第16話
リッカは、山での狩猟が得意だった。野兎だったり猪だったりを狩って村へと持ち帰ると、村人たちは盛大に喜んだ。香辛料にも使えるハーブも山から持ち帰り、近所のおばさん連中に渡すと、料理が一段とおいしくなると笑っていた。
リッカが行う料理と言えば、単純に焼くか煮るか、ということになってくる。一手間二手間などは考えず、内臓をかき出して、上記二つのどちらかの工程を辿るのだ。
それでも素材が良いので、おいしくはある。だがやはり、手間のかかった料理に変貌を遂げると、舌がとろけてしまいそうに美味であった。野兎の肉と野菜、数種のハーブを一緒に煮込んだシチューに、おばさん連中秘伝のタレがふんだんに塗りつけられた猪肉の中に米を詰め込み、低火力でじっくりと焼かれたもの。肉の油の旨味が米に沁み込み、その凶悪さは丼茶碗でも足りないぐらいだった。
リッカは、更に思いめぐらす。狩猟の際に使っている道具は、自分では作れない。村の鍛冶屋が作ってくれていた。自分が暮らす家も、自分では建てられない。村の大工が建ててくれていた。
日々の癒しは、自分では与えられない。一緒に暮らしていた妹の存在が、どれだけ辛く苦しくても、自分を立ち上がらせてくれた。
そうだ。自分一人では出来ないことを嘆く必要など、どこにもない。頼り頼られ、そうした中で人は――命は、生き続けるのだ。
「亀吉! 力を貸してくれ!」
リッカが亀吉の顔の方へと向きながら叫ぶと、亀吉は首を天高く伸ばし嘶いた。攻撃を受けた悲痛の泣き声でもなく、呑気なあくびでもなく、天に昇ったその声は、大気を震わす覇気に満ちていた。
背に乗っている二人の人間は、揺れる足元と震える大気によって思わずよろめく。なんとか踏ん張り転倒を回避したラルドは、急ぎ戦斧を振るう。しかし、ラルドが振るった戦斧には何も当たらず、ただ空を斬るのみであった。
「ラルド、何かに掴まれ!」
リッカの声を聞いた大男の戦士は、戦斧を右手に持ち、森の入り口にあった大木めがけて大股で駆けだした。真意は分からないが、問いただす暇もない。とにかく今は、指示の通り動くが方が賢明だと判断した。
指示を出した青年も、はっきりと声を聞いたわけではなかった。そう聞こえたような気がした、というだけであったのだが、どうやらそれは気のせいでもなかったらしい。リッカが聞いた声は「しっかりと掴まって」と、そう告げた。それが亀吉の声だったのかどうか、真実は一旦闇の中へと放り投げて、二人は、大木に両手で掴まった。
途端、激しい風が吹く。否、地盤が急速に動き出したのだ。
見える景色が一人でに流れ始め、雲は緩やかに流れることを止める。海を割きながら水しぶきを背中よりも上にあげて、亀吉は突き進んでいった。
リッカとラルドは、風の圧力と頭上から降り注ぐ海水に耐えながら、亀吉に身を任せた。どこに向かっているのか。言わずもがな、亀吉の前方、即ち、飛来物を飛ばしてくる諸悪の根源である。
迫りくる敵を撃墜しようと、巨大魚は懸命に口から鉄くずと砲弾を吐き出すが、照準を狂わされて、被弾することなく海中に沈んでいく。
このような移動が出来るのならば、初めからしていればよかっただろうに、ラルドはそう思ったが、苦しそうな表情で走り続けている亀吉の顔を見ると、決死の覚悟で駆けているのだと悟った。攻撃を受けたことが原因なのか、それとも初めからそうだったのか、明らかに亀吉は弱っている。全速力で走り抜けば、おそらく少しの間は動けなくなるだろう。
だから、敵意を向けられても逃げ出さなかったのだ。逃げても体力の限界を迎えて動けなくなるのでは、恰好の的である。何か好機を掴むまでは、雀の涙ほどの体力を、温存しておく他なかった。
進む。進む。進む。己を顧みず、ひたすら前へと突き進んで行く。
巨大魚の眼前へと迫り、そしてついには顔が見えなくなった。目前に広がる洞窟からは、生暖かい風が吹いてくる。おぞましく気持ち悪いその風は、二人に数日前の悲劇を思い起こさせた。だがそれだけで、二人の足はまっすぐと立っている。
攻撃が止んだ。近距離に来たために攻撃を方法を変えるつもりなのか。
いや、そうじゃない。
引き込むような強い風が巻き起こる。一つが故郷の家よりも大きい歯を見上げながら、リッカは気付く。奴は、再び口から物を吐き出すために、体内に深く空気を取り込もうとしているのだ。
亀吉が好機と感じたリッカの声。そして巨大魚の動きが、次にリッカを好機の波に乗せた。
「急停止してくれ!」
リッカの指示に従って、亀吉は巨大魚の口腔内に入る寸前で動きを止めた。突然動きを止めたことによる衝撃で、海が一瞬はじけ飛んだように見えた。
大地震のように揺れる亀吉の背中で、二人は大木に抱き着くようにして吹き飛ばされるのを免れた。手を持たぬ物たちの幾つかは、衝撃に耐えきれずその身を宙へと舞い上がらせる。
その中にあるマドロミの花は、リッカが持ってきたものに加えて、取り切れなかったものも含まれていた。陽光に輝く空一面が、青と黄色の花吹雪によって彩られる。
「追い風を、頼む!」
「よしきた!」
まだ揺れる中、ラルドは大木から手を放す。ラルドは大木に手を回しながらも、決して放すことはなかったハルバディオンをもう一度両手で握りなおした。
亀吉の顔の方へ一度視線を向ける。ぐったりとした様子で、どうやら口からは緑色の血液が零れているようだ。息も絶え絶えなその様は、亀吉がどれだけ必死で、どれだけ自分たちを信頼してくれたのかを如実に表わしてくれている。
ラルドは震える手を筋力で膝まづかせ、笑う膝を叩いて叱咤激励した。
ここで漢たちの期待に応えられないで、何が王国最強の戦士か。ラルドは、意識を飛ばす覚悟で、愛戦斧を振るう。
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