参考記録③ (作成時期不明)

《とある学級通信》


 皆さんにとって、神様とはいったいどんな存在ですか?


 困ったときにだけ頼るものですか? 

 人生における正しき指針ですか? 

 それともただの偶像に過ぎませんか?


 そんなこと、考えたこともないという人も中にはいるでしょう。


 というわけで。

 今日は民俗学における、神様の話をしようと思います。日本の宗教といえば、神道でしょう。あまり聞き馴染みがないと思う人が大半だと思います。神道はキリスト教や仏教とは違い、開祖も教典もありません。それどころか、信仰の対象である神様の定義すら曖昧なのです。八百万(やおよろず)の神々、という言葉があるように、日本の神様の種類は多岐にわたります。


 しかし、ここで勘違いされがちなのが、『日本の神様はだいたい八百万人くらいいる』という考え方です。その名の通りじゃないの? と、思う方もいるでしょうが、実はそうではありません。

 正しくは、『あなたが神様だと思うものを勝手に神様にしていいよ』という考え方が本当の神道です。

 

 太陽や月、山や海などの天体や地形、蛇や狐などの動物を神格化したもの。

 屋敷神や氏神、産土神などの社会集団を守る神。

 疫病神や田の神、竈神など、生活を守護する神。

 生前業績があった人物を没後に神として祀る風習。

 逆に、国家に反逆し戦乱を起こした人物、不遇な晩年を過ごし死後怨霊となった人物を神として祀ることも。


 このように、各地で数えきれないほどの神様が人の手によって生み出され、今にいたるまでその形を繋いでいます。そしてここで重要なのが、自然現象が恵みとともに災害をもたらすのと同様に、神も人間にとって、善悪双方をもたらすものと考えられている、という点にあります。


 神は、人間に恵みをもたらす「守護神」でもあるが、ときにそれは天変地異を引き起こし、病や死を招き寄せる「祟り神」でもあるということ。


 太陽神アマテラスで例えると、日の光で地上に活気を与えてくれる反面、日照りという災害を引き起こす恐ろしい力を併せ持っている、ということになりますね。このように古来から日本の人々は、感謝と敬意、そしてなによりも畏(おそ)れをもって神を崇めてきました。仏様やイエスキリストに、恐怖を抱く信徒がいるでしょうか? いるわけがありませんね。

 この二面性こそが、他の宗教にはない日本の神々の特徴なんです。

 

 最後に、それを象徴する話をして終わりたいと思います。深夜のテレビ番組で、とある霊能力者の男に、心霊写真が本物かどうか判定してもらおうという企画がありました。撮影が始まると、その霊能力者は流れ作業のように真偽の定かではない心霊写真をさばいていきましたが、突然、ぴたりとその手が止まる一枚がありました。


 ついに本物か、と喜んで尋ねるディレクターに、男は、ゆっくりと首を振ってこう答えました。


「ここには、写ってはいけない神様が写っている」


 続けて彼はこうも語りました。


「今すぐこれを神社に持っていって祀らなければ、ひどくがおきる」


 神様を、決して見てはならない。

 触ってはならない。

 気づいてはならない。


 人はただ神を、畏敬の念を持って崇め祀らねばならないのです。

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