第9話 鉄扇
翌朝、早く起きた透理は、ほぼ同時に起きた昭唯を見た。昭唯もまた寺の暮らしで早起きが身についている。朝四時に目を覚ました二人は、ぼんやりしつつまずは正面を向き、それからお互いを見た。透理の黒髪はボサボサで癖が付いている。昭唯の茶色い髪は細く艶やかなのだが乱れている。昨日の疲れが肉体的には取れているが、気分的にはまだのしかかっているような心地の二人だった。
その後交互に顔を洗いにいってから、透理は昭唯に小声で囁く。
「実際には四枚あるが、二枚ということにしよう」
「そうですね。さすがにそう伝えれば嘉唯達も、ついてこないでしょう」
相談が終わった頃、子供達が目を覚ました。
透理から見ると、嘉唯と三春は、まだまだ幼い。それは二次性徴を迎えていないからではない。二人は純粋なのである。
――だが、同じ年頃で同じような背丈だけれど、リオンは違う。
透理は内心でそう考えていた。昭唯もそう考えているらしいと、なんとなく透理は感じている。
こうして始まった食事の席で、昭唯が子供達に語った。
「――というわけで、二枚手に入れるのが精一杯だったのです。透理の父親なのですから、透理が行くのは当然ですし、私は相棒として見守る義務があります。貴方達は、ここで留守番をしていてください」
すると三春が不安そうな顔して、首を振った。
「僕も行く。透理がもし、こっちの方が良いなんて言ったら嫌だから」
「……三春。俺は、必ず戻ってくる」
「でも……」
「俺はお前の『お兄ちゃん』なんだぞ? 信じてくれ」
苦笑した透理を見ると、三春がハッとしたように目を丸くしてから頷いた。すると隣にいた嘉唯が、そっと三春の手の上に自分の手をのせるのが見えた。
「三春、俺がいるだろっ!」
「嘉唯……」
その様子を見て、仕切り直すように、両手を合わせてパンと昭唯が手を叩いた。
透理も子供達も、昭唯に視線を向ける。
「決まりですね。私と透理は、すぐに出ます」
大きく昭唯が頷き、その場をまとめた。
見守っていた透理が立ち上がる。昭唯もすぐに立ち上がったのを見て、透理は一人でない事に改めて心強さを感じた。それから透理は最後に再び、子供達を見る。透理は三春を見てから、次に嘉唯を一瞥する。心配で大切だから残していくのである。
こうして宿を出て歩きはじめると、ポツリと昭唯が言った。
「必ず無事に戻りましょうね」
「――ああ」
「二人が待っているのですか」
「そうだな。絶対に……俺達二人揃って戻ってこような」
「約束、これは出来ますか?」
「ああ、出来る」
二人は顔を見合わせて笑い合う。透理に取って、これは出来る約束だった。
いいや――叶えたい約束だった。戻った時にこそ、己の気持ちをしっかりと伝えたいと考えているからだ。
「最近の透理は饒舌になりましたね。私ほどではありませんが」
「お前のおかげだ。濡卑であるとどうしても余計なことを口にしていらぬ喧噪に巻き込まれることを回避してしまうが、昭唯は、雛原の皆は、俺達を、俺を受け入れてくれた。だから、喋ることができる。口を開くことが怖くなくなった。それに、昭唯といると、自然と話してしまうんだ」
「私は口が上手いと言ったでしょう?」
クスクスと昭唯が笑う。短く吹き出すように笑ってから、透理は前を見る。
二人でゆったりと歩き、御所を目指した。
到着した頃には、午後の三時を過ぎていた。中に入っていく日高見国の者にならって、透理と昭唯は、緊張しながら、透明な長四角の紙を、台の上に翳す。するとピコンと音がして、門をくぐれるようになった。
中に入ると、華族が暮らしていそうな巨大な邸宅が真正面にあり、桜の花吹雪に二人は飲み込まれた。薄紅色が、二人の周囲にひらひらと舞う。二人は緊張しつつも、平然とした様子を取り繕い、前へと進み、石段を登った。そうして中に入ると木の床があり、案内板が見えた。
その前で立ち止まった二人は、確認しながら小声で話す。
「私達は、怪しまれている気配がありませんね。それに入る事が出来たと言うことは、やはり指数も大丈夫だったのでしょう」
「ああ、そうだな。右に行くと、【隠音の間】があって、そこはギオン様の謁見の間という但し書きがあるが……そこにいるのだろうか?」
「行ってみて確かめるほかありませんね」
二人は頷き合ってから、木の床を右に進んでいく。案内板には見取り図があったので、その通りに廊下を歩き、突き当たりで左折した。すると襖があった。視線を交わしてから、それに手をかける。此処を突き進んで、一番奥でまた右に曲がるとギオンの間があるようだ。二人は襖の中の畳を踏む。
その瞬間だった。前方にある襖が、どんどん開き始めた。勢いよく、割れるように開いていく。自動で開く様子だ。二人は驚いて正面を凝視する。すると最奥に、一人の少年が立っていた。左手には金色の鉄扇を持っている。リオンだった。今までの浴衣とは違い、長裃姿で、透理を真っ直ぐに睨めつけている。二度ほど感じたその鋭い眼差しを、正面から透理は受け止める。そして一歩前へと出た。それで我に返った様子になり、昭唯も隣を歩く。ゆっくりと二人は進み、リオンの正面で立ち止まった。
リオンは二人よりずっと背が低いのだが、その気迫と眼光で存在感が、彼を大きく見せている。
「何故だ?」
唐突にリオンが口を開いた。その声には、怒りが滲み出している。
「何故だと聞いている。何故、父上と同じ隠力色を持っている!?」
それを聞いて、透理が息を呑む。ハッとしたように昭唯が透理を見た。後ろで結んだ長い茶色の髪が揺れる。
「その色は、直系長男にしか現れない。それは、俺のはずだ。父上の長男は俺のはずなんだ!! 何故貴様がその色を持っているんだ!」
透理は言葉に詰まる。どこか泣きそうにも見えるリオンを、じっと見る事しかできない。
「俺は父上とは隠力色が異なる。だからずっと、母上の不義の子だと言われ続けてきた。その結果、母上は病床に伏してしまわれた。俺の気持ちが分かるか!?」
激高しているリオンの声。彼は透理だけを見て、睨んでいる。昭唯のことは、視界にすら入っていない様子だ。
「何故なんだ!!」
そう叫び、リオンが鉄扇を右上から左下へと動かした。
瞬間強い風が、透理と昭唯を襲う。衝撃波に透理は両腕で自分の顔を庇いながら、焦って昭唯の方を向き声を上げる。
「昭唯!」
避ける力が無いと思っていたからだ。だが昭唯は錫杖を斜めに構え、片手で顔を庇っていた。無事な様子に透理が一息つくと、昭唯が微笑した。
「この錫杖、意外と万能なのですよ」
それを聞き安堵してから、透理はリオンに向き直る。隣で昭唯もまたリオンを見ている気配がした。
透理はくないを取り出し右手に構える。その右で、昭唯は錫杖を構えている様子だ。
「どちらが父上の子として相応しいか勝負だ!!」
再び舞うようにリオンが鉄線を動かした。
今度は二人は斜め後方にそれぞれ飛び退いて、リオンの放つ衝撃波を避けた。
続けざまに、リオンは攻撃を放つ。
その度に、金色の鱗粉が舞っている。キラキラとした金の粉が、リオンの周囲に待っている。幻想的だが、危険な攻撃だ。これは、未知の力だ。眉間に皺を刻んだ透理は、狐面を正面に回す。本気を出す時、透理はいつもそうしている。全力を出さなければ、決して勝てない戦いになるという確信があった。
透理が畳を蹴る。
瞬間、透理が消えたように、昭唯とリオンには見えた。
天井間際まで一瞬で飛び上がった透理は、即座にリオンの背後に降りると、後ろから手を回し、リオンの喉元にくないを突きつけようとした。
「なっ」
だが、その瞬間、鱗粉が待っている宙が渦を巻くように歪み、くないもまた歪んで見えた。動作を強制的に緩慢にされた感覚だった。片眉を顰めた透理に対し、ゆっくりと振り返ったリオンは、無表情だった。そして閉じた鉄扇の先を透理の喉元に真っ直ぐに突きつける。バシンと音がした。リオンが鉄扇を開いた瞬間、透理は全身で衝撃波を受けて、後ろの白い壁に背中からたたきつけられた。
――轟音がしたのは、その時だった。
よろめきつつ体勢を立て直した透理は、それからすぐ、隣をゆっくりと見て、唖然とした。リオンも呆然とした様子で、それから昭唯の存在を初めて認識したように顔を向ける。そこには錫杖を突き出している昭唯がいて、その先の壁に丸く穴が開いていた。たらりとリオンの左頬に切り傷が出来ており、血が滴っていく。驚いたように、リオンがそこに触れている。
瓦解した壁からは、ポロポロと木片と瓦礫が落ちてきて、砂埃が、外へと風で流れていく。穴からは、日高見の街がよく見える。
「実は強力すぎて、普段はきちんとは使えなくて。透理、大丈夫ですか?」
「あ、ああ……」
動揺しつつも、透理は頷いた。すると焦ったように昭唯が言葉を続ける。
「使うと殺し……壊してしまうので、た、建物を!」
「……」
「……」
ぽかんとしている透理とリオンの目の形はそっくりである。沈黙の仕方までうり二つだ。
「ま、まぁ、その……兄弟喧嘩に口を出すのも野暮ですが、ここは私が引き受けましょう。透理、貴方の目的は、お父上に会うことでしょう? 行きなさい」
明るい声で昭唯が述べたのを、透理は聞いた。
「なっ、通すわけが――っく」
するとリオンが声を上げようとしたのだ、昭唯が錫杖を薙ぐように動かした瞬間、リオンの周囲の鱗粉が霧散し、放たれた陽力の塊をまともに身に受けて、リオンが壁にたたきつけられた。唖然として、隣で崩れ落ちたリオンを透理は一瞥する。それから透理は、昭唯に向きなおった。
「昭唯」
「なんです?」
「死ぬなよ」
「ええ」
「それと」
「分かってますよ。貴方の弟を殺めたりはしません、御仏に誓って」
「……そうだな」
透理が頷くと、心得たという表情で笑った昭唯が、錫杖を握り直し、リオンを見る。
リオンがゆっくりと立ち上がろうとしていた。
透理はそこ生まれている隙を逃さず、畳を蹴って、右へと曲がり、そこにあった木造の豪奢な扉を押し開く。ギギギと音がして開いた扉。透理はその中に飛び込んだ。
◆◇◆
――ダン、と。
そんな音がして、長い足が壁を踏んでいる。真横にあるリオンの顔。彼は血の気の引いた顔で、その場にペタンと座り込んでいる。足を顔の横にたたきつけた昭唯は口元には弧を貼り付けているが、その瞳に宿る光は冷酷だ。右手に握る錫杖を畳につけば、しゃららんと音がする。足から離れた位置に開いた穴からは、風が流れ込んだり出ていったりしている。勝敗は、一瞬で決まった。
リオンの隠力は強力であり、指数も高く最高値に近い。
だが、昭唯の陽力はそれを遙かに凌駕している。それが理由である高貴なお血筋に生まれた嘉唯が生まれつき陽力が強かったため、弟子入りすることになったという経緯がある。
破門されはしたが、羅象山は昭唯に考え直すようにと陽力で連絡を取ってくる。それは今なお変わらない。濡卑に関わらず、嘉唯を連れて戻るようにと繰り返している。そんなものは、お断りであると、昭唯は考えている。
そう感じさせたのは、透理が出会ったときに見せていた一見何も映していない暗い瞳に、僅かに諦観するような、悲愴が宿るような、そんな色を見て取った事が鮮烈に脳裏に焼き付いているからだ。隣にいて、少しずつ光を取り戻していく姿を見ているのは、とても快い。そこに生まれた光が、温かそうな表情が、増えていくのも嬉しくてたまらない。
まだ友人だとも相棒だとも、きちんとは聞いていない。違うと言われる未来を、根が前向きな昭唯は想像したくなかったし、その場合は、もっともっと親しくなる努力をするだけだと決意している。
――そんな自分達の関係を邪魔する者は、何人たりとも許容できない。
「リオン、たとえば貴方がこれ以上、透理を害するというのなら」
錫杖を床につき直して、首を傾け顎を持ち上げた昭唯は、残忍な笑みを浮かべる。
「貴方は自滅した。そう伝えることになります。どうします? 死にますか?」
「っ」
「子供手にかけるのは、気が引けるのですが」
昭唯の声に、ビクリとしてから、両腕で体を抱き、リオンがガクガクと震え始める。ガチガチと歯が鳴っている。
リオンはこれまで、己より強い人間を、父しか知らなかった。
初めての敗北であり、命の危機を、実感を伴って感じている。
「俺、は……」
「なんです?」
「っ……だって、だって! なんでなんだ、何故あいつが……あいつは……俺のはずなのに。俺が父上の子のはずなのに」
「それは分かりません。ですが、『だって』はないのです。真実を、現実を直視しなさい」
「!」
「貴方は、辛い辛いとそればかりですね。笑ってしまいます」
「お前に何が分かる!」
リオンが涙の浮かぶ目で、昭唯を睨み付ける。
「何も分かりません。一切共感できない。辛さは比較できるものではありませんが、リオン、貴方は逆に透理の辛さを慮ったことがあるのですか?」
「……え?」
「透理の苦しみを何も知らず、自分だけが被害者ぶるのは、そして癇癪を起こすのは、ただの子供です。一時でも貴方を大人だと思った自分が私は嘆かわしくてたまらない」
わざとらしく昭唯は溜息をついた。
昭唯は足を壁につきなおす。するとまた、リオンがビクリとした。壁にはひびが入っている。足にも陽力がこもっているからだ。最早、リオンは凍りつき、言葉が出てこなくなってしまった様子で、唇を震わせている。昭唯から放たれているのは、紛れもなく殺気だった。
――ああ、透理は無事に父親と会えたのでしょうか?
――透理は無事に、生きて戻ってくるのでしょうか?
父親が、素直に透理と会話をするのかしないのか、それすらも予想できないなと昭唯は考える。改めてリオンを見て、唇の片端を持ち上げて昭唯は嗤う。
「さて、もう少し、お仕置きをしましょうか」
「っ」
「おいたが過ぎましたね」
昭唯は内心で透理の無事を祈りながら、錫杖をリオンに突きつけた。
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