一時帰宅編
第60話 植物園
(よし、行ける)
早朝。日が昇って間もない頃。
自室で起床したモーズは肩に痛みがほとんどない事を確認し、固定具を付けなくていいという判断をし、支度をすると寄宿舎を出た。
(フリーデンは「身体に寄生するアイギスが回復を早めてくれる」、と言っていたがここまでとは。民間の治療にも役立てそうだ。ただこれはアイギスが見定めた宿主にだけに施す機能、となると実用化は難しいか。一度寄生をさせたら、半永久的に血を与えなくてはいけないのだし)
クスシ達に与えられる寄生生命体アイギスは、宿主を守る為にその身を呈するだけでなく、ある程度の治癒も施してくれるのだという。
そういえばアイギスを使いこなすフリーデンらは、時たまアイギスを身体から分離、つまら皮膚から出したり入れたりしていたが身体に穴が空くなどという事はなく、直ぐに細胞を繋ぎ合わせ修復していた。
脱臼に伴う腫れが一晩でほぼ引いたのも、その治癒機能の応用だろう。
(私も早くアイギスを使いこなせるようにならなければ)
焦る気持ちをどうにか押えつつモーズが向かったのは、ラボの白い巨塔の北側に作られた巨大サンルーム。
古今東西ありとあらゆる植物を集めた、植物園であった。
「これは、素晴らしい……っ!」
サンルームの二重扉の間で衣服と靴の殺菌除菌、掃除機による微物吸引を済ませてから足を踏み入れた植物園は、庶民から金銭を取れるレベルの広大さと壮大さを持っていた。
整備された歩道はあるが、そこを覆い隠すように枝葉を伸ばしている植物も多く、見通しは非常に悪い。最早、樹海と言っていい光景。所々に設置された案内看板がなければ簡単に道を見失い、サンルームから出れなくなるだろう。
これでラボの一施設だというのだから驚きだ。やはり予算が潤沢である。モーズは感心しつつ、ひとまず出入り口付近に植えられた植物から眺め始めた。
「トリカブト、トウゴマ、シキミに彼岸花に鈴蘭に水仙。こちらは紫陽花に朝顔か。む、デスカマスにドールズ・アイズにジャッカル・フードにマンチニールの木もあるな。ふむ、これは一般解放したら死者が出る」
モーズは深く頷きそう言った。
出入り口付近で目に付いた草花だけで、既に猛毒植物が列をなして群生している。
中でも一見すると普通のリンゴの木に見える『マンチニール』は全身に毒があり、幹や葉に触れるだけで激しい痛みをもたらす毒植物。その実も「死の小リンゴ」と称される程の毒果実だ。
「おや、これはオンガオンガだな。特に囲いもなく植えられている所が凄い。うん? 向こうに植えてあるのはオオミフクラギにアコカンテラ・オブロンギフォリアに……ジャイアント・ホグウィードもか!」
オンガオンガ。刺草科の植物。
オオミフクラギ。常緑高木。
ローレルジンチョウゲ。常緑低木。
ジャイアント・ホグウィード。多年生植物。
全て、素手で触れれば樹液から毒を貰ってしまう危険な植物である。
「何と見応えのある……! 標本が欲しくなるな……!」
そんな、ぶっちゃけウミヘビのネグラと大差ないレベルの危険地帯である植物園に、モーズは興奮が抑えられなかった。
何せ彼はこの世で最も好きな物を訊かれたら「植物」と即答する程の植物好きで、世に蔓延る珊瑚症が深刻でなければ植物学者かプラントハンターになりたいと考えていた程だ。
ちなみに以前、水銀を花に例えたのもこの趣味で得た知識を引っ張り出した結果である。
「片端から写生をしたい……。いやそんな時間ないが……。今日が休みならば、一日中ここに籠っていただろうな。危なかった」
気分を落ち着ける為にと思い出勤時間前に植物園へ訪れたモーズだったが、逆にはしゃいでしまっていけない。軽く見回しただけで希少植物と対面出来ると思っていなかったのだ。
何なら生涯、生で見る事は叶わないだろうと考えていた植物まであるのだ。興奮するなと言う方が無理であった。
「海辺で細波を眺めていた方が余程、心を落ち着けられたか。失敗したな。……しかし出勤時間までまだ余裕がある、もう少し居てもいいか……」
欲望に負け、モーズはふらふらと吸い込まれるように植物園の奥へと足を進める。
植物園は広さを活かしエリアごとに環境を変えているので、移動すれば高山植物が見られたと思えば南国の植物が見られるなど、全く飽きが来ない。
この中毒性はいけない。と理解しつつもモーズはもう少し、もう少しと更に先へ進んで、
「うん? 人……?」
花壇の前でしゃがみ込む、白衣を身に付けた男性を見付けた。
白い狐をモチーフにしたフェイスマスクを付けたその男性は、降ろせば肩ほどの長さだろう黒髪を後頭部で結っている。
その髪質といい、露出している素肌の
故に恐らく、日本人だ。
(アバトン内でフェイスマスクを付けているという事は、クスシか)
初めて出会うクスシ。
彼の片手には象をあしらったピンク色のジョウロが握られていて、それで花壇の植物に水遣りをしているようだった。落ち着き払った渋めの外見に似合わない、随分とファンシーなデザインのジョウロだ。
「その、おはようございます」
モーズはまずは挨拶と、そのクスシに軽く会釈をする。
しかし彼は一切こちらに顔を向けず水遣りを続けている。端的に言うと無視をされている。
「ええと、私の名はモーズと申します。先日、オフィウクス・ラボに入所したばかりの新人です」
構わず一方的に話しかけてみるが、一切の反応を返してくれない。
耳が聞こえていない、という訳でもないだろう。補聴器は付けていないし、空調で揺れる草花の音には反応を示していた。つまり意識的に無視を決め込んでいる。
「喋るつもりはない、と。参ったな。フリーデンに紹介して貰うしかないか?」
対話を拒否するクスシに対してお手上げ状態なモーズは、親しいフリーデンに頼ろうかと思案した。
「……フリーデン?」
すると初めて、クスシがモーズの言葉に反応を示す。
「君はフリーデンと、親しいのか?」
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