第29話エストリエの封印

『ハイドレンジアァァ…』

悪魔はギリギリと首を捻って後ろに立つ神様を睨んだ。

『100年ぶりじゃないか、エストリエ。魔界で大人しくしてればいいのに。帰ったら魔王に魂ごと消されちゃうんじゃない?大丈夫?』

『うるさいよ、離せ!なんでお前…誰の身体を借りたんだよお!!』

『ふふふ。私への信仰心なんて、みーんな薄いからさ、器を探すの大変だったんだけどね。丁度いいのがいたんだあ。私と同じくらいキャンベルのことが大好きだったんだよ!おかげでこの国から離れることになっちゃったけどね』


エストリエは、ジタバタともがくけれど、地に足がつかないまま頭を片手で持ち上げられている。

『お互い物質化してるから随分と楽に捕まえられて助かるなあ』

神様の割には何だかとても悪どい言い方である。

エストリエはキィキィと哭いた。

『くそぉおっ!意識がセイレンに換えられない!!!やめろよ!離せよお!!』

『引っ込んだら封印できないもんね。力づくでも意識交換させない』

ハイドレンジア様は私の方を爽やかな笑顔で見た。

こくりと頷く。

『さあ、』と言った神様の瞳は怖いほど金色に輝いている。

『自分の名前を叫んでごらん』

『だ、誰が言うものかっ!』


私は聖女記にあった通り、床にぺたりと手のひらを当てた。

床に、聖女の印が光の刻印として広がっていく。それが目を開けていられないほどの閃光を放った。

「…魔王、その耳を傾けよ。私はハイネット王国の聖女キャンベル・ノイージア。魔界より悪魔がこの地に来たりて古の契約にて定められし領域を侵している」


一瞬、間があってから、ズン!と地が揺れた。

地鳴りのような声が響く。


-キャンベル・ノイージア…名前は覚えたぞ。嘘をつくな-

「魔王…」


-気安く呼ぶな-


なんという威圧感。地に触れている手を離してしまいそうになる。

「偽りではありません。ここに悪魔を捕らえています」

-ほう?ならば、その名を問う。そこにいるという悪魔は、誰だ-

「その名を、エストリエという悪魔です」


少しの間静寂が流れる。

-…もしも偽りならば、聖女よ、その身をも魔界に堕ちることになるぞ-

「誠です。偽りなど申しておりません」

-ならば悪魔よ、自らの名を叫べ-


聖女の印の上にエストリエが捧げられる。

『ほら、言えよ』

『冗談じゃないね……』

『まあ、そうだよね。でも、これはどうかな?』

ハイドレンジア様は、エストリエと目を合わせた。

悪魔は瞬きをすることが許されず、眼を逸らせることも許されないらしい。

金色の瞳が輝く。

『ギャアアアア!!!!』

エストリエの眼は炎を発し、血の涙が流れた。

それでも眼を閉じることは叶わない。

もがき、じたじたと足をバタつかせるだけだ。

『どうする?魔王に魂を喰われた方がマシなんじゃないか?選びなよ、このまま聖なる光で死ぬことすら許されず永遠に焼かれ続けるか、魔界で楽に死ぬか』

『ひっ……ギャアアアア!!!!!』

『頭の中が掻き回される感じ、嫌でしょう?』

ハイドレンジア様は、にこにこと笑顔で語りかけている。

私は誰よりも一番この神様が恐ろしいと感じていた。


『くっ…エストリエ……ぐっギャアアアア!!!!!』

『うん?聞こえないよ、もっと大きな声で言わないと、魔王は最近耳が遠いんだから』

『エストリエ!!!!!エストリエ!!!!!!!』


ハイドレンジア様は掴んでいた悪魔の頭をパッと離した。

瞬間、聖女の印からぬるっと巨大な手が伸びて、めちゃくちゃに悪魔を掴むと、ズプンと沈んでいった。


『ギャアアアアァァァァ………』


-迷惑をかけた-

『ちゃんと管理してよね』

-ハイドレンジアか、一国の神が調子に乗るなよ-

『はいはい』

神様は、手をひらひらとさせた。


-それから、耳が遠いと言うのは余計だ-

『あ、聞こえてた?ごめんね』


ふっと力が抜ける。

それをハイドレンジア様が抱き止め、私の上部を通り越して魂だけを掬い上げた。

「え?」

私の抜け殻のようなものが見える。

ハイドレンジア様はルイドからスルッと抜けて、私を持ち上げたままぐんぐん上昇した。

私は私の肉体へと手を伸ばしたけれど、上昇のスピードが早すぎて、もうとっくに神殿すら小さく見えなくなっていた。

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