二 時間A 街道

2 赤い目の猫が消えたら黒い石

「春次郎! もう一匹そっちに行くぞ!」

 一里塚の上から髷を乱した吉蔵よしぞうが叫ぶ。

 どこから来る? 

 あれだ! 草むらをかき分け迫ってくる。姿は見えない。

 向き直り棍棒を構える。飛び掛かってくる瞬間を捉えられるか?

 棍棒は長さ三尺90cm。左手を中央あたりに添え直し首元を守る。

 それの姿が草の間に見えた。左足を一歩前に出す。と同時に飛び掛かってきた。

 反射的に蹴り飛ばすと「ギャ!」と鳴き声を上げる。

 草むらに転がる猫。間髪入れず進み出て棍棒を握り直し打ち下ろす。バシンと音を立てて肩に当たる。

 二度三度と胴体を打ち付ける。

「ギッ」鳴き声とともに血を吐き出す猫。足元の草むらに赤い斑点ができる。

 立ち上がろうともがくところに四度目を打ち込むと動きが鈍くなる。

 猫の姿だが尾の先は二股に分かれていて目は赤く光っている。

 頭を狙って大きく振りかぶり五度目の一撃を加えるとその光る眼球が潰れる。

 六度目をともう一度振りかぶったところで目の光が消える。猫は音もなく一瞬で姿を消す。同時に草むらの血痕も消える。

 消えた猫がいた地面に黒豆ほどの黒い球体が落ちている。

 光を反射せず不自然なまでに真っ黒な、“魔石”だ。




「ちくしょう、痛ぇなおい!」

 吉蔵の手首に当てられた手拭いに血がにじむ。

「魔物の死骸が残りゃあ踏んっづけてやるのによおっ」


  魔物とはいえ姿は猫だ。戦っている最中は興奮状態だからともかく、自分が殺した化け猫の死骸が残るのは……きっと気分がいいものではない。


 吉蔵の傷は大したものではなさそうだが、完治するまで狩りはやめておくべきだろう。こちらは化け猫を蹴りつけた足が今になってじんわりと痛み始めている。歩くのに支障が出るほどではないが。


 街道を見渡すが、まだ往来はなさそうだ。勇者ではないのに狩りをしているところを見られるのはまずい。運悪く魔物と遭遇してしまった、と言えば疑われないだろうけど。


 道筋を外れて狩りをするつもりだったのだが、目の届く範囲での往来が途絶え、通行人の持つ“魔除け”の効果がなくなった。それで脇道に入ってすぐの所で襲われたのだ。往来が途切れることの少ない街道だからと思って完全に油断していた。それに今回は出現すると同時に襲い掛かってきた。


 吉蔵は不意を突かれて手首を食らい付かれ、転倒してしまった。棍棒を手放し引き離そうと散々転げまわったあげく、脇差で仕留めたようだ。


 一匹目とほとんど同時に二匹目がこちらへ襲い掛かってきた。どうにかかわしたが、すぐには体勢を整えられず、有効な反撃を打ち込めるまで手間取った。その間に吉蔵は塚に登り、三匹目がこちらに向かうのを見た。


 三匹目との戦いでは、我ながらなかなかの動きができたと思う。とっさの判断、というよりも自然と体が立ちまわってくれた。特に、あの蹴りがよく出たものだ。

 

 棍棒で防御してから蹴り飛ばすよりも、相手の勢いがあるぶん威力が増す。とはいえこちらの足も痛いが。

 質量に加速度をかけるエネルギーと、作用反作用の法則、だったか。棍棒で打ちのめしている時に周りが見えていなかったのは、今後の課題だ。闘争心と冷静さの相補が可能になれば、もっとうまく戦える。


  猫股もかければさよう棒当たる


 ……とっさの一句の出来はまだまだか。当てたのは棍棒ではなく足であったわけだし。けれども、狩りの実力は確実に上がっている。息が整っても興奮がなかなか治まらないのは、そんな実感のせいなのかもしれない。




「だめだあ、見つからねぇ」

 草むらをかき分けながら吉蔵が言う。日が暮れ始めている。


 三匹分の魔石のうち、二つは拾えたのだが、吉蔵が化け猫を殺した位置がはっきりとわからないのだ。腕がもっと大出血でもしてくれていれば、その血痕の場所から見つかったかもしれないのに。


「ははっ、違えねぇ……って、おおい、ひでぇこと言いやがるなあ、お前」

 吉蔵も興奮が治まり、いつもの少し間延びした口調に戻っている。腕の傷よりも崩れた髷が致命傷だ。


「ったくよお、そこらの二本差しより気い使ってる小銀杏を殺しやがって。ああ痛ぇ。石は見つからねえし、やられ損かよ、俺。春次郎には守る所が一つ少ねえからいいよなあ」


 ……。総髪の頭を掻く。互いの狩った数にかかわらず、「売り上げ」は山分け。そう決めている。勇者たちも大抵はそうしている。きょうの吉蔵の取り分からは思わず使ってしまった脇差の手入れのお代が飛んでいくのだろう。


「自慢の一品だからよぉ、髷も脇差も。魔物の血は消えるからいいけどさ」


 転げまわっているうちに鞘と柄頭に傷が付いてしまったようだ。ただ、その状況で誤って自分を傷つけなかったのだから、吉蔵も大したものだ。そのあと一里塚に駆け登ったのも、魔物の発見だけではなく通行人の確認のためであった。冷静な判断だ。


 街道を歩く人々が、草むらで這いつくばっているふたりを見て怪訝な顔をする。「何か落とし物ですかい」と声をかけてくる人もいる。皆、棍棒や竹槍、道中差で武装している。


 血の滲んだ手拭いを腕に巻いて髷を乱した男と、若いのに総髪の男だ。勇者だと思われればいいが、顔見知りに見られるとまずい。遠くから、鐘が三回鳴る音が聞こえる。捨て鐘だ。


「もう六つ18時になるかぁ」

 吉蔵は立ち上がって町のほうへ顔を向ける。諦めるしかなさそうだ。


 やや遠く、町とは反対の方向から四人組が歩いて来る。金髪も混じっているからヤマタ人ではない。異人であれば社員か勇者だ。そして四人組であれば、間違いなく勇者だ。


 吉蔵がこのざまでは町で所持品を調べられるかもしれない。新規の取引相手はできるだけ増やしたくないのだが、「商い」を持ちかけてみようか。けれども近づいて来るにつれ、顔なじみの勇者たちであることがわかった。


 小袖を着た男たちのひとりが手をあげている。吉蔵はけがを負っていないほうの手をあげ、「談判交渉の手間が省けたな」と言って頭を恨めしそうに撫でる。




「こんにちは。いいえ、こんばんは」

 ヤマタ語で挨拶をしてきた男は、黒髪を後ろに撫でつけて月代は剃っていないが髷を結っている。“ランデン”人だ。四人とも鉄棍や金砕かなさいぼうで武装しているが、脇差を差している男もいる。


 髷を結った男は“エイ語”に切り替えて言う。

「やあ少年たち。キミたちの調子はどうだい? キミたちはきょうも魔石を入手したのかな?」


 あまりよくない、と吉蔵の手を取り負傷を見せる。

「おぉい……」と吉蔵はきまり悪そうな顔をする。


「これはこれは。それは名誉の負傷であるのかな? 侍少年たち」

 金髪の男が言うと、ほかの男たちがはやし立てる。


「名誉? ええと……」

 吉蔵にはわからないエイ単語のようだ。“ラン語”とは完全に異なるものだから。


 自分たちは侍ではない。商人で、勇者になる男だ。少年でもない。「boys」という呼び方が大人に対しても使われることはわかっている。それでもなんとなく嫌なのだ。


 男はラン語に切り替えて「はははっ。いやいや、これは失礼した」と言う。「ハルはエイ語がかなり上達レヴェルアップしているぞ。魔物との戦い方もそうなんじゃないか?」


 それに関しては、調子は上々だ。高揚感が蘇る。


 吉蔵が流暢なラン語で「オレは不意打ち食らったんだよぉ。最初にオレのほうにいきなりで、それでやられた。でも倒したしっ」と、手傷を負ったことの弁明をする。自尊心を傷つけられたらしい。


「わかったわかった。それよりも、とりあえずやることをやってしまおう。オレたち、きょうは傘と草履一体ずつにしか会えなかったのだよ。ま、稼ぎ時はこれからだ」

 男たちは折りたたみ提灯を取り出す。【富安ファン雷電ライデン】と彼らのパーティー名が入っている。


 この時間帯からは魔物の出現率が跳ね上がる。暗くなってからの戦闘は当然危険だが、慣れている勇者にとっては効率よく狩りができる。そしてあと一刻半約三時間ほどで、狩りの許可された時間は終わる。


 魔石を持ったまま勇者と話し込んでいるのを役人に見られたら面倒だ。さりげなく辺りを見渡す。薄暗くなり始めた街道は、町へと急ぐ人もまばらになり始めている。手渡してしまっても大丈夫そうだ。小さな魔石を二つ、男に渡す。


「よっしゃ。それじゃあお代はあした、ハルの店に持っていくからな。それと」男がニヤリと笑う。「も、あしただよな? よろしく」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る