第20話
「トークナータと言えば、マール王国の南東に位置する地方だ。となると、どうやら俺たちは河川から一度、海に流されたようだな。ううむ、目的のゲキアチーナ地域からはかなり離れてしまっている。やはり、一度王都に帰るのが賢明なようだ」
ラルドがリッカに耳打ちするように言うと、リッカもそれに賛同して首肯した。
「何があったのか知らないけど、かなり汚れてるわね。もてなすことは出来ないけど、シャワーや軽い食事なら用意出来るわよ?」
二人は縋るようにしてお願いをした。二人とも泥まみれになるのは職業柄慣れてはいるが、だからと言ってずっとそのままでいたいとは当然思わない。身体を洗えるのなら洗いたいし、綺麗な服に着替えられるのなら着替えたい。
そして、わがままを言えば。果実や木の実よりも、肉を喰らいたい。
「えっと、じゃあ、私の家に案内するわ。あ、私の名前はサーシア、よろしく」
「よろしく、サーシア。俺がリッカで、こっちのでかいのがラルド」
「そう」
サーシアは、陽光を受けて光輝く髪をひるがえしながら背を向けた。ラルドは美しい女性の背をまじまじと見つめる。サーシアの美貌に見惚れた、と言うわけではなかった。どこか、見たことのある背中を感じ取ったのである。
寂寥感を漂わせる、物悲しい背中。それは、戦艦で見た、農家の青年と同じ背中のようであった。
小さな集落であったため、サーシアの家に辿り着くのに数分しかかからなかった。二人はじゃんけんでシャワーを浴びる順番を決め、勝ったラルドはサーシアがいることも気に留めず、その場で産まれた姿をさらした。リッカが慌ててサーシアから見えないようにラルドの前に位置を取ろうしたが、それよりも早く掌サイズの果実が裸のラルドの頭に直撃する。
サーシアが投げた果実を脳天に受けたラルドは、急ぎ浴室へと駆けこんだ。顔を真っ赤にして文句を言っているサーシアの気の強さは、さすが人里離れた集落で生きる娘だな、とリッカは食卓に置かれた椅子に腰かけながら妙な感心をしていた。
二人が身体を洗い終えると、サーシアは自分の父親の服だと言って着替えを渡してくれた。だが、風通しのよいその服は、リッカには丁度良いサイズだったのだが、巨漢の戦士にはやや小さかった。
本当なら二人が着ていた傷んだ服は処分してしまいたかったが、仕方がないので、サーシアはリッカの服は処分し、ラルドの服は洗濯することにした。服が乾燥するまで、ラルドはパツパツのズボンだけを履いて、半裸で過ごすことにする。まあ、気候も良いのでラルド自身は半裸でいることに何ら不都合はないのだが、また何か投げられたら面倒だなと、出来るだけサーシアの目のつかない所にいることにした。
「サーシア以外に人を見かけないんだけど、皆どこかに行っているのか?」
軽い食事を用意してくれているサーシアに、リッカは問いかけた。ラルドはサーシアの目に触れぬよう、家の外で何かしらしている。
「半数ぐらいの人は、少し離れた都市に買い出しに行ってるわ。行商人もこないような辺境の地だからね、定期的に食料や日用品を買いに行かないといけないの。残ってる人たちは、きっと隠れてるんだと思う」
「隠れてる?」
「うん。ここに集落の人以外の誰かが来るのは珍しいから。ほら、知らない人って怖いじゃない?」
「確かにそれは分かるけど、サーシアは平気なのか?」
「うーん。そういうわけじゃないけど、なんだかほっとけなくて」
サラダを盛り付けるサーシアの目は、どこか虚ろ気だった。彼女から伝わる優しさは、確かに彼女の本来の姿ではある。しかし、何か通常とは違う異変を、リッカは感じ取っていた。言うなれば、あの時の自分と同じような。全てを捨て去ってしまいたいと思っていた自分と、同じような雰囲気を感じる。
「あ! あちゃー、調味料が切らしちゃってるや。ごめん、お隣から借りてくるから、ちょっと待ってて」
リッカは笑顔で応える。サーシアが活発に動き、ころころと表情を変えるその様を見れば見るほど、地面に溶け込んでいた血が思い出された。
外で悲鳴と打撃音が聞こえた。その後に、野太い声で「何故だ!?」と叫ぶ声。リッカは、思わず声を出して笑ってしまった。
ようやく服が乾いてサーシアと対面できるようになったラルドは、リッカ同様食卓に腰を下ろしていた。サーシアが用意してくれた野兎のステーキと、集落の人間が好んで生で食すというハルパの葉を使ったサラダを、二人は一気に平らげた。亀吉の背に生えてあった果実も美味ではあったが、人の手料理となると、温かみがまるで違う。生きていられたことを、改めて感謝したくなった。
サーシアからは、食べ終わればすぐに集落を出て行ってほしいと言われていた。それは、余所者に怯える集落の人たちのためだと言い、二人もその頼みを快く承諾していた。
しかし、二人が食事の礼を言って家を出ようとすると、サーシアは二人を引き留めた。既に外は暗くなっている。集落には場を照らす明かりもなく、人工物のない平原に出れば当然、月光を頼りに彷徨わなければいけない。それに、闇が深くなれば、魔族も活発に動き出す。それを分かっていたサーシアは、つい二人を引き留めてしまったのだ。
「両親の部屋を使って。二人も買い出しに行っていないから」
サーシアに促され、二人は部屋の扉を開ける。そこにあったのは、二つのベッドと、一つの机。そして、散らばった大量の紙である。
「ごめんごめん。そういえば、散らかったままだったよね」
「ご両親は、研究者か何かなのか?」
ラルドは一枚の紙を拾い上げた。そこには、魔法と調合薬の組み合わせ、と題して、理解不能な単語や記号が並べられていた。
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