第10話 ギオン

 透理は飛び込むように入った先で、姿勢を正した。


 正面に人がいる。見た事の無い服を着ていた。首元まで伸びた服、シンプルで模様の無い橙色から黄緑色に変わる服、まるで異国の服のようで、腰のとこで細い帯で留められている。だがそんな服装よりも、透理はその人物の顔に驚愕した。己とうり二つだったからだ。年齢も全く同じ年頃に見える。背丈も同じ、手足の長さもそうだ。違いは、己が黒装束に狐面と言うだけだ。そこで思い出し、透理は面を外して後頭部に回した。


 すると無表情のその人物が、声を放った。


「派手に遊んでいたようだが……ああ、その顔……それに隠力色。透理か?」


 己の名前を知っていることにも驚く。声まで自分と同じように聞こえた。


「……はい。俺は透理だ。貴方が俺の父上ですか? ギオン様か……?」


 透理は恐る恐る、窺うように声を出す。


「いかにも。して、何用だ? わざわざここまで来たのだから、なにか用があるのだろう?」

「――まずは、これを。花刹山の雪童、彩から預かりました」


 懐から、大切に持っていた勾玉を取り出し、歩み寄って透理は差し出した。すると一瞥したギオンは、顎で頷いてから、長い指でその勾玉を受け取った。そして掌に載せて握ると、温かな音が響いた。耳に入った瞬間、透理の脳裏に、春夏秋冬の光景が過った。不思議に思って、透理は眉を顰める。


「ふむ。『まずは』か? 他にも何かあるのか?」


 ギオンのその言葉で、我に返る。透理は続けてた。


「お願いがあります」

「申してみよ」


 退屈そうなギオンの声。一度長く目を伏せてから、しっかりと瞼を開き、透理は真っ直ぐにギオンを見据えた。力強い眼差しで、決意の色が滲んでいる。


「彩を解放してほしい」

「解放?」


 ギオンが気怠い空気を放ちながら小首を傾げた。


「貴方が主だと聞いた。つまり、貴方がもう仕事をしなくていいと命じれば、彩は好きに生きられるはずだ」


 透理が述べると、ギオンが腕を組む。そしてゆっくりと二度瞬きをしてから、再び、今度は大きく首を傾げてじっと透理を見た。その場に沈黙が横たわる。そこに生まれた時間は、透理にはとても長く思えたが、一瞬のことだった。


「それはまた愚かな考えだな。不自由であっても、決められた通りに動く方が、人は楽だ。お前もそうだったのではないか? 濡卑として、規則に押し込まれた生活、それから解放されても、どうしてよいのか分からなかったのではないか?」

「っ」


 何もかも見透かすような声音だった。

 ギオンの言葉が耳に入った瞬間、透理の胸がギュッと締め付けられたように痛んだ。

 確かに己も迷ったことがあるからだ。


 たとえば――恩返しをしたいと思ったけれど、どうしていいのか分からなかったではないか。だがそう考えた時、透理は自分の考えを逆に確固たるものとした。


「……俺は、迷ったこともありました。だけど、今俺は、一緒にいてくれた昭唯や、濡卑の一座の皆、雛原村の人々と出会い、そして彩に助けられて変わったんだ。俺は、助けてくれた彩に恩返しがしたい。だから、もし彩が迷ったら、俺が必ず道標になる。きっとそんな俺を、昭唯だって手伝ってくれるはずだ」


 きっぱりと言い切った透理を、暫しの間、ギオンは眺めていた。

 それから右手を緩慢に持ち上げて、掌を見る。そして目を伏せてから、嘆息した。

 ゆるりと流すように、再び透理に視線を向ける。


「そうか。ならば少し私と遊んでくれたのならば、解放方法を教えるとしようか」

「遊ぶ……?」


 今度は透理が首を傾げる番だった。


「その黒装束、お前は忍びなのだろう? 忍びは、地上において唯一、隠力を用いる術がある。日高見の血を引かなくとも、妖陣を構築できるだろう? あれは元々は、隠力だ」

「隠力とは一体……?」


 困惑しながら、透理は疑問をぶつける。


「私とお前が全く同じ色と指数を持つ、特異な能力だ。音を具現化し、糸のように扱うのが初歩だ。だが、ギオンの名前を襲名する者は、違う。『擬音』の名に相応しく、本物が無いにも関わらず、音を用いて存在たらしめる能力だ。たとえば、このように」


 ギオンが両手を広げるように前に出した。

 するとそれぞれの掌から、光糸が出現した。驚いて、透理は瞠目する。


 生じた光糸が、ギオンの腕へと絡みついていく。そしてどんどん光糸が生まれていく。光を放ちながら、糸が室内に広がっていく。輝くような光糸の姿は、幻想的ですらあった。


 透理が天井を見上げていると、天井の左右で光糸が収束していき、それぞれ首の長い龍の形になった。水神として知られる龍だ。腹が見え、開いた口には牙と赤い舌が見える。瞳は大きなつり目で、眼光が鋭い。蠢くように下には光糸があり、足は無い。


 ギオンを中心に、双頭の巨大な龍が出現したように見える。


「透理、お前にこのように隠力が使えるか? 使えなければ、ここで死ぬがよい」


 直後、二匹の龍が襲いかかってきた。

 透理は飛び退きながら、このような怪異は、己の忍術では倒しようがないと考える。


 焦燥感に飲み込まれた透理は、何度も木の床を蹴って待避した。だが、龍の口が迫りくる。二匹が透理に向かって大きく口を開けた時、そこにも光糸が発生した。それは球体に代わり、透理に向かって放たれる。別の光糸は透理の足と腕に絡みつき、動きを封じた。


 透理の体に、光糸で出来た球体がぶつかった。

 瞬間、頭の中で大きな音がした。


 大声で呪詛を吐く声。金切り声。混じった禍々しい音が溢れかえり、透理の脳裏を埋め尽くす。耳を押さえて、その場に透理は蹲り、唇を震わせる。


「分かるか? これは絶望の音だ」


 硬直した透理の体を、光糸が傷つける。腕に傷が付き、服が破れる。血が垂れていく。痛みに透理は唇を噛む。


 その時再び、球体が透理にぶつかった。

 すると辛いと泣き叫ぶ声が、脳裏を埋め尽くした。


「これが、絶交の音だ」


 次の球体が、透理の体にぶつかると、再び音が透理を苛む。


「これは、絶縁の音だ」

「っ」


 音に飲み込まれそうになっていた透理だが、ギュッと唇を引き結び、次に来た球体を避ける。絡みついていた光糸は、クナイで切り捨てた。


 ――光糸は、忍術においては、妖陣から出現するものだ。


 この前、昭唯が絡め取られた時だってそうだった。


 ならば妖陣を応用すれば、隠力というものに触れることだできるはずだ。


 ――冷静になれ。


 透理は己に言い聞かせる。


 するとドクンと心臓が高く啼いた。まるで三半規管に心臓が接着しているのかと思うほど、ドクンドクンと動悸が大きく聞こえる。その時、透理はハッとした。自分にぶつかってきたものは、全て音を持っていた。そしてギオンは、音で存在を創り出せると言った。ならば、この鼓動の音だって、使えるかもしれない。透理は攻撃を避けるのをやめ、きつく瞼を閉じる。そして心臓の音に耳を傾ける。早鐘を打っている鼓動の音だけに、集中した。


 次第にそれが大きくなっていくのを感じる。

 自分は、生きている。それは、みんなのおかげだ。優しくしてくれた、皆の。


 一人一人の顔が浮かんでくる。孝史や馨翁、三春や嘉唯。そして――昭唯。紛れもなく、今は言える。昭唯は自分の相棒だ。


 透理は音に思いを込めるようにし、掌に光糸が収束する姿を想像した。

 そして目を開けると、蹴鞠のような光糸の塊が生まれていた。


 触れていると、鼓動の音が響いてくる。そして温かい気持ちになる。これは、みんなが自分に教えてくれたものが奏でた音だ。透理はその球体をギュッと握る。

 そして真っ直ぐにギオンを見据えた。


「これは――」

「ほう、具現化出来たか」

「これは、優しさの音だ!」


 龍に向かって透理が球体を放り投げる。すると、それは虎になり、龍の首を食いちぎった。二体を次々と噛み、牙を立てた。少しずつその部分から金色の光となり、龍の体が消滅していく。最後に虎は、ギオンに向かって飛びかかった。


 だが手を前に出したギオンが、そこに空気の壁を作った。リオンが宙を歪ませたように、ギオンもまたその場を歪め、透明な膜を構築したようだった。虎が空気の壁で制止する。ギオンは、虎に手を伸ばし、その鼻を撫でた。


 そして――ふっと優しく笑った。初めての表情変化だった。


「ああ、優しい音色がするな。恵まれて育ったのだな、透理は」

「……ああ。俺は、恵まれています」


 はっきりと透理が答えると、頷き、それからまじまじとギオンが透理を見た。


「静子は元気か?」


 突然口から離れた母の名に、透理は言い淀む。


「……一昨年、亡くなって……」


 透理の声を聞くと、ギオンが今度は辛そうに顔を歪めた。


「……そうか。私は、ここに彼女を伴いたかったのだが、神子であった静子は、濡卑を見捨てられないと、私を振った。失恋した私は、ギオンの名を襲名して、長らく静子のことも、子が出来たら透理とつけてくれと伝えたことも、忘れられなかった」

「っ!」

「忘れたことは一度も無かった。だが、新しい愛を見つけて、今の妻と添い遂げることにした。そして授かったのがリオンだ。お前の名の『理』のあとに、しりととりのように続く名前を付けた」


 透理が目を見開く。


「そして将来ギオンになる――帝となる後継者は、皆『音』と名前に入れるから、それを併せてリオンとしたんだ。理音と書くんだ。仲良くしてくれとは言わないが、まさか私よりも先に会って、喧嘩をしているとは思わなかったぞ」


 苦笑するようなギオンの声は優しいものだった。透理は肩から力を抜く。全身にびっしりとかいていた汗が、引いていく気がした。どうやらもう、『遊び』は終わったらしい。


「……母上も、新しい愛を見つけて、俺にはそちらの弟もいます。三春といい、母にそっくりで、今は三春が神子をしています」

「知っている」

「――え?」


 その言葉に透理は驚いた。思わず首を捻る。


「兄と師が心配だと言って、先刻この御所入ってきたのだが、透理とお前の友はリオンと遊んでおったから、私のところに直接通した。今は隣室で菓子を食べているぞ」


 昭唯の事が心配で、透理は想わず声を上げる。


「えっ! って、あ……昭唯は!?」

「さぁて。放っておけ。その内こちらへ来るであろう。私達も菓子を食べるとしよう」

「……、……俺は、昭唯を連れてきます」


 沈黙を挟みつつ透理が述べると、くすりとギオンが笑う。


「そうか。優しいのだな。お前自身も」

「いいえ。優しいのは、昭唯です。俺の大切な相棒なんです」

「親しいのだな。ならば、行くがいい。戻ったら、雪童の民の解放方法を教えよう」


 その言葉に頷き、透理は踵を返す。そして扉をくぐった。




 ――透理が引き返すと、リオンが凍りついたように昭唯を凝視していた。


「昭唯?」


 透理が声をかけると、二人が透理に気がついた。

 恐怖が滲むリオンの瞳は、明らかに透理に助けを求めるそれだった。

 首を傾げつつ、透理は昭唯に歩み寄る。


「昭唯……一体どういう状況だ?」

「え? 別に。私が勝利しただけですが?」

「そ、そうか。それより父上と話がついた。あちらに……嘉唯と三春もいるそうだ」

「はい? 何故嘉唯達が?」

「また俺達を追いかけてきたらしい。急ごう。あ……リオン。お前も行こう……な?」


 リオンに視線を向け、透理は曖昧な笑みを浮かべて見せた。

 するとリオンが唇を震わせた。


「……、……あの、ご一緒しても……?」


 先程までの強気な様子が嘘のような態度に、透理は恐る恐る昭唯を見る。


「昭唯、何をしたんだ……?」

「殺したりはしていませんが? 見ての通りです」

「なんだか死んだ方がマシな目に遭ったような顔をしているが……」


 困惑しながら二人を交互に見て透理が言う。

 しかし微笑している昭唯は首を傾げている。


「そうですか? 最初からこんな感じだったような?」

「そ、そうか。そうかもしれないな。お前がそう思うんならそうだろう」


 透理は深く追求しないことに決め、リオンに歩み寄った。


「大丈夫か……?」


 先程まで戦っていた相手にかける言葉としては、不適切だったかもしれないと、透理は考える。するとリオンが涙ぐんだ。


「こ、腰が抜けて立てない……」

「……俺が背負う」


 透理はリオンに手を差しだした。そして抱き起こし、背負う。

 そして昭唯の隣に並んだ。


「行きましょうか」

「ああ」


 二人で歩きはじめる。背負われているリオンは沈黙している。

 それから先程ギオンと対峙した部屋を抜け、隣室に向かう。

 扉は開いていて、中には丸い卓があり白い布がかけられていた。


 そこに穏やかな笑みを浮かべているギオンと、見た事の無い菓子を食べている嘉唯と三春の姿があった。二人とも満面の笑みを浮かべている。


「あっ! お師匠様!!」

「嘉唯……あれほど待っているようにと言いつけたでしょう。あとで説教です」

「だ、だって心配だったんだよ!」


 嘉唯の大きな声に、はぁと昭唯が息を吐いている。

 それから昭唯が、ギオンを一瞥したのが透理には見えた。


「座っても?」

「ああ」


 昭唯は空いている嘉唯の隣に座る。嘉唯の逆隣には三春が座っている。その横に透理は歩み寄り、一つ空けてリオンを座らせ、己は三春とリオンの隣に座った。


「透理」

「は、はい」


 透理が顔を上げると、瞬きをしてから、穏やかな声音でギオンが言う。


「雪童の解放方法は、ピアスを外すことだ」

「ピアス?」


 聞き慣れない単語だった。


「耳飾りだ」


 続いて響いたギオンの声に、そういえば彩は右耳に、翡翠色の耳飾りをしていたと透理は思い出した。頷いた透理を見ると、急須のような陶器から茶色いものを白い持ち手がある器に注ぎながら、ギオンが続ける。


「ただし、その彩という者が、本当に解放を望むかは分からない。たとえば静子がこちらへ来るのを拒否したのと同じことだ」

「……聞いてみる。彩の好きなようにしてもらう」

「それがいい。ピアス――耳飾りを外せば、雪童の民は真の人となる。こちらで暮らすもよし、地上に残るもよし。『透理には』『伝え』、『外す事』を許す」


 伝え話す事という言葉と、己の名前に、なにか力が込められていたのを、透理は感じた。

 だがそれがなんなのかは、上手く理解できない。だから、ただ頷いた。


「分かりました」


 すると大きく頷き返してから、ギオンは続いてリオンへと視線を向けた。


「して、リオン。次期ギオンとなる者であるにも関わらず、些細なことでこのように大規模な喧嘩をするとは、どういうつもりだ?」


 透理は、横でリオンが俯いたのを見た。唇を噛んでから、リオンはか細い声を出す。


「……俺がギオンとなって、本当に良いのでしょうか? 兄上がいるのに。隠力色が……俺は違うから……」


 それを聞いたギオンは呆れたような顔をした。


「ギオンを誰にするかは当代が、即ち私が決めることだ。リオン、項垂れていないで、もっと前を向くように。そしてお前も、優しい音の一つも奏でてみるがよい。お前の音は、いつも暗いものばかりだ。友達を作って、青春を謳歌してはどうだ?」

「……」


 リオンが沈黙した。泣きそうになって震えている姿を見て、透理が言葉を探す。

 その時だった。


「俺達友達だよな?」


 嘉唯が不思議そうに声を出した。


「あんなにたくさん話したんだ。もう友達だろ?」

「え?」


 顔を上げたリオンが虚を突かれたように嘉唯を見ている。


「僕と君も、血は繋がってないけど、兄弟みたいなものだし、僕とも仲良くして」


 すると三春が微笑してそう述べた。

 続いて三春を見たリオンは目を丸くしている。


 ――それから、頬を染めて、耳まで真っ赤になったリオンが俯いた。


「青春ですね」


 にこやかに昭唯が言った。するとリオンがあからさまにビクリとした。


 ――本当に、何をしたのだろうかと、ちらっと透理は昭唯を見てしまう。だが昭唯は微笑んでいるだけだ。一体、なにがあったのだろう。状況がさっぱり分からないと透理は考えた。


 だがそれはもう終わってしまったことだと思い直し、透理は横に座るリオンを見た。そしてそっとその肩に触れる。


「俺も出来ることがあればする」


 すると目が合った。リオンは僅かに瞳を揺らした後、小さく頷いた。

 それを見て取り、透理は柔和に笑う。


 その後、昭唯を見た。ほぼ同時に昭唯もまた透理を見た。二人は視線を合わせてそれぞれ小さく頷く。同じ考えだと分かる。


 二人はそれから揃ってギオンを見た。


「父上、俺達はそろそろ帰ります」

「お邪魔致しました」


 それを聞いたギオンは穏やかな声で答える。


「いつでもまた遊びに来るがよい。歓迎しよう。それと、勾玉はしかと受け取ったと伝えるがよい」

「ありがとうございます、父上」


 透理のその声が響き終わった時、昭唯が立ち上がる。それを見て嘉唯と三春も立ち上がった。透理もゆっくりと椅子から立ち上がる。


「リオンよ、見送りに立て」

「は、はい!」


 腰は大丈夫なのだろうかと、透理は不安に思ったが、緊張がとけて治ったのか、リオンは無事に立ち上がった。こうして透理達は、ギオンに一礼してから、部屋を出た。そして壊れている壁がある部屋を通り抜け、開け放たれている襖の道を通り抜ける。


 玄関へと向かい、石段を降りて外に出た。


 すると美しい桜が舞っていた。けぶる薄紅色の花を眺めながら、四人とリオンは御所を出る。そして通りを歩きながら、『エレベーター』というらしき箱がある丘を目指した。


 歩きながら、昭唯が笑顔でリオンを見たのを、透理は眺めていた。


「リオン。地上に遊びに来てくれるのも歓迎ですよ」


 すると先導するように歩いていたリオンが、目に見えてビクリとしたのが、透理には分かった。


「あ、いつでも来いよ!」

「僕も待ってるよ」


 しかし嘉唯と三春は気づかなかったようで、明るい声を上げている。

 リオンは首だけで振り返り、歩きながら小声で言う。


「……昭唯がいない時に行く。兄上とも色々話したいしな」

「おや? 私と透理は大体一緒にいるので、必然的に私もいますが?」

「く、空気を読んで、兄弟水入らずの時くらい席を外せ!!」


 少しだけ元の勢いがリオンに戻ってきたなと感じ、透理は微笑した。


 ――そのようにして丘に到着し、四人はエレベーターに乗り込む。そして三春と嘉唯が手を振った。


「またな!」

「またね!」


 二人の明るい声に、再び赤くなってから、小さくリオンが手を振り返す。


「ああ。ま、またな……」


 その表情は、嬉しそうだった。


「行きますよ」

「リオン、本当にいつでも来てくれ」


 透理がそう声をかけると、エレベーターの扉が閉まり始めた。


「ああ、分かった。そうする、兄上」


 頷いたリオンを見ながら、上昇を始めたエレベーターの感覚に、一同は息を詰める。


 だがすぐに慣れて、下に小さく見えるリオンを見た後、太陽が燦々と輝き、美しい桜が舞う日高見国を眺めた。


「来てよかったですね」


 昭唯が透理にだけ聞こえる声量で伝える。


「ああ。お前のおかげで、俺はまた一つ乗り越えることが出来た気がする」

「私のおかげではなく、貴方自身の実力でしょう」


 そんなやりとりをして、透理は昭唯と視線を合わせてから、吐息に笑みをのせた。そうして箱の周囲が来た時と同じように暗くなり、闇の中を進むようになった。




 ――地上へと到着し、開いた扉から外に出て、岩の入り口をくぐる。


 そうして四人が外に出ると、そこには彩の姿があった。


「彩様……」


 透理が歩み寄ると、彩がまじまじと透理を見た。その表情は、感情の見えない無表情だったが、今の透理には分かる。そこには安堵の色がある。


「よく戻ったな。エレベーターが到着する知らせを受けて、待っていたんだ」


 箱の方向に視線を向けて彩が言う。

 頷いてから、透理は率直に切り出すことにした。


「彩様。ギオン様はやはり俺の父で、勾玉も受け取ってくれた」

「そうか」

「それと――雪童の民が人になる方法を聞いてきた。お前は、人間になりたいとは思わないか?」


 真っ直ぐに彩を見て、透理が言う。すると驚いたように彩が息を呑んだ。

 しかし沈黙し、何も言わない。


 ――父上の言った通り、余計なお世話だったのだろうか?


 透理は戸惑った。これこそが、自分の思った恩返しだったけれど、違ったのかもしれないと不安になる。


「……歩きながら答える」


 するとぽつりと彩が述べ、歩きはじめた。ハッとして、透理は慌てて追いかけて隣に並ぶ。昭唯は嘉唯と三春の速度に合わせて、少し後ろを歩いている。


「俺は……正直、人間になって、自由になってみたい。だが、何をしたらよいのか分からないんだ」


 平坦な声音だが、彩の言葉には困ったような気配があった。

 それを聞いて、透理は一度息を吐いてから、しっかりと伝える。


「俺も少し前まで同じ気持ちだった。だけど今は違う。すぐに見つかる。見つける協力を俺は惜しまない。お前を解放し、お前の助けになること、それが俺の見つけた恩返しだったんだ」


 すると彩が透理に顔を向けた。


「そうか。透理がそう言うのなら、大丈夫かもしれないな。ならば、なりたい。俺はなりたい、人間に」


 しっかりと彩が頷いて断言したので、透理もまた頷き返す。


「耳飾りを外すだけだと聞いた」

「だがこれは、ギオン様の許しを得た者でなければ、外せない」


 その時やっと、かけられた言葉にこもっていた力の意味を、透理は理解した気がした。なんらかの音の力を与えられたのだろう。


「俺が許しを得てきた。外させてくれ」

「あ、ああ……」


 彩が立ち止まる。少し屈んで、透理はその耳に触れた。そして丸い耳飾りをまじまじと見る。光り輝く小さな翡翠色の耳飾り。それをゆっくりと外す。


 すると彩がハッとしたように息を呑み、目を丸くした。


「俺は……きちんと人間になったのだな。視界が鮮明になった。これまでは、ぼやけていたのだが……よく見えるし、よく聞こえる。匂いもする。あ、触感もある」


 透理の腕を、掌で彩がペタペタと叩いた。


「今までは無かったのか?」

「あることはあったが、より鮮明になったと言うことだ。これが、そうか。人間なんだな。全てが、世界が、美しく見える」


 空を仰いだ彩は、舞い落ちてくる雪を愛おしそうに見ている。

 それが絹のような髪に触れる。綿雪を、透理は払ってあげた。


嬉しそうな彩を見ていたら、透理の胸が温かくなる。彩の瞳が潤んでいく。嬉しそうな顔をして、涙を零す彩の姿は綺麗だった。


「よかったですね」


 そこへ昭唯が声を挟んだ。

 このようにして一同は、雪に足跡をつけながら、社に戻ったのである。




 四人が社の中に入ると、中にいた全員が顔を向け、笑顔になった。何人も、濡卑も村人も関係なしに、駆け寄ってくる。


「頭領!」

「昭唯様!」

「嘉唯、心配したんだぞ」

「三春様がいなくなっちゃった時の心細さと言ったら!」


 歓迎され、様々な温かい声をかけられる。胸が満ち溢れてきた透理は、いくらでも明るい音を紡げるような心地になった。掌が自然と熱くなってきたが、握って誤魔化す。


「よく戻ったな!」


 そこへ孝史が歩み寄ってくる。そしてバシバシと透理の肩を叩き、次に昭唯の肩を叩いた。


「今夜は宴だ!」


 送り出される前夜と同じ状態になった。皆が、料理や酒を用意する。


 座らされた四人。孝史は、透理と昭唯の間に座り、それぞれの酒盃に透明な酒を注ぐ。そして豪快に笑った。


「で? 恩返しは出来たのか?」

「ああ」


 輪の中に混じっている彩を一瞥し、柔らかな表情で透理が頷く。


「そうか。よかったな」


 孝史の声に、素直に透理が頷く。それからふと思い立って、透理は立ち上がり、彩の横に座った。彩が視線を向けると、透理が微笑する。


「ギオンが言っていたことがあった。人になったら、此処で暮らすものでもいいし、日高見国に行ってもいいと」


 それを聞くと、輪の中にいる一同を見渡し、彩が小さな声で言った。


「俺も、ここにいてもいいのか?」

「当然だろう。大歓迎だ、彩様」

「彩でいい」

「――彩。ここを選んでくれるのなら、俺達は歓迎するよ」


 昔だったら濡卑の一座に迎えるだなんて言葉は、決して出てはこなかっただろう。だが、今は違う。その契機をくれたのは、紛れもなくここにいる彩も含めた全員だ。


「ならば……俺はここにいたい」


 彩が芯のある声を出した。透理は真っ直ぐに彩を見て、その言葉を受け止める。

 そして立ち上がると声を出した。


「今日から、彩も此処で暮らす」

「おお、いいな!」


 孝史がすぐに明るい声を上げる。それは全員に広がっていく。

 透理が隣に座っている彩を見ると、彩はどこか照れくさそうに口元を綻ばせていた。

 それを見て、ふと思い出して、透理は座り直して尋ねた。


「ところであの勾玉はなんだったんだ?」


 すると彩が温かな目をした。


「この山に四季を戻して欲しいという嘆願書だ。お前達がずっとここにいるならば、過ごしやすい方がよいと思った」


 それを、いつの間にか彩を挟んでその隣に座っていた昭唯が、聞きとめた様子で声を挟む。


「氷の棺はどうなさるのですか? 融けてしまうのでは?」

「あれは融けないように出来ている。俺の次の管理者が目覚めたら、また適切に管理するだろう。それまでは、寿命の限りは俺が見守る。これでも墓守だからな」


 彩が首を振る。それから彩は、窓の外を見た。


「山の外の次の冬が終わった時、この花刹山にも春が来る。ギオン様に受け取ってもらえたのは、受理してもらえたと言うことだ」


 そのよく通る声を聞いていた人々が声を上げた。


「じゃあ畑が作れるな!」

「山菜も採れる!」


 歓喜の声が溢れていく。

 それを見守ってから、孝史が手を叩き、人々の視線を集めた。


「ここに新しい村を作ろう。雛原村と濡卑の一座の村だ。村長は決まってるな。透理、お前がやってくれるよな?」


 まるで当然のことであるように、孝史が言った。

 ぽかんとして、透理は目を見開く。戸惑いが襲いかかってくる。

 すると昭唯が彩の後ろから腕を伸ばし、ポンと透理の肩を叩いた。


「宜しくお願いします、新村長」


 明るい声で昭唯が言った。すると孝史が拍手し、それは一同に広がった。

 それに狼狽えてから、ギュッと透理は拳を握る。

 そして昭唯に顔を向けた。目が合う。


「勿論手伝ってくれるんだろうな?」

「当たり前です。森羅寺も再建しなければなりませんし」

 このようにして、帰還した日の夜は更けていった。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る