第一部第一章:バズりと、推しと、勘違い

第2話

翌朝。カーテンの隙間から差し込む日差しが、部屋明るく照らし出す頃。

長谷部美月は、泥のように重い瞼をこじ開けた。


時計の針は既に正午を回ろうとしている。一般的な社会人であれば冷や汗をかく時間帯だが、自称フリーランスの彼女にとっては、これが定時起床。


昨晩――いや、今朝の四時まで、昨日撮影したフィルムの現像とスキャン作業に没頭していたのだから仕方がない。


「……んぅ……」


喉の渇きを覚え、のろのろと起き上がろうとした美月は、枕元で異様な存在感を放つスマホに気づいた。


バイブレーションが鳴り止まないせいで、サイドテーブルの上でカタカタと不快なダンスを踊っている。繋ぎっぱなしの充電ケーブルの影響か、本体がカイロのように熱を持っていた。


「……なに、こわ」


寝ぼけ眼をこすりながら、恐る恐る画面をタップする。その瞬間、処理落ちしたスマホが一瞬フリーズし、次いで怒涛の情報の濁流が網膜を焼いた。


ロック画面を埋め尽くす通知の帯。SNSアプリのアイコンには、見たこともない桁数の赤いバッジが付いている。『999+』。カンストだ。


「……は?」


寝起きの脳みそが状況の理解を拒否する中、美月は無意識にトレンドワードのランキングを開いてしまった。


1位『#ドラゴンキックお姉様』

2位『#NONAMEの正体』

3位『#エクスタ生存』


並んでいる言葉のパワーが強すぎ、スクロールする指が止まる。

動画サイトのリンクが貼られたニュース記事が、容赦なく目に飛び込んできた。


『奇跡の生還! 人気アイドルユニット“エクスタ”、下層にてドラゴンと遭遇!』


記事には、昨日彼女が助けた三人娘の画像が掲載されている。

“エクスタ”。正式名称『エクスプローラースターズ』。


大手探索者装備メーカーがプロモーションのために社運を賭けて結成した、本格派探索者アイドルユニットだ。


過酷なオーディションを勝ち抜いたルリ、サキ、ヒナナの三人は、アイドルの可愛さとガチの探索者としての実力を兼ね備え、デビューからわずか一年で登録者数100万人を突破した新進気鋭のトップ配信者グループである。


昨日の配信も初の下層アタックということで、日本中の注目が集まっていたらしい。


「あー、あの子達、そんな有名人だったんだ……」


美月は他人事のように呟く。彼女の認識は、被写体として良い顔をする子たちで止まっており、世間の熱狂とは遥かな隔たりがあった。


そのまま何気なくスクロールを続けると、さらにもう一つの記事が彼女の目に留まる。


『検証動画:ブレスを素手で弾き、ドラゴンを一撃で粉砕。日本ランキング1位の正体不明探索者“NONAME”の正体がついに判明か?』


“NONAME(ノーネーム)”。


それは日本の探索者ランキングにおいて、数年前から1位に君臨し続けている謎の存在。氏名不詳、年齢不詳、性別不詳。


ソロであること以外、全てが謎に包まれているが、難攻不落とされる深層ボスを単独で討伐した痕跡や、災害級モンスターの瞬殺記録だけが残されていることから、協会が便宜上つけた呼び名である。


実在するのかすら怪しまれていた都市伝説級の存在。


その“NONAME”の正体が、昨日の配信に映り込んだ「ドラゴンを蹴り殺す謎の女」ではないかと、ネット界隈は爆発的な盛り上がりを見せていたのだ。


「……なにこれ」


記事のサムネイルには、ブレブレの映像から切り抜かれた画像が使われている。必死の形相のアイドルたち。その前で、やる気のない姿勢でドラゴンを蹴り飛ばしている、腕章をつけた女。


どう見ても、自分だ。


「…………」


美月は三秒ほど画面を見つめ、そっとスマホを裏返した。そして、手首のスナップを利かせてベッドの足元にある洗濯物の山へ放り投げる。ポスッ、と間の抜けた音がした。


「通知、うるっさいなぁ……」


彼女は再び布団を頭からすっぽりと被った。

現実逃避ではない。合理的判断だ。


どうやらバズったらしい。……だから何だというのだ。

そんなことより、今は二度寝だ。昨日の現像作業は会心の出来だった。


ドラゴンに死を突きつけられながらも、抗う意志を燃やした瞬間を写した『死線の華』。そしてドラゴンが消し飛んだ直後、あまりの衝撃に全員の思考がショートし、ぽかんと口を開けている『魂の迷子』。


この二枚のコントラストは、美月のポートフォリオの中でも傑作と言っていい。その達成感と疲労感に包まれて眠ることこそが、今の彼女にとっての至上の幸福であり、権利である。


ドラゴンを倒したことなど、撮影の邪魔な障害物をどかした程度の記憶しかない。


長谷部美月(29歳・独身・彼氏なし・万年金欠)にとっては、世界の熱狂など、今日の朝ごはんにジャムを塗るかバターを塗るかという悩みよりも、遥かにどうでもいいことだったのだ。


「……おやすみ」


彼女は再び、愛しい夢の世界へと旅立った。


友人が家に押しかけてくるまでのあと数分。

彼女の安眠が破られるのは、もう少し先の話である。

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