(九)

 ジョージに着く頃には、体重は恐らく元に戻った。

 ジョージはなかなか面白い街である。

 そもそも本とは、故人の思いが形を持って自然発生するものだ。小説や実用書など、どういった種類の本になるかはその人次第だ。そして、多くの人の手に渡り始めると、それに比例するように自然と増刷されていく。

 それらの過程を踏まえた上で、それでも自らの手で本を作りたいと考えた人達が集まってできた街なのである。彼らは、”物書き”や”製本屋”といった新しい仕事をこの世に生み出そうとしている。

 中でも特に興味を引かれたのは、書くという行為が癒しに繋がると考えて、本を作ることの有用性を研究している人達だった。感情を文章に起こすと、そう感じた理由や心の機微が目に見えるようになる。だからこそ、自分を系統化したり、トラウマを和らげたりするのに役立つはずだという話だった。自らの手で詳らかにするというのが重要なのだそうだ。

「こんな、利益ありきの話ばかりしたくはないんですけどね。寂しいし難しいじゃありませんか。役に立つか否かだけで切っていくの」

とチームの一員が渋い顔をしていたのも印象的だった。

「その、切り捨てた中にも、役に立つものがあるかもしれないしね」

と別の一人が声をかけると、彼は椅子の上でのけぞり、

「そうなんだけど、そうじゃなくて……」

と考え込んでしまった。このもどかしさを私は文章化できない。負担だろうが、彼には頑張ってほしい。

 ジョージには修繕屋が一軒しかなかった。それでも、本に敏感な街だからか、詩集の作者の名前が分かった。グトパノ=ソロイ=ゾネ三世。ゾネの昔の長らしい。

「今の世代の子達は『グッパノ』って発音するんでしょうね」

という豆知識まで教えてくれた。こんな遠く離れた土地で、ゾネの本の話ができるとは感動だ。彼女はゾネを出て、ジョージに移り住んでいるとのことだった。

 それにしても、長ともあろう人の詩集がどうしてこんなにも埋もれているのだろう。私がその疑問を口にすると、彼女は目を伏せた。

「三世はいろいろと因縁がありますから、本はほとんど焼き尽くされた歴史があるんです。私がその詩集を見たのだって、一度きりです」

「ならばなぜ詩集は生き残ったんでしょう?」

「さあ。酷く個人的なものだったからじゃないでしょうか? 誰かがお目こぼしでもしたんでしょう」

 彼女曰く、自分は歴史にそこまでは明るくないので下手なことは言えないとのことだった。私がゾネで読んだ歴史書にも、三世についてはほとんど出てこなかったように思う。容易に触れてはいけない問題なのだろう。私が所在なく手遊びをしていると、

「母親からの言葉を詩にまとめたっていう序文があったと思います。もしかして、それに感動した人がいたのかもしれませんね」

と彼女は微笑んだ。

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