第22話

 サーシアが眠る部屋には、先程見た魔族の姿が既にあった。数は三。相手の力量は未知数だが、武器を持たないリッカは無暗に飛び込むようなことはしなかった。出方を見て、隙をつきサーシアを救出する。無理に闘う必要はない。


 刻一刻と、時が流れる。三体の人型と魔族と対峙する青年。その場の空気は、未だ乱れることはない。


(サーシアを襲うつもりじゃないのか?)


 魔族は、自分たちの目前で眠っている人間に対して、危害を加える様子を見せなかった。むしろ、三体がベッドを囲むようにしている位置取っているところを見ると、守っているようにすら感じられる。サーシアを助けに来たつもりだったが、もしや逆なのだろうか。


 リッカが逡巡していると、ドタバタと駆けこんでくる足音が家中に響いた。巨漢の重みは家を揺らし、魔族たちは異変に対して呻き声を上げた。


「大丈夫か、リッカ」


 ラルドは緑色の液体が付いた戦斧を前方に突き出しながら、部屋へと入って来た。魔族を確認すると、たちまち戦斧を振りかざす。サーシアと魔族の関係性が分からないリッカは、一度ラルドを止めるべきか迷ったが、その答えが出るまで待ってはもらえなかった。


 戦士ラルドが戦斧を振るうと、魔族たちの知能はそれほど高くはないのか、回避の選択を取ろうとはせず、無防備のままラルドの懐に歩を進めようとした。だが、当然間に合わない。ハルバディオンが魔族たちの上と下を斬り放してしてまう方が、断然早そうであった。


 リッカが、早そう、という曖昧な感想を抱いたのは、結果としてどうであったかが証明されなかったからである。ラルドが振るった戦斧は途中で失速し、重力のまま床を叩きつけ、魔族たちもその動きを静止させた。一人の女の声によって、空間の時は一瞬止められることとなった。


 戦いを一時中断させた声の主は、ゆっくりとベッドの上から足を降ろし、座った姿勢で皆に訴えた。


「やめて、お願い」


 涙目になりながら、リッカとラルドを見やる。


「私の家族なの」


 サーシアがそう言うと、魔族は「ギィ」と呟くように呻いた。金色の髪を揺らし立ち上がった女は、虚ろな目をしながら二体の魔族の手を取った。


「パパ、ママ、ありがとう。私のこと、守ってくれようとしたんだね。でも、大丈夫だよ。あの人たちは、良い人たちだから」


 ラルドは目の前の光景に当惑して、リッカの方へ視線を向けた。これはつまり、サーシアは魔族であったということか。そう問いかけたいのが目に見えて分かったリッカは、静かに首を横に振った。


 先刻、サーシアが自分の両親について語っていた時の彼女の穏やかな顔と、相反して憎悪や絶望を一部帯びたような光の薄い瞳。そして、虚ろな目をしながら魔族を親と呼ぶサーシア。


 リッカはつい、目を伏せた。直視することがたまならくなったのだ。


 何か魔法の一種なのか。心情を見ようとすると胸がはち切れてしまいそうだったので、原理の方へと思考を向けた。視界の中に、一枚の紙が写る。どうやら、部屋の中で騒いだことで空気がうねり、ベッドの下にあった紙が顔を出したようである。


 床の上に記載された文字が、瞬時に脳内へと入って行く。


【マドロミの花の応用】


 全ての言葉が理解出来たわけではなかったが、それはマドロミの花を使った調合を記載したものだった。目的の効能。幻覚として見えるものが、心安らぐものになるように。


「まさか彼女は、あの魔族たちに何か、洗脳のようなことをされているのではないか」


「違うと思うよ。でも、彼女が幻の世界の中にいることは確かだ」


 もし自分もあの時、サーシアと同じ選択肢を取ることが出来たのなら、そうしていたかもしれない。受けいられない現実から目を背けるために、受け入れられる虚を見続ける。


 そうすれば、心は壊れずにすむし、これまで同様、穏やかな日々を過ごすことが出来るのだ。

――だが。

 それがどれだけ悲しいことで、どれだけ自分を苦しめるのか。リッカには、身体の内側を直接殴りつけられるほどに、分かってしまっていた。


「目を覚ませ、サーシア!」


「何を言ってるの? 確かにさっきは寝ちゃってたけど、もう起きてるって」


 白い歯が、部屋の明かりを受けて煌めく。瞳を隠せば、本来の彼女の笑顔の美しさが分かるだろう。どこを見ているのかも最早分からない、淀んだ瞳。それはまるで、月のない夜に訪れる闇のようである。


 サーシアと手を繋がない一体の魔族が、歩を進めた。サーシアは叫ぶようにして何度も動きを静止させしようとしたが、一向に止まる気配ない。


「お、おじいちゃん? どうしちゃったの、ねえ!」


 サーシアの言葉は魔族には届いてないようで、呻き声をあげながらリッカに向かって足を速めた。敵意を察知したラルドが、戦斧を構え迎え撃つ態勢を取る。

 危険と判断したのか、魔族は足を止めて振り返った。攻撃の目標を変えたようである。

 この場にいる人類三名の中で、一番殺しやすそうな相手を選んだのだ。


「キシャァァァァ――!」


 威嚇する動物のような甲高い声を吐き出しながら、一体の魔族は二体の魔族と手を繋ぐ女に襲い掛かった。

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