物を差し出すからよ。──これなんてどうだ?王都で悪女と名高いアリューシャ・ダンテモレの宝飾品だぞ!贅沢三昧してただけあって一級品だ!」


「アリューシャ・ダンテモレ?あいにくだな、アリューシャはもうアリューシャ・ハイラアットであり、俺の妻だ」


「は?あんたの、何だ?」


「侯爵家が王都から夜逃げを図った事は耳にしていたがな、アリューシャのルーツを穢したお前には地獄に堕ちてもらう」


「ま、待て──がっ……!」


「命で詫びろ、下衆が」


「旦那様……奥様が着けてらした宝飾品という事は、奥様のご家族は賊に……」


「……あいつには聞かせられないな」


駆け寄ってきた部下が言いにくそうに言葉を途切らせると、グルーは苦い顔をして、こみ上げる憤りに耐えた。


──おそらく、アリューシャの家族の亡骸は打ち捨てられて獣に食い荒らされているだろう。墓を立てて弔う事すら叶わない。


「この事は他言無用だ。──頼む」


「……はい」


「賊は一人残らず始末したな。こいつらは悪逆非道な罪人として晒し首にする。持ち帰り、討伐は無事完了させた事を報告する」


「かしこまりました、旦那様」


グルーは見えない骸に向かって短く祈りを捧げてから身を翻した。


その頃の私は、辺境伯家の城で何も知らないまま留守を預かっていた。


グルーという守りのない城で。

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