第19話

リッカは亀吉に止まるように指示を出す。ラルドはイカダを海へと落とし、戦斧を手に持った。二人の戦士は、共に戦った仲間の顔の側で並び立ち、別れを告げる。


「ううむ。まさか、魔族を友と呼ぶことになろうとはな」


「不思議な縁が出来たもんだね。亀吉、俺たちを助けてくれて本当にありがとう」


「ヴォウ」


 亀吉は目を細めて声を上げた。リッカとラルドは一度亀吉の頭に手を置いて、亀吉の命の熱を感じ取ると、その場を後にして海へ飛び降りた。イカダの上に着地すると、ラルドがハルバディオンをオール代わりに使って、亀吉の前方へと進んで行った。


 ラルドは亀吉に向けて両腕を上げて振り、リッカはラルドに代わりハルバディオンで漕ぎながら片手を亀吉に向けて振った。


「漢たるもの、別れに涙はいらんのだ!」


 滝のように涙を流している戦士ラルドを横目で見ていたリッカは、彼の情熱と愚直さを感じ取った。短い時間ではあったけれど、生死の境を共に彷徨ったのだ。感傷的になっても仕方あるまい。


 亀吉は二人に応えるかのように、ふっと息を吐いた。吐かれた息をイカダの帆が受け止めて、先程までは緩やかだったイカダの前進が、急速にその速度を上げる。


 二人は慌てて真ん中に立ててある丸太にしがみついた。リッカは、持っていたハルバディオンを立っている丸太と同じようにして突き刺す。風圧を感じながら、またか、と二人して顔を見合わせる。そして、小さくなっていく巨大な亀を眺めながら陸地へと向かって行った。


 イカダは止まることなく、目的の陸地へと到達した。港など当然なく、浜辺でもないので切り立った崖を登る必要がある。常人であれば絶望に足を折ってしまいそうな場面だが、二人にとっては造作もないことであった。リッカは手にハルバディオンを持ち、ラルドはそんなリッカを抱え上げる。そして、ラルドは上空へ向けて、リッカを放り投げた。砲丸を投げたかのような勢いでリッカは上昇し、三分の二を過ぎたところで失速をはじめ、完全に止まる前に崖の壁を掴んだ。


 リッカは片手にハルバディオンを持ち、下方にいるラルド同様、手に持っている物を放り投げた。見事、戦斧は地上に登り立ち、リッカは自由になった両手で、軽やかに崖を登って行った。背筋を伸ばし深く息を吸い込んでいると、下から打撃音のような鈍い音が聞こえてくる。ラルドが、殴る勢いで崖の突起部分を掴んで登って来ているのだった。


 崖を登り終えた二人が振り返ると、既に亀吉の姿はなかった。結局、何故亀吉が二人を助けたのか判然とはしなかったが、二人は特に気に留めることもなく、視界に入る集落に向けて歩を進める。またどこかで会えるといいな。空に向けて、リッカはぽつりと呟いた。


 辿り着いた集落は、遠目から見た通り小さく、畑もないようだった。自足自給の片鱗も見えないとなると、やはり近くに村や街がある可能性は高い。二人は誰か集落の者に話を聞こうと練り歩いてみたが、どうも人気がないようである。幾つかの家の扉を叩いても反応はなく、大声で呼びかけても自分たちの声が宙の中に溶けて消えていくだけであった。


「まさか、廃村か? ううむ、降りる場所を間違えてしまったか」


 ラルドがぼやく。集落の中心に立って、リッカは視線を下に向けた。変哲もない地面のように見えたが、よく見てみると所々砂をかいているようで、まるで猫が用を足した後のような乱れ方をしている。


「これは……」


 リッカは砂を手に取ってみると、異変に気付く。さらさらではなく、何か液体が混じって固形と化した砂の塊が幾つもあった。指で擦って塊を崩すと、嗅ぎ慣れた異臭が、リッカの鼻腔に突き刺さった。


 リッカの様子に気付いたラルドは近寄り、彼の手から砂を受け取った。ラルドもまた、嗅ぎ慣れたその匂いにしかめ面を見せた。


 リッカは狩猟の生活の中で、ラルドは戦士として赴く戦場の中で、その匂いを幾度となく嗅いできた。そう、血の匂いである。


「あ、旅人さん?」


 不意に背後から飛んできた声は高く、敵意のないものであった。だが、血の匂いが沁み込んだ地面を知った二人は思わず飛び跳ねながら振り返り、ラルドは戦斧を両手に、リッカは足を広げ瞬時に動ける体勢を取った。


「うわわっ。ごめんね、急に声をかけたらびっくりするよね」


 金色の長い髪を後ろで一本に括った女性は、両手を突き出して手を振るった。リッカたちと同年代であろうその女性の困惑した仕草を見て、二人は戦闘態勢を解いた。


「こっちこそ驚かしてごめん。えっと、ここの集落の人だよね?」


 リッカは距離を保ったまま問いかける。敵意を全く感じない相手ではあるが、この場所で血が流れていたことは明らかで、一応の用心として不用意には近づかない。


「そうよ。こんなところに旅人が来るなんて、珍しいわね。何か用事があるの?」


「ちょっと道に迷っちゃって。ここが一体どこなのか、教えてもらえないかな?」


 詳細は語らない。語る必要も、意味ない。それに、語ったとて信じてもらえないだろう。巨大な魚を巨大な亀と一緒に撃退した話など、まるでおとぎ話のようだ。


「ここはトークナータ地方の南端よ。特に名前はないけど、小さな集落で私たちは、ひっそり生活しているの」


 女は歩を進めながら語った。歩く度に流れてくる涼やかな風は、女性特有の淡い華やかな香りを乗せて、汗と泥にまみれた二人の汚れた戦士の間を通り抜けて行く。

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