仮定の味
「じゃあ、沙耶ちゃんがマルゲリータで、お友達さんがカルボナーラね。直ぐ持ってくるからちょっと待ってね」
我々二人の注文を反芻する、給仕の中年女性。
鎌倉に住んでいた老夫婦の古い住居を改装して建てたというこの飲食店は、漆喰の壁に昼の陽光が合わさり、来訪者を歓迎するような柔い光に包まれている。
「ありがとうございます。叔母さんのお料理久しぶりだから、楽しみです!」
その明るい雰囲気に負けない程に、輝かしい笑顔を携えて答える伊藤沙耶。
その笑顔にうっとりとした様子で給仕の女性は厨房へと消えていった。
つい先ほどまで、「沙耶ちゃんが学校のお友達を連れてくるなんて珍しい」だとか、「絶対に誰にも言わないから安心してね」など、激励のような言葉をけたたましく掛けていた彼女がいなくなると、時間が止まったかのような静寂が現れた。
同時に、伊藤沙耶から笑顔が消える。元から何も感じていないかのように、括り付けられた、不気味なほどに正確な位置に配置された顔面。
先ほど海にいた時と異なるのは、その表情だけでは無い。
伊藤沙耶は、海兵由来の制服、『セーラー服』から、私服へと着替えていた。
私達がこの飲食店を来訪するや否や、海水が滴る姿を見かねた伊藤の叔母は、自身の服を彼女に差し出した。
私が装着しているのは、淡い青空のような色の『ブラウス』と、闇夜のような黒の『ロングスカート』である。
一見、私が着用している『シャツ』と類似しているが、よく見ると、ボタンの配置が私のものが右前であるのに対して、彼女のものは左前に縫い付けられている。
その理由を叔母に尋ねてみた所、元々ブラウスはヨーロッパ貴族が着用するものであったらしく、侍女に着替えをさせる際に、左側にボタンが縫い付けられている方が効率的で合ったことが由来していると回答された。
階級社会に基づく服飾文化に少し興味がそそられるが、この手の調査はアイツが行うことだろう。私は、あくまでも目の前の伊藤沙耶に集中すれば良い。
そんな事を考えていると、彼女は、長くきめ細やかな黒髪を束ね、一つに括った。
別段、人前で話すこともなく、厨房から時折聞こえる、調理音と食器が重なる音を聞きながら、私は無言で食事が到達するのを待った。
数分後、青い花柄の枠で彩られた皿に盛り付けられた、『ピザ』と『パスタ』なる料理が私たちの食卓へと運ばれてきた。鼻腔が芳しい香りを感じ取り、呼応するように流涎が口内に分泌される。流涎を飲み込む。まだ口内に海水が残っているのだろうか、少し塩味がある。
眼前には、鳥の卵黄や乾酪などを混ぜ合わせたソースをベースとした『カルボナーラ』から湯気が立ち上っている。優しく撫でるような、甘い香り。
この惑星に来て初めての食事に、私の心は踊った。
本来、私達の種族は食事を必要としない。空気中に無数に存在する粒子から栄養を摂取しているためだ。しかし、他種族をのっとると、彼らの骨格や内臓の影響から、その種族に応じた栄養の摂取が必要となるのだ。
「いただきます」
伊藤沙耶と共に、この国における食前の祈りを済ませると、斎藤の知識を掘り返し、見様見真似で突き匙や匙を用いて麺を掬い上げ、口内へと運ぶ。
カルボナーラを口内に入れた瞬間、卵黄の持つグルコースや熟成されたチーズの持つラクトースなどが混ぜ合わさった深みのある甘さが、麺の持つ塩気と合わさった。
少し硬めに茹でられた麺を、歯で噛み切る感触を堪能しつつ、ソースと共に喉の奥へと受け入れ、入店と共に提供されたミネラルウォーターを飲み干した。
「美味い」
私は、感嘆を抑えることができなかった。ここまでの美味さを持つ料理は、今まで派遣された惑星の中でも珍しい。
「でしょ。叔母さんのお店は鎌倉でもトップレベルの人気店なんだよ」
等間隔に美しく裁断された『マルゲリータ』を頬張る伊藤沙耶。唇から伸びたチーズが彼女の顔ほどの長さまで伸びている。
「ああ。素晴らしい腕前だ。こんな美味い料理を食べるのは、生まれて初めてだ」
「大袈裟過ぎ」
油がついた細い指をハンカチで拭きながら、伊藤沙耶は苦笑した。
この光景だけを見ると、給仕であり料理人でもある伊藤沙耶の叔母が勘違いしたように、『恋人』の仲睦まじい逢引きのように思えるのかもしれない。
しかし、
「まあ、でも」
あくまでも先程の女性に、聞こえないように配慮した声で、伊藤沙耶は口を開いた。
「死ぬためにご飯を食べるなんて矛盾しているけどね」
そう。私達は、そのような健全な関係性などでは決してないのだ。
「そうだな」
私は、再度カルボナーラを口に運ぶ。やはり、美味い。
「嫌になるよね。『死んで、消えてなくなりたい』っていう気持ちを無視してお腹は減るんだから。ま、美味しいから食べるんだけど」
再度マルゲリータを食す伊藤。甘美な食事を口にしても、彼女の目はどこか虚だ。
まるで、先程の海のように、力強く濁った灰色の光が瞳に点っている。
海で、私は伊藤沙耶に一つ『提案』をした。
「どうせ死ぬなら、復讐として、多くの人間に影響を与える自殺を模索しないか」と。
当初、伊藤沙耶は、何故私がそこまで彼女の『自殺』を手助けしようかを訝しんでいる様子だった。ただのクラスメイト、それも不登校気味で、犯罪に手を染めているような連中と絡んでいる生徒が、何故そこまで手助けをするのか、とでも考えていたのだろう。
実際、彼女は私に質問を返してきた。
「なんで、そこまで私を手伝うの」
「あんたは私に死んで欲しくないって言ってなかった?」と。
私は、斎藤の記憶を参照に、
「美術作品として、伊藤の死に様や死体の絵を作成したい」と伝えた。
嘘はついていない。実際、斎藤は生前から『死』の意義や、古今東西のそれに関する作品、そして自分らしい『死』に関する制作に興味を持っていたからだ。
私の話を聞いて、彼女は、不本意ながらも納得したようだった。
そして今、今後の英気を養う為にも、彼女の親戚が営む隠れ家的飲食店を訪れている。
だが、まだこの契約は完全では無い。私はまだ彼女に伝えていないことが多くあるが、それは彼女も同じであろう。まずは、彼女の根底にある願望を引き出すことが急務だ。
「ねえ」
私は、一心不乱にカルボナーラを食べる手を止め、彼女に視線を向ける。
「残り、食べてくれる? もうお腹いっぱいだ」
申し訳なさそうに、皿をこちらに差し出す彼女。
視線を落とすと、6分割されたピザのうち、3枚しか減っていない。これだけ腕前がある料理人が提供したものにも関らず、食指が進まないのは、彼女の『アイドル』としてのプロ意識の名残か、それとも不安定な精神に伴う拒食反応なのだろうか。
「感謝する」
しかし、『マルゲリータ』の味も気になっていた私は、その理由はなんであれ、ピザを食べられるのが嬉しかった。
卓上で支払いを済ませ、軋む廊下を辿り、正面玄関から店外へと向かう。
すると帰り際、伊藤の叔母が店先まで見送りに出てきた。
「とても美味しかった。ここまでの料理は久方ぶりだった」
私は頭を下げて、彼女に最大限の賛辞を送った。
すると、「またいつでも来てね」と叔母が困ったように微笑んだ。よく見ると、目尻に小さなシワができるなど、笑った表情が伊藤沙耶の笑顔と少し似ている。
横に佇む伊藤沙耶に視線を向ける。
その屈託のない柔らかな叔母の微笑みは、伊藤にはどのように映ったのだろうか。
彼女も明るい声で、「また来ます! ごちそうさまでした!」
と返していたが、その真意は定かではない。
世間的知名度の高い彼女のことを考慮して、人通りの多い路地を避け、住宅街を練り歩く。
先ほどは、私の要望で食事を取ることとなった為、今度は、彼女の順番である。
と、子供のように主張した伊藤沙耶に促されるまま、新江ノ島水族館を目指す。
『水族館』は、海洋生物の保全とそれらを用いた興行を行う施設である。惑星の生態系を学良い機会になるだろう。
周囲を見渡す。ニンゲンで埋め尽くされていた鎌倉駅周辺とは異なり、国内有数の観光地と言えど、一般的な住宅街と同様ニンゲンの個体数もまばらだ。特徴を強いて挙げるとすれば、一つ一つの建造物に年季が入っていることくらいだろうか。
さしあたって重要な情報はないと判断し、前を歩く伊藤沙耶に声をかける。
「方向はこっちで合っているのか?」
「うん。何度か撮影でここら辺歩いたことあるから土地勘あるんだー。っていうか、
こういう時は自分でスマホ使って女子をリードするんだよ。モテないぞ」
先ほど叔母から提供されたブラウスとスカートをそのまま着用している伊藤沙耶。
これまた同様に、叔母から渡された『サイダー』を片手で弄びながら、軽やかな足取りで先を歩く。
「私はスマートフォンを持っていない」
「ま、まじ!?」
立ち止まり、驚いた表情で振り返る伊藤沙耶に対して無言で頷く。
「はー。呆れた。あんた本当に私の自殺手伝ってくれるんでしょうね?」
「その点は任せろ。幾つか考えがある」
「そう」
伊藤沙耶は、サイダー缶を開いた。炭酸ガスが溢れ出る音が耳に心地いい。
しばらく無言で歩いた後、本題へと進む。
「幾つか質問があるんだが」
「どうぞ」
「まず、自殺を用いて復讐する対象の再定義をしたい。お前は一体誰に復讐したいんだ?」
「……お前じゃない。私には伊藤沙耶って名前がある」
「済まない。伊藤……は、誰に復讐をしたいんだ?」
無言のまま、砂利道に入る。彼女のローファーが砂利を踏み鳴らす音だけが住宅街に吸い込まれてゆく。
「さっきも言ったけれど、業界の奴ら、両親、あと人の事情も知らないで好き勝手いうクラスメイトとかかな」
「程度の強弱はあれど、伊藤に直接関係のあるニンゲンに限り、 ファンやその他のニンゲンに対しての憎しみは無い。そんな認識でいいか?」
「そう、だね。むしろファンの人達には感謝と申し訳なさの方が強いかな」
「成る程」
再度の無言。中年の女性が建造物の2階で衣服の清掃をしている住宅を曲がると、車道を伴う歩行者通行路に出た。海岸線から緩やかな風が吹き、先ほど海で感じた『死の匂い』が再び香る。
「だったら、何故、自殺をする必要があるんだ?」
「え……?」
歩きを止め、衣服をたなびかせて振り返る伊藤沙耶。
呆然と立ち尽くす彼女の横を、自転車に乗ったニンゲンが不愉快そうに駆け抜けていく。
「復讐の手段として自殺を用いるならば、1番の被害を受けるのは『伊藤の生を望む人々』である筈だ。元より、伊藤の存在を軽視しているニンゲン達は、たとえ伊藤が消えたところで、さほどの衝撃も喪失感も感じまい」
「じゃ、じゃあどうしろって言うのよ……!」
予想していた通り、激情をあらわにする伊藤沙耶。
「私なら殺せる」
「……は?」
「私はスマートフォンを持っていないと言っただろう。その理由の一つが自身の行動範囲を特定されない為だ。君も現代人なら知っているとは思うが、私たちはスマートフォンを使う事で多くの情報を抜き取られる事となる。先程君がレストランで使った支払い機能を使えば、ある程度の行動範囲を特定可能であるし、君が今使っている位置情報アプリの端末を調べれば、君の現在地が把握出来る。だが、私にはそれが無い。私が存在するかどこにいるかを証明するには、監視カメラか目撃する人々の目。その二つしか無い」
おまけに、私には、模倣能力がある。
例え目撃情報が出ようとも、新たな死体さえあればその都度姿を変えて人間社会に溶け込むこともできる。原住者の生存を脅かすような大量殺害以外の行動であれば、上層部も目を瞑る事は、我々調査隊員には共有されている。
「な、何が言いたいのよ」
「伊藤が必要といえば、私はそのニンゲン達を殺す事もできる。そう言いたかっただけだ」
彼女の真意を確かめるには、一度現実を突き詰めるしかあるまい。
私が考えるに、彼女の自殺願望の根底になるのは、『絶望』や『復讐』などと言った、短絡的な理由では無い。あの時、私が屋上で見た彼女の瞳には、明確な、宇宙に瞬く凶星のような、黒い希望が点っていた。
私は、それが知りたい。
「わ、私は……」
彼女が何かを話そうとしたその瞬間、私の頭部に破れるような振動が響いた。
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