記録①『階段男』についての取材 (2023年9月6日)

《とある野球部員N》


 初めに言っとくけど、俺は幽霊なんて信じへん。だからこれから言うことは……たぶん、夢の話や。つい最近見た、ちょっとした悪夢なんや。

 

 あの日は、ちょうど部活が終わったころやった。あと、もう秋になりかけやったから、ちょっと寒かった。


 ほんで、ええと……。


 あいつが、Tが教室に忘れもんして、取りに行く言うから、わざわざ職員室に鍵借りに行ったんや。Tとは帰り道も一緒やったしな。そそっかしい奴やったし、しゃあないからついて行った。

 三階目指してな、俺はぺらぺら喋りながら、ゆっくり階段上ってた。そんで、一階から二階に着いたときのことや。


 なんや、妙に静かやな、と思った。


 放課後やから生徒がおらんのはわかんねんけど、それとはまた違う……。なんていうか、誰かがこっそり俺らを見とるような、ざわざわした静けさやってん。

 ほんで俺とTは気味悪うなって、二段飛ばしで階段駆け上がろうとした。


 でもやっぱりなんか変やった。


 どんだけ上っても上っても、上の階につかへんねん。やっと三階に着いたと思ったら、まだ階段途中の曲がり場だったみたいな……。ゴール前やのに、延々とゴールテープが遠ざかっていくみたいな、そんな感じ。

 でも、何よりもおかしいんは、自分自身やった。

 たった一階分上るんに、そない時間かかるはずないのに。そんなん、ちょっと考えればすぐわかるはずやのに。

 まだ大丈夫、まだ大丈夫、って自分に言い聞かせるみたいに普通のふりをしとった。たぶん、怖くて頭が麻痺しとったんや。…いや、自分の身に起きてること、認めたくなかっただけかもしれん。


 自分たちが、すでに恐ろしい何かに巻き込まれてることを自覚したときには、俺とTは疲れ果てとった。二人で顔見合わせて、なんかこういうシーンのある漫画あったよな、なんて震える声で軽口叩いて。


 でも、その頃にはもう、頭ん中、あれのことでいっぱいやった。


 え? あれが何かって? 

 ……そんなん決まっとるがな。



 階段男、や。



 もう俺は薄々勘づいとった。ただの噂や思ってたけど、あれはほんまやったんやって。

 このままやあかん。俺はTとどうにかして、この無限に続く階段から逃れなあかんと思った。どうにかせな、早よどうにかせな、って頭がぐるぐるになっとったときや。


 とす、とす、ってな。

 

 ずうっと下の方の階から、ちっちゃな足音が聞こえた。


 ああ、やっぱ来た。とうとう来てもうた。

 自分の背筋から首根っこまでが、ほんまに震えてるみたいに、ぞわぁってなった。

 

 俺とTは弾かれたみたいに、夢中で階段を駆け上った。

 お互い話す余裕もなかった。


 覚えてるんは、荒い呼吸。じくじくする、肺の痛み。どくんどくん言うてる、心臓の叫び声。二人分の、ばたばた階段上る音。延々と続く、灰色の階段。


 ほんで遠くのほうから確かに聞こえる、あの足音。なんとなく、どんどんその足音が速くなってる気がした。

 いや、なんとなく、じゃない。どんどんどんどん、その足音は下から近づいてきた。


 俺はもう限界やった。スリッパはとっくのとうに脱ぎ捨てた。足が鉛みたいに重くなって、頭もがんがん鳴ってた。

 そっからや。俺とTの距離が開き始めたんは。一段、また一段とTは俺の先を行きおった。


 このままやとあかん。俺だけ、俺だけ階段男に連れていかれる! 

 って思って、俺は必死に叫んだ。


 待ってくれ、置いて行かんといてくれ、ってな。


 出たのは叫び声じゃなくて、かすれた呻き声やった。けど、Tも俺が何を言いたいかは分かっとったはずや。


 ……Tは止まらんかった。足を緩めたりもせんかった。


 俺は涙で足元が見えんくなってた。後ろからはもう、振り向けばそこにいるんかって思うくらい近くから、足音がした。


 ああ、終わりや。もうあかん。ここまでや。

 俺はそう思った。


 ……けどな。


 神様は、性格悪いんや。


 あ、って誰かの小さい声が聞こえたかと思ったらな。

 俺より先に行ってたはずのTが、落っこちてきた。


 ……俺もあいつも靴下やったから、きっと足滑らしたんやろうな。まるでスローモーションやった。ふわふわ浮いてるTが、俺の真横を背中から落ちてった。


 あいつは……。Tは、最後まで何が起こったかわからん、って顔してた。

 そのまま俺のほうをじっと、見つめたまま。

 ただ、落ちてった。


 俺は上った。……あいつを置き去りにして。


 後ろから来る足音はもう、聞こえんかった。


 その後のことは、よう覚えてない。


 目が覚めたら病院のベッドやった。俺は、学校の三階の廊下でぶっ倒れとったらしい。そこにTはおらんかったとも、言ってた。

 だからな。あれは俺が季節外れの熱中症にかかってただけや。その間に見た、悪い夢や。そうに決まっとる。

 なんでか教えたろか?



 Tはな、生きとったんや。



 俺が退院して学校行ったら、何食わぬ顔で授業受けてたわ。な? 言ったろ?

 怪談なんて嘘っぱちや。あんなんただの悪夢なんやから。


 で、この話は終わり。なんやオチがつかんくて悪いな。でも、正真正銘ほんまの夢の話や。

 

 じゃ、俺はこれで。もう部活に行かなあかんから。


 ……。


 なに? 最後に一つだけ聞かせてほしい?


『事件後のTは、俺の知ってるTとおんなじか』って?


 なに寝ぼけたこと言うてんねん。あいつは今日もぴんぴんしてるで。


 …………。


 でも。

 ああいや、なんか最近ちょっと変やな、と思うことは、ない……こともない、みたいな……。笑うとき上を向く仕草とか、居眠りするときにゆらゆらする癖とか。それに、昔から靴の踵だけは絶対踏まなかったのに、こないだは……。


 周りの奴らは、誰も気づいてない。俺だけや。あいつのほんのちょっとした変わり目に気づけるんは。まるで……知らん誰かが、Tのふりをしてるみたいや。

 そんなことが、有り得るわけがないのに。


 信じたくない。……信じられるわけがない‼


 やってそんなん、あいつがほんまに、階段男に連れていかれてしまったみたいやないか‼ もし、もしほんまにあいつがそうやったとしたら、それは俺のせいか⁉


 俺のせいじゃない!

 あいつが勝手に落っこちたんや‼

 おれは、悪くない……!


 なあ。


 あんたやったら、どうしてた?

 それは自分のせいじゃないってさぁ。


 あんたやって、そう思うやろ?




(取材記録はここで終わっている)









 ※備考  階段男に関連する口頭での伝承


【夕暮れ階段上るとき

 終わりなくなり迷うとき


 階段男がやってくる

 足音響かせやってくる


 逃げねば逃げよ、早くせよ

 階段男に捕まれば


 たちまち心を失って、

 遥か彼岸に攫われる】

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