第5話

 艦内が慌ただしく動き出す。


 砲門の蓋が開けられ、主砲を放つ準備が進められる。鉄が軋む音と人の叫びが混じり合って、緊張感を生み出していた。

 

 猛者二十九名が甲板にて戦闘準備を始めている間、リッカは船首に向かって走っていた。対峙する相手がこの巨大戦艦よりも巨大だというのなら、自分の力など到底役には立たない。ならばせめて、その相手の行動を把握すべく動くしかない。


 戦艦の下を同じ速さで移動しているのだとすれば、恐らく頭となる部分は前方にあるはず。頭の影がどちらに向いているのかを確認して、奴の目的を探る。もし、海中から戦艦に体当たりをするつもりなのだとしたら、気付かれる前に行っていたはずだ。ここまで接近出来るほど気配を消せるのだ、わざわざ真下にまで来たのは意味があるはず。


 リッカは船首に辿り着いて、前方を見た。そして気付く。海中に潜む魔族は、既に戦艦を通り過ぎていた。先程まで戦艦の真下にあった影は、微塵も重ならず、黒影全体が戦艦の正面に移動していた。ようだった。


 リッカは、海全体を見渡した。しかし、影の全体がそれでも確認できない。目前に見える影の端の位置が変化していることで、移動しているのだとかろうじて分かるが、まるで海の大部分が影に覆われてしまっているように見える。


 先へ先へ。更に先へ。


 影は戦艦を超えて、なお突き進んでいく。リッカは、目をこらして相手の出方を窺った。一体、何をするつもりなのか。


 全貌の分からない巨大な影が、ある程度進むと、動きを止めた。待ち伏せ?  

 何故、そのようなことを……。


「…………!?」


 リッカは、海中の怪物の真意に気付き、急ぎ踵を返した。船首から船尾へと、全速力で駆けて行く。

 道中の甲板で、戦士たちは各々武器を構え、魔導士たちは魔導書や杖を手に持って詠唱を始めていた。


「さあて、どんな奴が飛び出すのやら。巨大というが、ワシの水魔法に少しでも耐えてくれればよいのじゃがな」


「フレングさん、相手は海中に潜んでいるんですよ? 水属性が効きますかね? 僕の雷魔法の方が、有効だと思いますけど」


 眼鏡をかけた勤勉そうな男が、フレングと張り合う。何度か言い合いをしながら、体内の魔力を滾らせていく。


「俺の戦斧で、ズタズタにしてくれるわ」


 ラルデアランは、自分の身体よりも巨大な斧を両の手で軽く振り回した。側にいた戦士に当たりそうになり、魔族との戦闘の前に戦いの火蓋が切られそうになった。


 顔面蒼白になりながら走っていたリッカだったが、猛者たちの様子を見て安堵した。彼らがいれば、なんとかなりそうだ。


 死を覚悟して、いや、死んでもいい、という気持ちでここにやって来たのに、いざ直面してみると、自分の中にもまだ恐怖心が残っているのを実感した。なんとも情けない話だ。自分は、復讐する力もなく、村の皆のところへ行く勇気すら持ち得ていない。


 リッカは、惨めで非力な己を恥じた。それと同時に、まだ生きていよう、とそう思った。

 現状を打破した後、誰かに戦闘技術を教えてもらおうか、そんな牧歌的なことを考えられたのは、目の前に屈強な者たちが大勢いたからだろう。船尾に向かって逃げ出そうとしていた足も、既に止まっている。


 振り返る。自分も、彼等と一緒に、敵と対峙しよう。何も出来なくとも、向き合うことぐらいは――。


 出来なかった。


 突然、巨大な水柱が前方に立ち昇り、滝のような勢いで海水が戦艦に向けて降り落ちてきた。

 水の激しい圧によってリッカは立ち上がることが出来ず、ひたすら海水に身体を撃ちつけられ、甲板に俯せになった。

 周囲の様子を確認する余裕もなく、目も耳も海水に覆われて何も聞こえない。

 数分間を拷問のような滝行に耐え続けるしかなかった。


 ようやく上空から降り落ちてくる圧がなくなると、リッカは震えながらなんとか身体を起こした。身体中が軋み、痛みで悲鳴が上がる。立ち上がれているのだから大丈夫だとは思うが、全身の骨が折れていてもおかしくないような気がする。


 リッカは痛む腕で目を拭い、海水の塩分によって低下した視力で周囲を確認した。

 ぼやけた視界の先に、立ったままの猛者たちの姿が映る。さすがだな、と言わざるを得ない。あの水流の中で立ったままでいられるなんて、鍛え抜かれた者にしか出来ない芸当だ。


 やっぱり、問題はない。リッカはそう確信して、数秒後、違和感に気付く。


 彼らが、微動だにしていない。


 武器を構え、魔導書を手に持ち、杖を掲げ、彼等は前方に向いている。先程までと変わらぬ戦闘態勢。だが違うのは、彼ら全員の顔が、王国最強の戦士と伝説の大魔導士を含めた猛者たちの顔が――逃げ惑っていた自分と同じ色をしている。


「主砲、放てー!」


 響く艦長の声。それとほぼ同時に、耳を塞ぎたくなる轟音が鳴った。艦体が激しく揺れて、リッカはまた甲板の床に身体を転がせることになった。


 転がりながら、リッカは前方を見た。そこには、奥の見えない漆黒の空洞が広がっていた。

 急に洞窟が現れたのか? 違う。これは、思った通りの事態だ。だが、その巨大さは想定外だった。

 艦長も、猛者たちも。これほどまでとは、思わなかった。


 放たれた主砲は空洞を突き進んでいき、遥か遠くで小さく爆散した。その後も、なんども「放て」の号令がかかる。その都度幾重もの砲弾が、前方の空洞に向けて放たれる。しかし、それらは全て虚しい音ともに、何の効果もなく得体の知れない空洞に飲み込まれていった。


 転がっていたリッカの身体は、仰向けの形で停止した。その先に映る、三角錐の巨大な白い物体。先の尖ったそれは弧を描くようにして幾つも存在しているようで、落ちてきたらいとも簡単に戦艦を潰すように思われた。

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