(五)

 そんな経験をしたからか、サパを出た後、宗教勧誘を受けた。面白そうだったので乗った。旅慣れしてきたという自負から、刺激が欲しかったのかもしれない。

 彼らは、街とは異なる独自の自治体を築いていた。療養施設から街になったゾネの例もあることだし、街になる日も近いだろう。

 この宗教の特色は、信仰者同士の結びつきが強いことだった。あまり思い出したくないが、私は元職場を連想した。

 彼らが掲げている助け合いの精神に関しては、尊敬できるところがあった。だがそれ以外の数多の決まりごとが厳しすぎた。必要性を感じられなかった。規則そのものに意味はなく、守ることに意味を見出だしているのだ。

 宗教を抜けたいと申し出ると、それは重罪だと言われた。それでも食い下がったので、自戒室へ連れていかれた。指導係にマンツーマンで説教される部屋である。自戒とは?

 指導係は丁寧な口調で暫く話をしてきた。私はほとんど聞き流していた。今晩にはここを出ていくつもりだと粘る私と、考え直しなさいという指導係とは並行線だった。因みに、弱味になり得ると思ったので、詩集のことは話さなかった。こんな、本が一冊も寄りつかない集団、信用しろっていう方がおかしい。

「分かりました。どうしてもここにいろって言うんなら、もうそのように致します。ただし、ここの宗教は信仰しません。決まりも守りません」

と言い放つと、指導係の顔つきが変わった。

「少し真剣な話をしますね」

 今し方までのにこやかなあなたはどこへやら。それでも、何故だか先程より遥かに話しやすそうだった。本音を話したとしても、ここだけの秘密にしておいてくれるだろう。

「あのね、従った方が楽ですよ」

「脳死じゃないですか」

 長きにわたる話し合いのせいで言葉がとげとげしくなる。元職場の人達が今の私を見たら信じられないだろう。

「そうかもしれませんね。でも、『はい』って言うだけで安定が手に入るんです」

「安定って言うほど安定してます? こんな無意味な決まりばっかりで。規則の存在意義を全て説明できますか?」

 そこまで言って、私はふと気づいた。遅すぎるが、自分のことで精一杯だったのだ。

「あなたはそこまで信仰心が強くないみたいですね。指導係とかいう重要なポジションの癖に」

 私がそう言うと、指導係は眉をひそめた。表情が全てを物語っていた。

「一言言っておきますが」

 指導係が躊躇いがちに口を開く。

「指導係というのは、地位が高いわけではありません。当番制ですから。我々に上下はありません」

「上下を"つけてはいけない"でしたっけ。強制されるとどちらも煩わしいですね」

 指導係は眉間を揉んだ。私は今晩脱走することに決めた。改心したふりをして、皆が寝ている間に隙を突こう。立ち上がり埃を払う。

「私が間違っていました。悔い改めました」

「ああ、おめでとう」

 握手。この人は私の思惑などお見通しだろう。それでいて見逃してくれるのだ。だからこそ、言っておきたい言葉があった。

「あなたはまだ間に合いますよ。逃げたらどうですか? 共犯と思われたくないんで、一緒にはごめんですが」

 指導係は黙って私の背を押し、共に部屋から出た。

 私はその晩無事に逃げおおせたので、その後のことは知らない。

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