第8話

「さおりちゃん、本当に身体の調子が良くなってきてよかったね」


「はい、本当にこっちに来てから身体が嘘のように軽くなったんです。最初のうちは危なかったときもあったんですけど、発作は起きないで済みました」


 さおりがこちらに越してきてからというもの、初めての場所ということなので、さおりもまなみたちもその環境の変化に一番気を使っていました。


 学校に通うようになった翌日に、さおりは気分が悪くなって早退したことはありましたけれど、その後は体育を除いた授業も他の子たちと一緒に受けても問題はありませんでした。


「わたし、こんなに楽しい毎日になるなんて思ってませんでした…」


「思ったよりも早く効果が出たみたいだよね。本当によかった。どう? 春休みまでこのままで行けそうかな?」


 つぐみもそれが一番気がかりでした。とにかく春休みまでは無事で終わってくれることをクラスのみんなも祈っているのです。


「そうですね、結果を見てからでないと分かりませんけど、このままなら、しばらくここで暮らすことになるかと思います」


「それなら大丈夫だね。私たちももう都会には戻れないかもしれないしね……」


 最後の方はまなみも言いにくそうでした。確かにこちらではすっかり元気を取り戻し、健康そのもののように見えますが、空気の悪いところに行くと、すぐに気分が悪くなってしまうことも多くて、この土地を離れることはできないと考え始めていたのです。


「わたしはそれは平気です。どこにも行くところもないですし……。まなみちゃんは辛いんですか?」


「うん……、こっちに引っ越したことで友達もみんないなくなっちゃったし……。つぐみお姉ちゃんはお手紙もたくさん書くから、文通の友達もいるんだけど、私はそういう事苦手だから…」


 さおりはまだここでの新しい発見の毎日の生活ですが、ここに暮らし始めて4年目になるまなみには、少々ここが寂しい場所になってきてしまっていたのも事実でした。


 前に住んでいた街の友達が訪ねてくることも時々ありますが、それはほんのわずかなお休みの時期だけで、普段はこの山間の町の中で、お客さんもほとんどありません。


「さおりちゃん、もし体が良くなったら、また街に戻っちゃうの?」


 そんなまなみにとって、お隣に引っ越してきたさおりは本当に待ちこがれていたお友達を作るチャンスだと思っていたのでした。ですから、さおりがこの春休みまでの期間を無事に過ごせた後のことが気がかりでならなかったのです。


「まだ分かりません。でも二人と同じように、きっと元の場所にはもう戻れないと思います。でも、他に行くところもありません……。もし許されるならここにいたいんですよ」


 まなみもつぐみも、1週間前に初めて会ったときに比べると、さおりの様子は見違えるように元気になっているのが分かりました。あの日は、お家の中にいても青白かった当初の顔が、今では暖かくなってきたとは言っても、この山の中の寒い河原にいてもきれいな肌色を赤みがからせて笑っていられるのですから。


「わたし、家族に話してみます。もう病院には戻りたくないし、そうかと言って戻る所もないんですから」


 さおりは二人の複雑そうな表情から、はじめて自分を必要としてくれる友達ができたように感じたのでした。



 帰り道、さっきの沈んでしまった空気はどこに行ったのか、まなみは今まで姉妹だけの秘密だった場所をたくさんさおりに教えていきました。


「ほら、あそこの木の幹に穴があるでしょ? あそこはアカゲラの巣。この辺は小鳥の巣穴がたくさんあるの。その代わり虫も多いけどね」


 他にもウサギの巣穴や、鹿の通り道など、きっとこの辺でもこの二人しか知らない場所がたくさんあります。


 さおりは時間を忘れてまなみの説明を聞いていました。今までこんな自然の中で遊ぶことなどほとんどありませんでした。それどころか自分の足でこんなに歩き回って過ごすなど、少し前までの自分には信じられないことだったのです。


 気がつくと、山間の町にはもう夕焼けの空がかかっていました。少し薄暗くなって、行きの道も分からなくなっていたさおりを安心させるように、まなみとつぐみは少しも迷うことなくさおりを家まで送り届けてくれたのでした。


「今日は、本当にありがとうございます。こんなに楽しかったの生まれて初めてでした」


「暖かくなったら、この辺の新緑はどこにも負けないからね。そのときに一緒に遊べるようにお願いしてね」


「はい」


 まなみの珍しく真剣なお願いに、さおりはすぐに答えたのでした。



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