一 時間B 大河

1 灼熱の異界へようこそ河上り

  三途さんずさえうつさぬ河の流れかな


 さすが“異界”。世のことわりから完全に外れている。


 河口から川上へと流れる大河。川下からの順風を受けて膨らんだ真っ白な帆。その隙間から見えるのは淀んだ空。

 

 それなのに、なんという暑さだ。

 日暮れ時も近づきいくぶんか和らいできたが、それでも暑すぎる。曇り空のもとではもっと涼しくあるべきだろうに。


 上げ潮の影響で逆流する大河を船は遡上している。甲板の上では誰もがぐったりと背をもたせ掛け、半裸であるか衣服をはだけさせている。


 甘やかなにおいが漂ってきた。身を起こしてみると、密林の中に民家が建っている。これは米のにおいだ。


 異国の風景。人々の生活が見えてくると、倦怠感に勝る好奇心が湧き起こる。

 高床の家と浅黒い肌の人々が見える。小舟を漕ぐ人もいる。川辺で遊ぶ子供たちは、丸髷にした頭頂部以外を剃り上げている。ひとりがこちらを指差しながら何かを叫ぶと、ほかの子供たちが大笑いした。手を振ると、また大笑いして手を振り返す。 

 ほかの乗客たちも船べり前に立ち始める。


 庶民の家とは明らかに異なる、彩色を施された建物と塔が見えてきた。


「あれは寺院だ」

 いつの間にか横に来ていた、“社員”の男が言う。

「“ヤマタ”のものとはずいぶん違うだろう」


 たしかに、緋色の袈裟を着た僧の姿が見えてこなければ、それが寺だとはわからなかったと思う。

 大河を行き交う小舟が増えてくる。


「もうすぐ到着だ」

 社員は上着を着ながら船員に上陸準備を命じ、先行する快速護衛艦フリゲートに手信号で合図を送る。上着の胸の紋章は、尾を噛む蛇を記号にした楕円形、簡略化された社章だ。船の旗も同じものが掲げられている。


 風景はなんだか奇妙なものへと変わり始めた。森の中も河の上も、街なのだ。岸辺に浮かべた筏の上に小屋が建っている。それが二重、三重にもなって並んでいる。密林はところどころが切り開かれ、大小の運河を櫂船が行き交う。小舟の漕ぎ手は半分くらいが女のようだ。男も女も短く刈り込んだ髪型の人が多い。男はほとんどの人が半裸であり、女は胸から腹に布を巻く。


 密林地帯を抜け、両岸の視界が開ける。いたる所で岸壁や桟橋、運河の工事が行われ、レンガの建物に竹の足場が組まれている。労働者たちの掛け声による喧騒と、近くを通過する舟が立てる水音が途切れることなく続く。


 異国情緒と活気に満ちた光景。期待と不安がい交ぜになった高揚感。しかしこの暑さの中でよく働けるものだ。“魔物”と戦うなんて、自分にできるのだろうか。


 多数のジャンク船が停泊する一帯に差し掛かる。荷の積み下ろしをしている男たちの中に、テャム人とは異なる風貌の人もいる。後頭部以外を剃り上げ、残った髪は三つ編みして背中に垂らされている。辮髪、というやつだ。

 大砲を備えた城塞に見張りの兵士が立つ。


 不思議なにおいが漂う。たぶん焼香や香辛料、果物などが混ざったものだ。肉や魚を調理するにおいもあるが、暑すぎて食欲は湧かない。


 船は曳船の助けを借りながら、同じ社章の旗が掲げられた船着き場に係留された。乗客は荷を用意して甲板に立つ。


 社員の男は芝居がかった調子で言う。

「“勇者”諸君っ。苦難の旅、まことご苦労であった。だが本当の冒険は、これからなのであるっ」

 両腕を広げて続ける。

「ようこそ、“テャム王国”の王都“バノイナ”へ!」


 ついに来たのだ。異国の都へ。何が待ち構えているのだろう。どうなってしまうのだろう。船に梯子がかけられた。


  船旅の先に再び旅路なり


 乗りかかった舟、自分で選んだ道だ。


 社員が「神が導いてくださるなら、悪いことは何もないであろう」と言う。

 

 大丈夫。大丈夫じゃなくても、大丈夫。拾い物のような命なのだから。

 

 荷を担ぎ、梯子に手をかける。


 いざ、異国の地へ――

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