第6話

──そうして、辺境伯家で新しい生活に馴染もうと努めている中で。


「──何かね、グルーの役に立ちたいと思うのよ」


私は辺境伯家に仕えている執事長のウァジリーに、こう相談していた。


すると、意外な返事が返ってきた。


「奥様、奥様の持参金にも巨額の価値がございます。辺境伯領が十分に潤うのですよ」


「巨額の価値……?」


傾いた侯爵家に、そんな値打ちのあるものが出せるわけがない。しかも私は売られた身だ。


「──何の話をしてるんだ?」


そこに、折りよくグルーが入ってきた。


「グルー、あなたは私の持参金を納得した上で受け取られたのですか?」


「もちろんだ。トリーティ山こそアリューシャの持参金として相応しいと思ったからな」


トリーティ山。侯爵家の避暑地で、夏をすごす別荘がある場所だ。


嫁入りの際に婚姻の作法に則って、持参金として辺境伯へ贈られたのが、この山だけとは。


「侯爵家からは、娘に持たせる持参金は用意出来かねる為、代わりに領地の一部をと打診されていた」


娘が嫁ぎ先で恥をかく事くらい分かりきっていただろうに、それでも持参金を持たせられない程、侯爵家は困窮しきっていたのね……。


「俺は領地を見て巡り、農地の改良点を侯爵家に伝えたのち、トリーティ山を持参金にと申し出る事にした」


ゲームのシナリオ通りなら、せっかく改良点を教われたとしても、あの家は活かせる事なく没落する。──でも、今はそれよりもグルーがトリーティ山を望んだ事実よ。


何しろその山は、アリューシャが幼い頃に川遊びで砂金を見つけた山でもあるから。


そこには恐らく──推察が正しければ、金鉱脈があるのだろう。巨額の価値とは、つまりそういう事だ。


麦や家畜といった農作物がとれる土地や、侯爵家に残された宝飾品などより、よほど旨みがある。


それを察して、心が冷えてゆくのを感じた。


「没落し、後ろ指をさされる貴族の娘を娶るとは、物好きもいたものだと思いましたが……一枚岩ではなかったようですね」


「待て、何か誤解があるようだが──」


「誤解とは?私に持参金として金鉱脈を持たせられれば、辺境伯家は莫大な富を得ますよね。こんな悪評高い私でも、得られるものが大きければ目を瞑れるものでしょう?」


「それは間違ってる。俺はお前の親からの説明では、トリーティ山について「侯爵家の避暑地があり、アリューシャが己の身分も弁えず、泥混じりの川で川遊びなどとはしたない事に興じた場所だ」としか聞かされていないし、避暑地の別荘は素晴らしかったが、川底に砂金があるだなんて初耳だ」


グルーが慌てながら早口で弁明する。でも、この程度では疑いが晴れるものではない。距離を置いて聞いているウァジリーはすっかり困り果てているけれど、気にかける余地もない。


「では、金鉱脈があるかもしれない事は、どうやってお知りになったのですか?」


「先祖代々、山で暮らす民がいてな。言い伝えがあった──神の黄金が眠り、その為に山は神から守られていると。単なる言い伝えかと思っていたが」


「後から言い伝えで知ったのですか?グルーは予め金鉱脈を知っていたわけではない、と?ならばなぜ、あのような山ひとつだけをお求めになられたのです?」


冷ややかに問いただすと、何かに観念したようにグルーが告白した。


「……アリューシャ、お前の思い出がある場所だからだ」


「思い出……?」


「ああ。幼いお前が無邪気に川遊びした、特別な地だ。そこだけは誰にも壊させたくなかったし、誰にも売り払われたくなかった」


「……そんな、私の子供時代の出来事一つで?」


「そんな、じゃない。お前が自分らしくいられた過去は、かけがえないものだろう」


グルーが言い切って私を真っ直ぐ見つめる。私は返す言葉もなく固まってしまい、ただグルーを見つめた。


無言のまま見つめ合い、置時計の秒針が時を刻む音が響く。


「……アリューシャ、俺は……」


沈黙を経てグルーが口を開いた、その時。


「──旦那様、火急の報せがございます」


ドアがノックされて、誰かの張り詰めた声が飛び込んできた。グルーは大きく息を吐き出してから「入れ」と応えた。


入室したのは、辺境伯家の伝令係だった。私が居合わせているからか、グルーに小声で要件を伝える。


グルーは彼に「速やかに動けるよう準備を」と命じて、私にも話してくれた。


「盗賊が国境に拠点を置いて、出入国する者に略奪を行なっているらしい。──辺境伯の軍勢で討伐に出る事になる」


「討伐まで任されておられるのですか?」


「ああ。その盗賊を率いるオリガーという男が厄介でな、自分は表立った動きはせず、手下を働かせておきながら、いざとなれば手下を捨てて、略奪品の中でも高価な物だけを選んで持ち逃げする」


「それでは、彼の手下というのは捨て駒にされてしまっているではありませんか……」


「ああ、冷酷非情な男でな。人の命を平気で切り捨てる。──だが、いい加減あの男にも終わりを見せなくては」


「──グルーは先陣で戦うのですか?」


「俺は軍勢に責任を持たなければならないからな」


「そう、ですか……」


「アリューシャ、お前は部屋に戻って休め。もう寝る時間だ」


「……はい……」


グルーにこう言われると、子供が大人に言われたように頷いてしまう。


それでも、間もなくグルーは戦いに出るのだと思うと、良い子で寝ている気にはならない。


私は部屋から厨房に向かい、「お、奥様がなぜこのような場にお越しに?」と驚きうろたえる使用人達に事情を話して、厨房を使わせてもらった。


そして、作ったものを運んでグルーが仕事をしている執務室へ行き、声をかける。


「──グルー、今少し良いですか?召し上がって頂きたい飲み物を持ってきました」


「構わないが……アリューシャ、夜も遅いぞ?眠れないのか?」


「私ならば平気です。未熟とはいえ、そこまで幼くもありませんから。──どうぞ」


「ありがとう。……これはミルクティーか?変わった香りだな」


「はい、あの、異国風にスパイスを加えたミルクティーで……スパイスは心の負担を軽くしたり、意欲を出せるようにしたり、腸の働きを整える作用があって、ミルクの持つ作用と相性がとても良いのです」


「なるほど。──これを、アリューシャが俺の為に?」


「そ、そうですけど……出過ぎた真似でしたか?」


「いや、そうじゃない。意外過ぎて驚いただけで……本当に嬉しいよ。ありがとう」


グルーが柔らかい笑顔になる。喜びを噛みしめて味わっているように見えて、照れくさくなってしまった。


「あ……そうです、差し出がましいかと思いましたが、お酒の酔い醒ましにも良いものもご用意しましたので、お持ちになって下さい。戦地では、いつどんな戦いの危険があるか分からないのでしょう?」


「……これらは?」


「お湯に溶けばジンジャーティーになるものと、あとはレモンを蜂蜜に漬けたもので、この蜂蜜レモンも水かお湯に加えてお飲み下さるか、レモンをお召上がり下さい」


「……これも、アリューシャが用意したのか?」


「そうです、けど……」


「これも、俺の為を思って?」


グルーへの自分の気持ちは、明確な形に定まってはいない。だから訊かれても返答に困るものの、芽生えてきた心には素直になりたい。


グルーは、生きていて欲しい人。一緒にいる事が、少しずつ嬉しさを感じさせてくれるようになった人。


「それは……妻ですから……」


「そうか、妻か。……なら、あまり妻を待たせないで帰還しなくてはいけないな」


「っ……、そうですよ、心配させないで下さいね」


「ああ。──約束する」


グルーの一言は力強くて、瞳にも力がこもっていた。


「じゃあ、お前からの心遣いはありがたく頂いておくからな、これ以上の夜更かしは駄目だぞ?」


「はい、おやすみなさい」


今度こそ私は言われた通りにベッドで休んだ。


その明くる日から、城内は戦闘に向けて皆が自分のやるべき仕事に励み、その活気が私の心をざわめかせた。

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