第23話

「ど、どうして……あ、そっか。食事の時間がもう過ぎてる……」


 何かを理解したサーシアは、そっと繋いでいた手を解いた。俯いて、襲い来る魔族を放置する。

 突然サーシアに敵意を向けた魔族に呼応するように、先程まで手を繋いでいた二体の魔族も叫び声を上げ、制止した時の中を彷徨っていた彼女に噛みつこうと大口を開けた。


 サーシアは、逃げる素振りすら見せなかった。こうなることが仕方のないことであるかのような、どこか諦めた風である。

 迫りくる死。

 サーシアの心は、恐怖を感じる余力すら残っていなかった。

 むしろ、どこか心地良ささえ覚えてしまっている。

 

 これで、大好きな人たちの元へ行ける。


 思わず笑みが零れた。自分は、これでようやく解放される。現実という名の呪縛から、解き放たれるのだ。


 笑みと一緒に、一粒雫が落ちた。透明のはずのその液体は、どこか青く見え、一部赤くもある。その色は――悲しみの中に、悔しさがあるような、そんな色をしていた。


 血が舞う。


 二体の魔族に噛まれた肩は鮮血を噴きだし、砕けた骨は右腕を支えることをやめた。だらりと垂れた右腕を左手で支えながら、向かってくるもう一体の魔族を身体で受け止める。威力の弱い体当たりで魔族を押し込み、壁側に押し付けると精一杯の頭突きで対抗した。魔族の額は硬くはなかったが、どうも有効ではないらしい。頭突きのお返しと言わんばかりに、人型の魔族は左腕を振るい、機能しなくなった右腕を猛打した。


 あまりの痛さに声が出ず、その場に座り込む。震える身体でなんとか痛みに耐えながら、か細い声で言った。逃げろ、と。


 その言葉を聞いた女は、口を開け、未だベッドの上に座っていた。襲い来る魔族から自分を庇うために、凄まじい瞬発力で間に入って来た赤茶色の髪をした青年。彼が傷つく一部始終を眺めながら、女は過去の世界へと飛びだっていた。


 大好きな母親と父親。仕事と研究に熱心で、あまり相手にしてもらえた記憶はないが、それでも二人は必ず毎日、愛の言葉を囁き愛娘を抱き締めた。共に過ごす時間は少ないが、娘は抱き締められるだけで胸が一杯になった。


 幼かった頃の身の回りの世話は、父親方の祖父がしてくれた。物心がついた頃には世話をする立場が逆転して、祖父は「孫に世話させずに、自分もたまにはしてみろ」と、父親と口論したりすることもあった。一しきり喧嘩が終わると、これだけ騒げるならまだまだ大丈夫だな、などと家族で笑い合った。


 十代後半になると、自分の両親が何をしているのかが理解できるようになった。小さい頃は、ただ両親を頼ってくる人たちがたくさんいることに誇らし気な気分になっていたが、何故頼ってくるのか、その理由を知ると、娘は更に両親を尊敬するようになった。


 人を癒す研究。その成果が人を惹きつけ、そして何より、二人の人柄の良さが他の人々を魅了した。たまたま王都の名医が集落を訪れた際も、集落の全員が診察を受けることはなく、体調の優れない者は医者ではない二人のもとに行ったほどだ。


 プライドを傷つけられた医者は『真偽を見極めることも出来ない低能の集まり』と、集落の人々を罵ったが、誰も相手をしてくれなかったために、更に惨めな思いをすることとなった。極めつけには、馬鹿にしていた二人の偽医者に『薬の教えを請いたい』と頭を下げられ、他称名医の男は、それを最上級の皮肉と受け取り、激高しながら集落を出て行く羽目になった。


 人を癒すことに人生を捧げ、そのためならば、どんな努力もしてみせる両親の姿勢を見て、娘は心の底からこの人たちの娘で良かったと、毎日感謝しながら眠った。


―そして。


 朗らかな顔で眠りについていた娘が、虚無の中に吸い込まれるようにして眠るようになったのは、月のない闇夜が訪れたあの日から、五日が経過した頃だった。


 人の形をした魔族が集団をなして集落に攻めよって来たその日、集落の人々は抵抗虚しく惨殺されていった。ある者は頭を噛み砕かれ、ある者は執拗な殴打によって身体の形を変形させ絶命した。


 娘は両親に言われるがまま箪笥の中に身を隠し、二人と魔族とのやり取りを隙間から眺めていた。奥の部屋から、祖父の叫び声が響いてくる。娘は怖くなって、思わず目を瞑った。暗闇の中に視界を落として、一瞬冷静になると、このままでは両親も殺されてしまうと、箪笥から飛び出そうとした。


 だが、その気配を察知したのか、父親はわざとらしくよろめき、箪笥を背もたれに代わりにして、内側からの圧力を抑え込んだ。


 娘は、一層激しく扉を叩く。しかし、父親の抑え込む力には勝らず、ただ音が響くのみだった。

 

 だが、微かに。


 ガタガタと、煩わしい音の中に微かに聞こえた優しい音があった。それは――大好きな父親の声だった。


『サーシア。君だけは絶対に、僕たちが死なせない』


 父親は愛娘に告げると、ポケットから青色の液体が入った小瓶を取り出し飲み干した。そして、導線上にいる魔族を蹴飛ばして、家の外へと出て行った。母親も父親同様、得体の知れない物を飲んで、家にいた魔族四体を誘導しながら外へと出て行く。


 二人の突然の行動に当惑していた娘は、我を取り戻すと慌てて箪笥の外へと飛び出し、両親に続くように走って行った。


 集落の中心。そこに群がる、複数の人型魔族。ぴちゃぴちゃ、ぐちゃぐちゃ、ばきぼきと。全員が何かを喰い漁っている。


 その光景を見たサーシアは。


 思考など脳内から消え去り、立つことなど許されず、呆然と、様々な箇所から液体を垂れ流しながら、愛する人たちが失われていく様を見続けていた。

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