世界で一番

「ね、ねえ。大丈夫……?」

「大丈夫だ。少し、そこの店で休む。伊藤は先に水族館へ行って入場許可証を購入しておいてくれ」

「なんでファミレス? いいけど、す、すぐきてよね」


 動揺する伊藤沙耶を他所に、私は、金切り声をあげる頭を抱えながら、頭痛に導かれるままに店へ入った。

 苦痛に歪んだ顔を心配そうに覗き込む店員を無視して、私は、痛みの発信源へと歩く。ファミリーレストランの奥、無機質な白いテーブルに座る女の前に、私は乱暴に腰を下ろした。


「やあ。お早い到着だね」

「……今すぐ、信号を止めろ」


 頭を抑えながら、目の前の女に命令する。彼女が頭の裏をさすると同時に、けたたましく鳴り響いていた脳内の絶叫が止んだ。


「……あれ、もしかして音量設定間違えてた?」


 私は無言で、目の前の女を睨みつける。『鼓膜』の裏が痛み、未だにあの警告音が聞こえるようだ。


「ごめんよ、本当に悪気はなかったんだ。そうだ、もうすぐ『ステーキ』が来る。君が全て食べても構わないぜ!」


 仰々しく謝罪する姿にさらに不快感を覚えるが、新たな食事を無償で食えるのであれば、先ほどの連絡信号の設定ミスも見ずに流してやろうと思えた。



「珍しいね。君が原住民とあんなに絡むなんてさ。随分とこの惑星がお気に入りみたいだね」

「ただの成り行きだ。深い意味はない」


 私は、分厚い『ステーキ』を頬張りながら返答する。この惑星に住む『牛』という草食動物の肉を焼いただけのシンプルな料理ではあるが、その簡易さゆえに、素材の味と風味が舌を刺激する。


「そうかい。僕は大分この惑星を気に入ったよ。上層部の言った通り、この惑星に存在する無数の文化はかなり魅力的だ」


「お前、『金』はどうしているんだ」


「ちゃんと稼いでいるよ。母体の『オクムラ』がやってたようにフーゾクってやつで働いてる。君も今度おいでよ。ニンゲンの体は凄いんだぜ」


「それはよかったな」


「もう、つれないなあ」


 そう言って、目の前の女は、頬杖をついた。

 目の前の女も、私と同様の地球調査隊委員である。今回は、私の母体、『斎藤』よりも少し年上の若い女の死体を利用したようだ。


『ウルフカット』と呼ばれる、若い女、それも音楽や芸術などの文化を好む個体が好む髪型。そしてその、黒を基調とした髪型の内側だけが、金色に染められている。

 耳元には多くの銀細工が突き刺さっており、拷問を受けているような痛々しさがある。しかし、彼女の飄々とした態度を見るに、痛みなど感じることはないのだろう。


 私は、今度は、ステーキに『胡椒』と呼ばれる香辛料を施す。

 斎藤の知識によると、この黒い粒巡って昔には戦争さえ起きたというのに、この店では無償で提供されるばかりか、誰も使ってすらいないようだ。遠慮せずに大量の胡椒を振りかけると、甘い肉の味に、華やかな香りが加わった。甘さと辛さの相反する要素が合わさり、辛味によって甘みが、甘味によって辛味が引き立てられる。

 ————そりゃあ、奪い合うわけだ。


「相変わらずの食いっぷりだなあ。食事以外には何か試したのかい?」

「何も」


 はあ、とため息をつくオクムラ。


「ならば、僕が、食欲の奴隷となった哀れな君に一つ教授してあげよう」


 オクムラは、胸を張って宣言する。

 私はそのまま、ステーキを一瞬で平らげた。


「一通りの娯楽は試したけど、その中でも特に凄いのが『音楽』さ。地球をさらに細分化した枠組みである『国』の存在は君も知っているだろう?」

「ああ」


 私は、口を紙で拭いつつ応える。


「僕の母体が『ミュージシャン』のなり損ないだったんだよ。まあ、成功できない不能感と仕事のストレスで狂って死んじゃったんだけどさ」


 伊藤ほどではないが、整った顔立ちのオクムラの母体でも、芸能界で生存するのは難しいのだろうか。


「そうか。ご馳走様」


 まあ、それも特に興味はわかず、私は席を立つ。


「待って待って」

 立ち上がる私の裾をオクムラが掴むと、そのまま、再度席につかされた。


「話を戻そうか。それぞれの『国』の社会的情勢や文化を反映して多種多様な『音楽』が生まれているんだ。けれども、全ての音楽は一定のリズムを刻んでいる。なぜだと思う?」


「さあ、見当もつかない」


「それはね、ニンゲンの持つ心臓の鼓動のリズムが大きく影響しているからなんだよ。だから、ニンゲンの体で聞く音楽は、妙に心に刺さるのさ」


「なるほど」


 私は、水を飲む。


「いいから聞いてみなよ。君もお気に入りの一曲が見つかるかもしれないぜ?」


 興味のなさそうな態度に眉を顰めると、オクムラは、イヤホンというこの星の音楽を聴くための端末を差し出した。それを私の耳に差し込むと、慣れた手つきで機械を操作する。


「この曲は好きだ」


 いくつかの曲を聴くと、一際穏やかな、今日伊藤と会った時のように穏やかな空を連想させる曲が流れ始めた。


「お。いいチョイスしてるじゃないか。」

「題名の意味はなんだ?」

「トップ・オフ・ザ・ワールド。世界の頂点っていう意味だね。歌詞の殆どは『あなたのお陰で私は世界で一番幸せです』って賛美する内容だよ。君らしからぬ明るさだ!」


 ケラケラ笑うオクムラ。私は全て無視して曲に没入する。

 歌うというよりも、軽やかに歩いているような風景が浮かび上がる。ちょうど先ほど、伊藤が信号機を無視して飛び出していったことを思い出した。

 今思えば、あの無鉄砲さにも、彼女の死生観が現れていたのかもしれない。


「この曲はちょっと裏話があってね。兄がピアノを弾き、妹が歌を歌い、母がマネージャーとして二人を管理していたんだ」


「『美談』というやつじゃないか」


 私が思うままのことを言うと、オクムラは首を横に振った。


「けど、母親が兄を贔屓するあまり、妹は拒食症になってしまったんだ」

「これだけ多くの美味な食事を拒絶するなど考えられないな」


 私は、テーブルに備え付けられた商品の一覧を眺める。色とりどりの色彩を施された完備な食事達に思わず、唾液が分泌される。


「痩せれば痩せる程、母親から評価をもらえるのではないかと躍起になっていたらしいんだよ」

「なるほど」


 例え評価が上がるのであろうと、私はとても食事を手放すなど、できそうにもなかった。


「この矛盾こそ、ニンゲンの面白いところだよねぇ」


 そういうと、オクムラは私の耳からイヤホンを取り去った。


「ここからが本題。首尾はどんな感じだい?」

「一つ、可能性がある相手がいる」

「おお、珍しく早いね」


 ————私達、地球調査隊の調査内容は『ニンゲンの死』についての調査である。自らの手で殺すのではなく、対象が生存していた際の状況や感情、そしてそれらがどのような末路で終焉を迎えたのかを記録に入れる必要があるのだ。

『死』と言う概念を持たない私たちにとって、生物の『死』までの過程は大変興味深く、母性における研究対象かつ娯楽として人気を博している。

 私たちはその映像資料の作成、および死体の回収を課せられているのだ。


「僕は、点でダメ。治安の悪い都市部だったらすぐに死にそうな人間も見つかるかと思ったけれど、どうも無理そうだ」

「無理もない。思った以上に法整備が整っているからな」


『日本』という国の担当になった私達は、まず最初に、人間社会に溶け込むために死体を捜索した。比較的最近に没した死体を見つけるとそれらを乗っ取り、自身の細胞と繋ぎ合わせることで擬似的な蘇生を行う。その後、『母体』の持つ記憶を頼りに調査を行うのだ。


「と言うことは、今君が関わっている可愛い子が『例の相手』かい?」

「ああ」


 そう応えると、オクムラは大きな反応を見せた。


「それは凄いな。あの子、イトウサヤだろう? 僕が調査を開始して以降、よく広告や番組で見かけた子だよ!」


 心なしか、オクムラの瞳孔が開いている気がする。私はなんだか嫌な予感がした。


「どうせ君は知らないだろうが、あの子は凄いんだぜ? 現役高校生ながら国内最大手のアイドルグループで不動のセンターを飾るばかりか、その圧倒的な美貌と歌唱力でファンを獲得し続け、先日単独での武道館ライブを行ったんだ!」


 捲し立てるように語るオクムラに、私はため息をつく。こいつは、いつもこうだ。

 調査先の惑星の文化や知識に没頭するあまり、本業を超えてのめり込み、調査を滞らせるのだ。


「それは凄いな。調査、進めておけ」


 私はそれだけ言うと、オクムラの前から去った。去り際に『サイン』だか、『握手』だか叫んでいたが、全て無視して伊藤の待つ新江ノ島水族館へと向かった。

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