第9話
都会から離れたこの山々が冬の眠りから醒めるのは、意外にも早いものです。
まわりには季節を邪魔する物はなにもありません。山や森全体が、新しい季節の訪れを全身で表現してきます。そしてこの冬は例年よりも雪は多かったものの、比較的暖かったようで、道路に積もっていた雪は早い時期から大部分が溶けてしまいました。
「さおりちゃん、おはよう~」
ようやく小鳥たちが伸び伸びとさえずりができるようになって、森の中がにぎやかになった朝、元気な女の子の声が静けさを破って聞こえてきます。
「おはようございます。あれ、つぐみちゃんはどうしたんですか?」
「小鳥さんの餌台に朝ご飯あげてるよ。そっと見てみる? 今朝はずいぶん待ってるの見えたから今朝はたくさん集まってるよ」
学校に出発する時間にはまだ少しあったので、まなみはさおりを連れてそっと自分の家の庭が見えるところに案内しました。
「ほら、あそこ」
「わぁ~、すごーい……」
そこまでつぶやくと、さおりは口をぽかんと開けたまま、その光景を見に入りました。
「本当につぐみちゃんですか? なんだか絵本の中のお姫様みたい…」
彼女が驚くのも無理はありません。さおりの知っている限り、森に住んでいる野鳥たちは人間を怖がって、滅多に近づいて見ることはできないはず。実際にさおりが一人でいるときは、鳥たちの声は聞こえても、近くに寄ってくることはありませんでした。
それが今、庭の餌台を準備してるつぐみのまわりには、本当にたくさんの小鳥たちが集まってきているのです。中には彼女の肩や頭にとまっているのもいます。
「お姉ちゃんは小鳥と本当に仲がいいんだよ。絶対にいじめたりしないからね。私はリスとかウサギとか小動物の方が多いかな」
まなみの言うとおり、小鳥たちにかこまれて、つぐみは本当に嬉しそうでした。それに、近くに来ている彼らに話しかけているのです。あれだけ用心深い野鳥がつぐみにとってはまるで慣れた手乗り鳥のようにおとなしくしているのです。
「さおりちゃん、おはよう。こっちに来ていいよ。一緒なら平気だから」
つぐみは、一通りの作業を終えると、まなみとさおりを呼びました。
「逃げたりしませんか?」
「平気だよ。無理に捕まえたりしようとしなければね。じっとしていればあっちから近づいてくるから」
実際にさおりが近づいても、最初は少し警戒していた様子の小鳥たちもすぐにまた安心したように餌をいばみ始めました。
「こんなふうにできるのにどのくらいかかったんですか?」
「そうだねぇ……。小鳥の方が時間かかったねぇ。毎日あげながら様子見てたらいつの間にかなついてくれていたね。もう親子で来ているのもいるよきっと」
学校に行く時間になっていたので、つぐみも庭のテーブルに置いてあった鞄を取ってくると、いつものようにバス停に向かいました。
「もう少し暖かくなると冬眠していたみんなが起きてくるよ。もっと今年は春が遅いと思っていたのにね」
さおりと初めて会った日、雪の中の帰り道で「今年は春が遅いかもしれない」と言っていたつぐみは、道路脇に積まれた、まだ溶けきっていない除雪の雪山を振り返りながら話しました。
「いよいよ明日までだよね」
まなみは明日が待ち遠しくてたまらないという顔をして言いました。
「はい。今までが嘘みたいです。こんなに調子よかったの初めてですから」
いよいよ明日、この山奥の学校も短い春休みに入ります。そして、それは同時にさおりの体の試験が終わる日でもあるのです。これで彼女が病室に戻ると言うこともしばらくないはずでした。
「さおりちゃんはこの後どうなるかまだ決まっていないの?」
「そうですね。まだハッキリとは決まってません。来週、病院に行って精密検査を受けることになってます。その結果で決まると思います……」
彼女は不安そうな目をして遠くを見つめました。
「そんなに心配しちゃダメだよ。さおりちゃん一生懸命頑張ってきたんだもん。きっと平気だよ」
実はさおり以上に、数日前からこのことが頭から離れなくて困ってしまっていたのは当の彼女自身ではなくて、まなみだったのです。
二人の経験からすると、これだけ元気になれば、あとはしばらくこちらで体力を付ければ、自分たちのように元気になれると言うことを確信していました。それよりも、むやみに他の場所に引っ越しをすると、また体調を崩してしまうのが目に見えていましたし、それよりも、せっかくのお隣さんがいなくなってしまうのが嫌で仕方なかったのです。
とにかく、まなみは自分の気持ちをどうすればいいのか分からなくなってしまいました。そして、最近はずっとあまり眠れない夜を過ごすことになっていたのです。
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