第一章 炎の精霊イフリート

第1話

 マルー王国。この国は、他の四か国と比べて軍事産業に秀でた国である。屈強な兵士が多くいるのはもちろんのこと、戦艦や銃火器などの戦闘において優位性を高めるもので、この国にないものはない、と言われている。


 一般の兵士たちから漏れ出る声の中には、何故この武力を持って他国へ侵略しないのか、というものがある。他国との争いは、当然の如くある。兵士たちもそのことは肌身で十分に感じてはいたが、勝つこともあるし負けることもあるのだ。世界に誇れる武力を有しておいて何故負けるのか。全力を持って叩き潰せばよいではないか、と兵士たちは酒の席で騒ぎ立てるものだ。


 しかしながら、国を治める立場の者からすればそう簡単な話ではない。言うまでもなく、一国と戦っているからといってそこに全戦力を割くことは出来ない。そんなことをすれば、たちまち別の三国から攻められ、いとも簡単にマルー王国は滅びることになる。

 

 それに、一度戦争を始めれば、多額の金も必要になる。戦闘の度に兵力を注げば軍備への資金、そして多くの兵糧も必要となって、ギャンブル同然の価値のない金を使うことになってしまうのだ。


 極めつけは、軍事力が高いがゆえの内紛の多さだった。管理し切れない武具や、内部の情報を売りに出す兵士は、内紛を引き起こす。未だかつて国が揺らぐほどの大戦は起きてはいないが、小競り合いでも鎮火させるのに労力がかかる。数が多ければ多いほど、他方に兵を放ち治めなければならなくなるのだ。


 遥か過去より変わらない現状。


 マルー王国第五十八代国王ゴルディアヌスは、そんな現状に常に苛立っていた。もともと武闘派であり、王族の身でありながら、軍隊の中で己自身の肉体を鍛え武器の扱いを学び、兵を指揮する力を実践の中で磨いてきた。


 武こそ全てを提唱する一部の軍人たちにとって、ゴルディアヌスが即位した時は歓喜するものだった。ゴルディアス王であれば、他国へ攻め入ることを何よりも優先してくれるに違いない。そうなれば戦いに日常を置き、戦いの中で生を終えることが出来るのだ、と。


 悲しいことに、現状はそんなことはなく、鬱憤を溜め込んだ兵が暴動を起こすまでに至った。手に武器を持ち闘えと、無辜の民たちに発破をかけて街を練り歩き、逆らうものを一刀両断、または蜂の巣にしていった。


 役人たちより報告を受けたゴルディアスは、一兵も連れずに外へ向かおうとした。慌ててついていく役人たちは、国王に向けて留まるように懇願した。


 だが、止まらない。ゴルディアスは足に絡まる大の大人複数人を引き摺りながら、暴動を起こす兵士たちのもとへと向かって行く。その身体には、武具など何一つ備え付けてはいない。


 ゴルディアスが兵士たちの前に現れた時、数十人といた兵士全員が一斉に手に持っていた武具を放り投げた。

 我が国王への忠誠、などではない。目前に現れた強大な武力の前に、敗北を受け入れ死を覚悟したのである。

 武具を持たぬ筋骨隆々な男。ただその存在が、銃や刀よりも遥かに力を有していたのだ。


 そんな昔の話。屈強なゴルディアスも、既に齢七十を超えた。心躍る大戦はついに一度もなくこのまま生涯を終える。そう思うと、今日にでも死んでしまいそうなほどに心が弱る時がある。


 いっそのこと、酔っ払う兵士たちの戯言に乗っかって、全戦力を持って世界征服でもしてやろうか。そんな危険な思想を抱きはじめたが、自分の衰えてくる筋肉を見やると、ため息しかでないのであった。


 老齢ではありえないほどのたくましい肉体をしたマルー国国王が、謁見の間にて、役人たちと昨日の闇夜について語っていた昼時であった。突如音を立てて開かれた扉から現れた兵による報告には、誰しもが耳を疑った。


 魔族の出現。


 聞きなれない単語ではあったが、魔族が世界を脅かす存在であることは誰しもが分かっている。魔神の眷属である。


 魔神復活などあり得ぬ話だと笑い飛ばしていたところに、この報告だ。虚偽である可能性もあるが、そうでない可能性もある。虚偽であれば目の前の兵士を殴り殺せば済む話だが、そうでない可能性であった場合、迅速に行動せねば国が滅んでしまうかもしれない。


 ゴルディアスは信憑性を高めるためにも、自分の目で確かめてみようと歩を進めた。一歩進んだ足の先に、鮮血が飛び散った。報告に来た兵士が、背後から現れた巨大な蝙蝠のような化け物によって、首を切断されたのだった。


 大の大人が両腕を広げるよりも大きく広がる漆黒の翼。あれが刃物ように鋭利であると、ゴルディアスは瞬時に悟った。


 役人が喚き走り出す。八人の内、三人が蝙蝠型の魔族によって上と下の二つの半身ずつに分けられた。


 目にも留まらぬぬ速さ。年老いたゴルディアスにも、化け物が翼を振るう姿を視認することが出来なかった。


 つい、笑みが零れる。新たな野望と、心躍る大戦の二つが同時に降り立った。そんな気がした。


 甲高い音。謁見の間に響き渡り、静寂が訪れた。


 まるで刃物が鉄板を叩いたかのようなその音は、魔族がゴルディアスの首に翼を振るったがゆえに鳴った音だった。


 感情があるのか、切れぬことに驚いた様子の魔族は、数秒後に微動だにしなくなった。ゴルディアスの剛腕が化け物の顔面を殴打し、人の頭に似た形をしていたそれは、薄っぺらい紙のように厚みを失った。


 緑色のぬめった液体を右拳から滴らせながら、マルー国国王は役人たちに命令した。


「我が国の猛者どもを集めよ! 炎の精霊、イフリートが目覚めた場所へと赴かせ、鍵を手に入れさせるのだ!」


 命令を下すと、国の王である人物は笑声を上げながら、戦場と化しているであろう街の中へと走って行った。

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