なつのまぼろし
緑茶
なつのまぼろし
「だから言っているだろう。夏の始まりはカナリーイエローだと」
おれが学校の帰りに寄る公園にいつもいる、だぼだぼ白衣のおねえさんは、そう言った。
なんの仕事をしてるのかは教えてくれない。でもおれからすればへんなひとだ。 だって、夏のいろって、ふつう水色とかだろ。
おねえさんに会うと、おれも変になる。心臓がどきどきして、顔がカッとあかくなる。
一番ヘンなのは、おれはそれなのに公園に行くのをやめられないってことだ。
なんでだろう。おねえさんなら知ってるかも。白衣だし、なんか先生とかかもしれない。
「ねえ、おねえさん」
「なにかな、少年」
「なんでいっつも公園いるの」
「ここが好きだからさ」
「答えになってないよ。だっておねえさんオトナだろ。なんか仕事してるんじゃないの。おねえさん、何者なの」
おねえさんは、少し考えてから。
「……夏の、マボロシさ」
そう言って、おねえさんは笑った。
ちょっと、ミカンとかレモンみたいなにおいがした。
クラスの女子がつけてるみたいなのより、ずっと甘酸っぱく感じて、おれはもっとドキドキした。
なるほど、このにおいをたとえるなら、たしかにイエローかもな。
そんなことをかんがえた。
だけど、そのあと、その考えは間違っていたことを知った。
◇
数日、おねえさんは公園に居なかった。
「……つまんねーの」
なんだかモヤモヤした。勉強とかもあんまり気合いが入らなくって、かあさんにちょっと注意された。
おねえさんは、ヘンだ。だけど、ここに来ないのは、もっとヘンだ。
だからおれは、おねえさんのことが心配だった。
◇
さらに少しして。
みんな放課後といえば、どこに遊びに行こうとか、塾がいやだとか、そんな話ばかりしている。
おれといえば、すっかりヘンになっていて、またおねえさんのことを考えていた。
だから、友だちの誘いに乗る気も起きなくて、あの公園にいったんだ。
そうしたら、おねえさんはそこにいた。
おれは、結局、うれしくなった。それで駆けよって、声をかけたんだ。
「おねえさん」
でも、様子が違っていた。
ベンチに座っているおねえさんはあの白衣じゃなくって、真っ黒なスーツを着て、ぼさぼさだった髪も、きれいに後ろでくくっていた。
「ああ……少年」
いつもみたいな調子でおれに笑いかけようとしたけど、うまくいかなかったみたいで、なんだかすごく寂しそうな顔をしていた。
「どうしたの。元気ないの」
「少年はいつも通りだね。その調子で世界を支配するといい」
「どうしたの、何があったの」
すると、おねえさんは、おれから顔をそらして、小さく言った。
「お姉さんはね。仕事でここに来ていたけど。離れなきゃいけなくなった」
最初、何を言われたのかわからなかった。
でも、ちょっとしてから、意味がわかった。
「それって、つまり」
「おわかれだよ。短い間だったけど、たのしかった」
――おれは、泣かなかった。
でも、手提げかばんは、落としてしまった。
「……なんで」
ほんとうは、もっと顔を近づけて、友だちにやるみたいに、怒鳴ってみたかった。
でも、できなかった。
なぜって――いつもと違うおねえさんのかっこうが、すごく、説得力があったから。
公園はすずしくて、ちょっとの人しか居なくって、しずかだった。
そこに、おねえさんの声。
「……お姉さんの仕事はね。ちょっと他とちがうことを言うと、嫌われたりするんだ。それで、居場所がなくなってしまったんだ」
今までよりずっと分かりやすいことば。おれは、聞くことしかできなかった。
「でも、少年は違うように見えた。それがちょっぴり、嬉しかった」
何も言えないおれのすぐそばで、おねえさんはベンチから立ち上がる。
行ってしまう。
伝えなきゃ。なにを。多分もう、二度と会えない。
どうしよう、どうしよう。おれは口をぱくぱくさせて、それでも何も出来ずにかたまっていて。
おねえさんは、おれから少しずつ、少しずつ、はなれていく。
追いかけられない。からだがうごかない。どうしよう、どうしよう。
「――なぁ、少年」
公園の出口あたりで、おれに振り返る。
わらっていた。
どきっとする。
だってその表情は、さっきまでと違って。
出会った時の、あの、なんだかよくわからない、ちょっといたずらっぽい笑顔だったから。
「君はまだ若い。空を、何色にだって染められる。励めよ、少年」
――そら。色。
おれは、はっとして顔を上げた。
そこには、夕焼けの空。
その色は、その色は――……。
「おねえさん。おねえさん、夏の始まりって――!」
だけどもう、おねえさんは居なかった。
おれは、手を空中に伸ばしたまま、呆然と立っていた。
◇
「なんだ、そんなとこにいたのかよ。遊ぶならさそえよな」
友だちの声。
我に返る。どれくらい、立ったままだったんだろう。
「うわっ、おまえ、なんだその顔。何があったんだよ」
ごしごしとこする。妙に冷たかった。
「なんでもない、なんでもないんだ」
「なんだそりゃ」
やっぱり、わからない。
悲しいかどうかもわからない。
でも、なんだか、すごくスッキリしたような気もした。
あれはほんとうに、マボロシだったのかもしれない。
いこうぜ、と声をかけて、友だちと公園を離れた。
おれは、これからの毎日が、さっきまでより、ほんのちょっと楽しみになっていた。
――もうすぐ、なつがくる。
なつのまぼろし 緑茶 @wangd1
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