第14話
「なんと……」
ラルドは思わず膝を崩してしまいそうになった。守られていることへの感謝と、自分への不甲斐なさ。リッカも、この亀も、自らの命を投げ打って他者を助けようとしている。だというのに、自分は一体何をしているのだ。王国最強の戦士と謳われた男は、自分の無力さを呪ってしまいそうだった。
しかし、闇に堕ちる前に引き上げてくれる友が横にいた。見失いそうになった道を見つけ出し、引き摺ってくれる戦友がいた。
「ラルド、無力を嘆く暇なんかない。なんとしてでも、
決意に漲る熱い瞳が、戦士の情熱を奮い立たせた。年端も変わらないであろう、それに、戦の経験が豊富ゆえ、自分の方が窮地に陥った回数は多いはずだ。なのに、肩を並べる狩人は、しっかり己の足で立っている。震えることもなく、崩れることもなく。
戦士としての矜持を、今こそ示すのだ。
「うおぉぉ――! よし、戦うぞリッカ。と、その前に、亀吉とはなんだ?」
「こいつの呼び名だよ。亀、だとなんだか失礼だろ?」
「そういうものなのか?」
本来の名前もあるだろうし、勝手に名前をつけるのは失礼ではないのか、などと思ったが、今はそれどころではない。なんとかして、巨大魚からの遠距離射撃を止めなくてはいけない。
しかしやはり、現状手立てがない。飛んでくる敵意を打ち落とすことも出来なければ、巨大魚に直接を傷つけることも出来ない。実現出来そうなのは、潜らず、亀吉にこの海域を脱してもらうことだが、それをしないところを見るに、巨大魚の射程範囲の広さを、亀吉は知っているのだろう。
意気込んだものの、どうしたものか。考えている間にも、亀吉は肉を抉られ血を流し、悲痛の叫びをあげ続けている。攻撃を回避することで亀吉が傷つけれらると思うと、いっそのこと身体で受け止めてやろうか、とすら思った。
そんな愚行をしたところで、また側に異物が地面ならぬ亀吉の背に突き刺さる。しかしそれは、これまでの鉄の破片ではなかった。鉄であることに変わりはなかったが、他の物と比べて形を失ってはいない。
黒い柄は陽を浴びて鈍く光り、先端には、片方は小さいが槍のように鋭い突起状のものが、そしてもう片方は扇形で曲線部分が鋭く砥がれている。巨木さえも簡単に斬り落としてしまえそうなその武具は、扇形の方に獅子の紋様が彫られていて、一目で所有者を唸らせた。
「あれは、我が戦斧ハルバディオンではないか! さすがは共に歴戦を潜り抜けてきた武器だ、砕けておらん」
ラルドは飛び跳ねる勢いで、愛武具に駆け寄った。がさつに柄を掴むとぬめり気があって、つい一度手を放してしまう。巨大魚の体内にあったことを思うともう一度掴むことをためらってしまうが、悠長なことは言っていられない。ラルドは、石をも握り砕く握力で、自分と同じほどの長さのある柄を握り締めた。
巨体が片手で巨大戦斧を振り回すその様は、王国最強の名に違わぬように見えた。離れた位置に立っているにもかかわらず、リッカはラルドの起こす風圧によろめいた。戦士の放つ眼光は、受ける者を威圧し、闘う前に心を殺してしまえそうな迫力がある。
あれが、王国最強の戦士ラルデアランなのだと、リッカは改めて認識した。なんと、頼もしいのだろう。彼がいれば、どんな困難も乗り越えられるような気さえしてくる。
「これで百人力だが、さて、どうするか」
「俺に一か八かの策がある。効果がなければそれまでだけど、効けばこの危機から逃れられる」
「分かった、お前に任せる。リッカよ、俺は何をすればいい?」
「少しの間、時間稼ぎをしてもらいたい。俺が戻るまで、飛んでくる物を打ち落としてほしいんだ」
「任せておけ。ハルバディオンがあれば、容易だ」
しかし、手の届く範囲しか防げない。リッカは、自分の策を実行するためにもう一度森に入る必要があった。その間、亀吉の被弾を最小限にとどめて、亀吉の絶命を防ぎたい。出来ることなら、全ての飛来物を除去してしまいたいが、飛来物の着地点はランダムだ。いくらラルドとて、島を一個乗せた広範囲の背中を縦横無尽に駆け回り、全ての飛来物を打ち落とすなど無理な話だ。
だからリッカは、心の中で妥協するしかなかった。戦士ラルデアランの力量を知らぬリッカは、彼を見くびるしかなかった。彼が言った「任せておけ」という言葉の中に、どれほどの信頼があるのか。それは、リッカが一番思い知らされる。男ラルデアランは、期待に百パーセントで応えるような陳腐な男ではない。天井を貫き、限界のない漢こそが、漢ラルデアランなのである。
「なれば、奴の攻撃をこちらに一点集中させよう。うおぉぉぉぉ、ここだ、ここにいるぞ!」
ラルドはハルバディオンを両手で持ち、激しく振り回した。円を描きながら振り回される巨大戦斧は、次第に土を巻き上げ風を起こしていく。渦巻く風の勢いは増しに増し、旋回する斧の速さも、リッカの目では捉えられそうにない。
やがて小規模な竜巻となった風は、亀吉の背にある地の部分を一部巻き上げ、天高く昇っていった。雲をかき消すほどの位置に達すると、ようやく竜巻は消失して、風の流れに沿って穏やかになっていく。
ラルドは、巨大魚に対して自分の居場所を示し、攻撃の対象を自分へと変えたのだった。
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