第11話 花刹山の噂



 雪が融けないと噂だった花刹山に、春が来たという話は、絵森郡中を、果ては日ノ本中を駆け巡る。人々の口に戸は立てられない。噂は七十五日とはよく言ったものだが、春の桜や藤が咲く花刹山に目を奪われる者は多く、その度にまた噂は流れる。


 ――濡卑の一座と雛原の民が、雪童の加護を得た。

 ――手を出したら、雪童に祟られる。

 ――だから、何人たりとも、決して手を出してはならない。


 麓のいくつかの村では、既に常識のように語られるようになった。また時折山を下りてくる、新しい村――花刹村の者とは、加護に預かれるとして、交易を喜んで引き受けてくれるようになった。落葉村の人々の濡卑に対する認識も変化したが、花刹村の者達は、そちらにはあまり行かない。また黒装束の濡卑を見て、狐面の下にあったのは、ただの人間の顔だったのだという噂すら語られる。既に誰もが、腐肉については語らなくなっていた。


 あるいはそれは、悪意ある言葉を放って、雪童に祟られることを恐れてかもしれないが、それでも構わない。花刹村は、少しずつ大きくなっていくのだから。


 ――ただし、雪童がいることは、決して忘れてはならない。




「と、このように噂を流しておきました」


 そう言って昭唯が笑った。


 思わず吹き出して笑った透理は、新しい森羅寺の境内で、昭唯と並んで立っている。寺は小高い場所にあるので、新しい村が、みんなで作った村が、よく見える。


 完成しつつある村や畑を見ながら、透理はチラリと昭唯を見た。昭唯もまた、透理を見ていた。


「貴方も大分村長らしくなってきましたね」

「そうかもな。昭唯のおかげだ。皆をまとめる時、いつも手伝ってくれるものな」

「もっと私の功績を認めてください」

「うん。感謝してる」

「っ……素直に言われると照れますね」


 それから透理は昭唯と視線を合わせる。そしてどちらともなく破顔した。

 このようにして、二人の新しい日々は、静かに始まった。それは穏やかに、幸せに。


「ところで、透理」

「なんだ?」

「――帰ったら気持ちを教えてくれるのでは無かったのですか? もう一冬越してしまいましたが」

「それは……バタバタしていたから……というのは、言い訳だな」


 透理が苦笑する。それから立ち上がり、階段を降りてから、昭唯の正面に立った。すると昭唯も立ち上がり、降りてきて透理の隣に立つ。少しだけ己より背が高い昭唯を、透理は小さく見上げる。


「昭唯……その……もう一度聞いてくれ」

「ああ――私の事を、どう思っていますか? 『好き』か『友人』か」

「……選択肢が無い」

「えっ、まさかの『嫌い』だなんて……?」


 昭唯が衝撃を受けたような顔をしたので、慌てて透理が首を振る。その頬は朱い。


「そうじゃない」

「あ」


 すると思い至った様子で、ニッと昭唯が笑う。


「私を、『相棒』だと思ってくれているのですか?」


 その声に、俯きがちに、小さく透理が頷く。恥ずかしくて、顔から火が出そうだった。


「……思ってる。昭唯も同じように思っていてくれたら嬉しい」

「どうしましょうか」

「え……?」


 すると今度は昭唯から、とぼけるような声が返ってきたものだから、虚を突かれて透理が顔を上げる。


 ――もう、自分の事を嫌いになってしまったのだろうか? あるいは、無関心?


 一冬という時間は長かった。村の雑事をしているとあっという間だったが、気が変わることは十分あり得る期間だ。


「私は相棒よりも、親友になりたいのです」

「えっ?」

「そもそも透理が私のものだと、触れてまわりたくて。彩様だとか、あの辺りに、きちんと分からせておきたくて。いかに私達が仲良しなのかを」

「? 彩がどうかしたのか?」

「いいえ、別に嫉妬していたわけではありませんよ。しかし嬉しいものですね、同じ気持ちとは」

「あ、ああ……」


 昭唯が透理に飛びつく。抱きつかれながら目を丸くした後、透理は柔らかい笑みを浮かべた。まるで春の日射しのような笑みだった。


 ――このようにして、二人は親友になったのである。


 以後、四季が巡るようになった花刹山の中腹の村では、仲睦まじい村長と法師の姿が見られるようになったのだとか。


 もう濡卑としての旅路は終わりであり、透理は安住の地を手に入れた。それは、昭唯の隣である。いいや、腕の中だろうか。幸せに満ちた初夏、透理は山道を歩きながら、チラリと昭唯を見る。


「どうかしましたか?」

「い、いや……その、好きだなと思って。友達っていいものなんだな」

「私の方が友愛の情の比重が深いこと、お忘れのようですが?」

「そ、そんな事はない!」

「あります」

「ない!!」

「あります」


 そんな言い合いをしてから視線を合わせ、透理は破顔した。


 嬉しくなって、透理は瞼を伏せつつ、幸せを噛みしめる。隣を進み、手を繋いでいる昭唯の温もりに浸りながら、しっかりと透理は目を開けて、前を向く。これが、透理の新しい始まりとなった。






  ―― 了 ――



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雪が融けない山で、心の氷が融けるまで 水鳴諒 @mizunariryou

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