四 時間B 王都

4 関越えてまずは商館そして商人 (1)

「ここは天使の都です」

 役人の男は筆を置いたあと、流暢なエイ語で言う。提出した通称“勇者旅券”が返却される。続いてテャム国内の往来手形が渡された。

「僧には敬意を払うこと。王室には、最大限の敬意を払うこと」


 拍子抜けするほどあっさりと、入国関所の通過が決まった。手荷物検めの際に、持参した丸薬がアヘンではないことを説明したのみだ。ヤマタ出国時に厳しい荷検めがあったから、その上さらなる精査は必要ないのだろう。


 おもな荷物は振り分けにした革袋二つと棍棒に短刀。棍棒は腰元の帯に差し、短刀は下げ緒で懐中にある。武具は特に調べられなかった。


 往来手形にはクルクルと丸まったテャムの文字で、名前、年齢、出身国、読み書きできる言語、宗教そして人相が書き込まれているはずだ。春次郎、十八歳、ヤマタ、ヤマタ語・ラン語・エイ語、(一応)仏教徒、黒い総髪で背丈や肌の色は云々、といったところか。


 会社が出版する“Lange Plank”(ヤマタでは冒険の手引書、単に“手引書”と呼ばれる)のテャム王国版には何度も目を通した。世界共通の勇者の規約などとともに、その国独自の規約と法律に加え、歴史や文化に風習、主要な町などの簡単な紹介と会話例が記されている。


 入国前にそれを読んでおくか、字の読めない者は社員から講義を受ける。もっとも、字の読めない勇者はほとんど異国へ出ない。そうして規約や法律を順守することを前提に往来手形を申請する。


 郷に従うなど当たり前のように思えるが、さまざまな事情から郷を飛び出してくる勇者たちは当たり前のことをしない連中なのであり、だからこそ勇者などという生業職業をやっている。ただ、テャムやヤマタに来る勇者は比較的まともなはずだ。海路で異国へ渡ろうとする場合、犯罪歴のある者の出国を認めないこともあるのだから。


 合掌し、手引書で覚えた片言のテャム語で、ありがとう・ございます、とても・暑い・です、芭蕉バナナ・おいしい・です、と言うと、役人はそれまで無表情だった顔にわずかな笑みを浮かべ、合掌し「幸運を」と言う。




 王都バノイナ。正式には「天使の都」から始まる長大な名称を持つ、テャム王国の首都。王宮をはじめ国の中枢が大河の対岸から移されて十七年、自分よりも一歳若い都市だ。いまだ成長の盛りにあるのは船から見た様子でわかる。


 関所を出ると正面にはさして広くない石畳の通りを挟んで、石造りの要塞のような建物がある。会社の“魔石商館”だ。


 通りを歩く人はそれほど多くない。曇っているにもかかわらず日傘をさした辮髪の通行人は、ゆったりとした着物を着て、ヤマタと同じように脇差ほどの長さの刀剣や棍棒を腰にさげている。


 街並みは商館とその周辺のいくつかの建物を除けば、船から見たものより多少ヤマタに近い。建物はレンガ造りだが屋根は瓦葺きで、“カン字”で書かれた看板や赤い提灯を掲げる店などが建ち並ぶ。高床の家ほどではないが、建物は道より高くした土台の上に立っている。

 

 この辺りは“華国”からの移住・逗留者の居住区である唐人華人街だ。獣肉や魚介を調理しているにおい、それと香と糞便の混ざったようなにおいがする。


 毎日ではないがスコールが降り始める季節のため、未舗装の所は少しぬかるんでいる。それでも、久々の陸地に立つのは何やら心強さを感じる。勇者などという、地に足の着いていない存在ではあるけれど。


 暑さと船旅での疲れにもかかわらず、気持ちは高ぶる。ついに足を踏み入れた。異国に。テャムに。勇者として。


「あなたヤマタの人じゃなかですか、もしかして?」


 突然ヤマタ語で声をかけられた。華人の男が立っている。中肉中背、くすんだ緑色の着物を着て日傘を差している。


「ヤマタからの船ですし、装いがね、丁髷はなかばってんねっ。」

 返答を制するかのように「あの船でお侍じゃないヤマタ人が来るとは思ってなかったとですよ。しかもあなたひとりもしかして? あなたすごい勇者もしかして?」とまくし立てる。


 こちらの短い返事も終わらないうちに男はまた一方的にしゃべる。

「バノイナ初めてよね? まずは両替っ。ほかよりよか相場ですたい。私ね、ヤマタに行ったことあります。中奥船なかおくぶねでねっ。今は投資してます、奥船おくぶねにねっ。ヤマタ人の勇者とても少しだから、ほかはようなか相場です。うちはね、せんもしっかり両替するとですよっ」


 異国で聞くヤマタ語に安心感というか、親しみの気持ちがつい出てしまう。だが待て考えろ。商館で両替できると手引書には書いてある。


「ほかの相場、調べてからでもよかですばい。私の名前はウン・シャンヨンです。シャンさんて言えばみんな知っとうよ。ミスター・シャン。私の店あそこね、ヤマタのカン字でも両替って書いてあるからわかります。もしほかの相場がよかやったら、私のほうがよかにするよっ」

 言いながら、関所から出てきたほかの勇者に声をかける。

「アナタはエイ語で話す? ラン語? バノイナ初めて? まずは両替っ」とエイ語でたたみかけている。


 とりあえず、まずは商館に行くことにする。

 



“エイグランド東ヒンダ会社魔石事業局”。

 商館には、赤い球を二匹の蛇が互いの尾を噛みながら取り囲む、という構図を基調にした紋章が掲げられている。こちらは本館で、通常は勇者が立ち入ることができない。


 脇道を挟んだところにある木造の別館は、通称“勇者館”。勇者たちがさまざまな手続きや情報収集をする場所だ。両替もここでできる。本館も石造りであるのは正面だけのようだが、巨大な本館と比べると、勇者館はまるで簡略化された船の社旗のごとく、ちょっとした大店程度の建物だ。


 早く宿を取って荷を下ろし、何かまともなものを食べたいが、やはりまずは両替か。


 両開きの扉は風を通すためか開けっ放しになっている。中を覗くと、両袖机デスクを挟んで二人の男が話している。その背後にある扉の向こうから、男たちの声が聞こえる。勇者館に併設された(茶屋を名乗っているが)酒場だ。


 机の向こう側にいる男と目が合う。茶髪であばた顔、年のころは三十代半ばくらいか、あるいは西洋人は実年齢より上に見えるから、もっと若いのかもしれない。紋章の入った上着は着ていないが社員のはずだ。


 こちらに背を向けているもうひとりの男は勇者だろう。長い黒髪を後ろで縛り、裸の上半身はガッシリとしてよく日に焼けている。社員に頭部の膨らんだ合成棍棒メイスを預け、奥の酒場に入っていく。ああいった古い時代の武具を持っているのは勇者ならではだ。


「さっき着いた便の乗客かい? 入りたまえよ」

 社員に声をかけられ、少し緊張しながら入館する。


「いろいろと大変な船旅だっただろう。無事の到着、よかったね」

 先の勇者相手の時よりもゆっくりと、聞き取りやすいエイ語で話してくれる。

「おや? パーティーの構成員メンバーは一緒ではないのかな」


 ひとりで来た、と答えると社員は驚いた顔をする。

「ほお、ヤマタ人が来たというだけでも珍しいのに、ひとりでとは。テャムは……いや、異国に来るのも初めてなのでは?」


 見た目が若いからそのように推測したのだろう。そうだと答える。


「それでは何かと不安もあるだろう。困ったことがあれば、遠慮なく言ってくれたまえ。もっとも実際にはできる限り自分でなんとかするしかないのが勇者だ。それはわかっているよね。今バノイナには少し前からほかにヤマタ人が……ええと、もうひとりいるから、出会うことがあれば彼にもいろいろと聞けばいい」


 以前からいるヤマタ人勇者がひとり。ということはメンバーを探しているのか、異人と組んでいるのか。


「あの船の報酬、魔石の売却と両替はそちらの勘定台カウンターでできるよ」と言って社員は几帳台のあるほうを指し示す。「ただし、両替相場はよくない。ヤマタのカネは金銀銅だから両替できるにはできるけど」


 社員が説明する。この国では現在、西洋国の貿易事業は行われていない。この商館も金融業は魔石買い取りの几帳の一環としてやっているだけだ。


 一応どの国の通貨でもテャムのカネに替えられるが、ヤマタのカネは相場が悪いほうだ。ランデンの会社との情報交換によりヤマタのカネの相場や純度は把握しているのだが、ヤマタ人勇者がほとんど来ない、ヤマタとエイグランドの間で直接の通商がない、といったことが要因らしい。華人街では華国とエイグランド、それに“イスパーナ”の通貨も流通しているとのことだが、もちろん持っていない。


「両替するならシャンさんの店がよいよ。声かけられなかったかい?」


 怪しい男かも、と思っていたが、どうやらその辺は心配ないらしい。もうひとりいるというヤマタ人勇者もシャンさんの所で両替したのだろうか。いや、少し前からいるということは、ヤマタ以外の国から来たのか。


「ああ、彼は“ギル”から来たのだよ。“ヒンダ”の“ポートカレス”領、ギルという町からね」

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