第8話 迷子捜しと通行手形

 ――翌朝。


 起床した透理は、体がすっきりした状態であると気づいた。昭唯も隣で起き上がっている。


「恐らく入浴も不要な結界も張ってあるのでしょうね。ただ気分的には体を流したいのですが。なんとも面白味がない国ですね」

「そうだな。食事も不要とは言うが、俺は食べたい」

「私もです。隠力倉庫にある品を食べましょうか」


 昭唯が隠力倉庫を一瞥する。


 箪笥のような倉庫の抽斗を開けると、見慣れぬ品の他、馴染みのある食べ物もあった。たとえばおにぎりだ。ただし透明な包装がなされている。透理は『梅』と書かれているおにぎりを手に取った。


「これはどうやって食べるんだ?」

「包みをあけるのでは? 順番が書いてあります」


 て昭唯が包装を取り去っているのを見て、透理も真似てみる。するとパリっとした海苔と白い米が見えた。透理は昭唯と顔を見合わせてから、立ったままでおにぎりを食べる。微かにきいている塩味、中に入った種の無い梅干し、美味だった。二人は、次々に『昆布』や、聞いた事の無い『ツナマヨ』などを食しながら、本題に入る。切り出したのは昭唯だ。


「まずは嘉唯と三春を見つけなければなりませんね」

「ああ」

「手がかりは……ありませんので、通行人にでも聞いてみましょうか」

「そうだな。そう遠くには行っていないと思うんだが……」


 二人も無事に宿を見つけているのだろうかと、透理は思案する。土童が、人間に尽くす以上、野垂れ死んでいる可能性は低いと考える。ここは、地上とは違う理で動いているのだから。それでも心配だと思い、透理は嘆息した。


「行きましょう」


 食べ終えた昭唯の言葉に、透理が頷いた。


 こうして二人は部屋を出て、軋む階段を降り、玄関から外に出た。宿は拠点にするつもりなので、また此処へと帰ってくるつもりであるから、道順をしっかりと透理は頭にたたき込んだ。


「まずは、箱のあった丘から通じる各路の通行人に話を聞くとしましょうか」

「そうだな」


 歩きながら二人は、まずは丘の方角を目指した。そして自分達が通ってきた以外に、いくつかの路を見つける。


「左端の通りから探しましょう。嘉唯は迷うと左を選ぶ癖があります」

「分かった」


 透理は左の路地に視線を向ける。そちらは白い石畳だった。突き当たりには、木と井戸が見える。桶を担いだ魚売りの姿や茶屋などが視界に入る。いずれも黒い首輪を身につけているから、土童なのだろう。勿論聞く相手は、土童でも構わない。


「すみません」


 茶屋の暖簾をくぐり、昭唯が微笑を向ける。その上辺の優しげな笑みを、茶屋の売り子らしい赤い着物姿の女性は、目を丸くして見ている。着物の模様は橙色の糸で縫われている、大輪の牡丹だった。


「昨日、十二歳くらいの、二人連れの少年を見ませんでしたか? 二人とも、背は低いです。服装は、片方は緑の着物姿、もう一人は白い装束です」


 昭唯が尋ねる一歩後ろで、透理は女性の土童を見守る。


「ええ。昨日ここで、あんみつと抹茶のかき氷を食べていきましたよ。この辺りには、あの年頃の人間は少ないので、私もいらっしゃったことに驚きましたから、よく覚えていますよ」


 すると二十代前半だろう女性が、小さく頷きながら答えた。

 昭唯がチラリと透理に振り返る。透理が頷く。そして今度は透理が尋ねる。


「今どこにいるか分かるか?」

「さぁ……昨日は、此処を出たら宿を探すと話していたので、私は斡旋が得意な土童が、突き当たりの木の前にいつも立っているとお伝えしましたが」

「有難うございます、重要な手がかりとなりました」


 昭唯が微笑し、踵を返す。透理も走り出したい気持ちを抑えて、会釈してから昭唯の隣に並ぶ。そうして外に出て、二人は遠目に見える木の方向を目指した。気づくと透理は足早になっていた。草鞋越しに石畳の感触を意識しながら、透理は歩く。


「見つかるとよいのですが」

「ああ、そうだな。土童が見つかれば、どの宿にいるかは分かるだろう」


 二人でそんなやりとりをしながら木の前に着くと、確かにそこには一人の土童がいた。ひょろりとしていて目の下にクマがある土童だった。顔を見合わせてから、昭唯が声をかけ、事情を説明する。


「――ああ、確かに来た。だが、人を待つから宿は不要だと言って、食料を受け取り歩いていった」


 その言葉に昭唯は目を丸くしてから、呆れたように息を吐く。


「どちらに行ったか分かりますか?」

「丘に戻ると話していたが?」

「……そうですか」


 礼を告げて、透理達は引き返す。そして少し歩くと、沈黙を打ち消すように昭唯が言った。


「振り出しですね」

「ああ、そうだな……」


 感情の窺えない声音だが、透理の気分が沈んでいるのは明らかだった。


 その後も二人は通行人に声をかけ、第二、第三の通路を探してまわった。目撃情報がたまに聞けるものの、これといった情報は無く、明確な手がかりには繋がらない。


「困った迷子ですね……」


 昭唯の呟きに、透理が頷く。


 ――このままでは埒があかない。


「昭唯」

「なんです?」

「二手に別れよう」

「効率的ですが、我々まではぐれるのは危険では?」

「夕刻になったら、宿に戻ろう。そこで合流可能だ」

「それもそうですね。分かりました。では私は第四の通路で、引き続き話を聞いてみます」

「……俺は、もう少し中心街に行ってみる」

「分かりました」


 こうして二人はその場で別れた。

 透理が跳ぶように地を蹴る。その姿はすぐに昭唯からは見えなくなった。

 透理が向かった五つの通路の先にある大きな広場には、土童も人間も多数いた。


 周囲をさっと見渡し、己の格好は目立つようにも思ったが、他に衣類はない上、忍術を使うにはこれが都合いいので、気にしないように考えながら、透理は一人の土童に声をかけた。


「……おい」


 自分が声をかけるのは、初めてだったので、幾ばくか緊張した。本当にこういった時、昭唯の存在がいかにありがたいかを再確認してしまう。


「はい」


 すると土童が振り返り、平坦な声で返事をした。


「――この国には、寺社のように人間の戸籍を管理している場所や、地上からエレベーターという箱で降りてきた人間を把握し、管理するような場所はあるか?」


 透理なりに考えていたことを述べると、土童がすぐに頷いた。


「《政所》の右の二階で、土童が戸籍管理をしています。左の一階では、地上からのエレベーターの乗り降りを管理し、日高見国への入国者の記録と監視をしています」

「! その《政所》という施設は、何処にある?」

「あれです」


 土童は、透理の斜め後ろを指差した。透理がそれに従い首で振り返ると、そこにはいかにも都の公家が暮らしていそうな御所風の建物があった。朱色を基調としていて、金箔で模様が施されており、周囲には桜の大木が並んでいる。薄紅色の花が舞い落ちていく。左右対称の外観をしているので、右や左というのは、それを指すのだろう。


「助かった、ありがとう」


 会釈をしてから、透理はそちらに向かう。そして入り口から中へと進む。入る時に、ピンっと音がしたので、入室も管理されているのだろうかと考える。透理はまっすぐに、左側を目指す。戸籍があると言うことは、自分達が日高見国の者でないと判断されているはずだと思いつつ、まずは入国情報を確認することにした。それらを掴まれている状態の方が動きやすいのか、隠した方がいいのか思案しながら。


 左の部屋を一瞥し、二階との間に僅かな隙間があるのを確認して、透理は人の目が向いていない瞬間に、そこへ滑り込んだ。そして這って進み、中を見られる通気口から室内を見る。


 思ったよりも小さな部屋で、首輪をした土童が二名、透理の見た事の無い品に向かっていた。一見するとそれは和紙に似ているのだが、土童が手にしている筆でそれに触れると光を放って文字が刻まれる。なにより、宙に浮かんでいる。筆も墨をつけなくていいようだ。幸い文字は、透理にも理解できる、地上と同一のものだった。二人の土童は、水干姿である。


 ――二人だけならば、気絶させられる。


 そう判断し、心は痛んだが、背に腹は代えられないし、手がかりが欲しかった透理は、通気口の柵を外すと、音もなく室内に飛び降りた。そして気配無く二人の背後に移動し、手刀でそれぞれを気絶させた。椅子から倒れた土童を受け止め、ゆっくりと床に下ろす。もう片方は、机に突っ伏している。


 不思議な回転する椅子に座った透理は、正面の和紙のようなものを見る。

 そこには、人名と顔が並んでいた。


「これは……」


 絵とは違う。本人の顔が、そのまま映っている。不思議な技術だと思いながら、透理は筆を手に取ってみる。それで見つけた自分の名前に触れると、拡大されて、位置情報が出た。まさにこの部屋の光景が見える。下に狼狽えながらもう一度触れると、再び名前と顔の表示に戻った。するとその右端、赤字で【削除】と書かれていた。透理は迷わずそれに筆で触れる。すると透理の名前と顔写真が消えた。


「……」


 安堵する。この記録が存在していたら、日高見国の人間に、自分達が地上から来た――不審者だと思われかねない。それはよくない事のように思えた。続いて、昭唯の名前に触れて、位置を確認してから、今も通行人に話を聞いているのを見て取った後、削除を押した。続いて肝心の、嘉唯と三春のところを見る。すると【要注意人物・不審者】と赤字で記載されていたものだから、嫌な予感に襲われつつ場所を見た。なんと二人は別行動していた。


「三春……」


 現在三春は、一番最初に自分達が訪れた木と井戸のところで、膝を抱えて蹲り、泣いている。心配で胸がはち切れそうになりながら、これで助けに行けると安堵し、必死で自分を落ち着けながら、透理は記録を削除した。続いて、嘉唯の記録を見ると、嘉唯は大通りの一角で、首輪をしていない人間と満面の笑顔で雑談しているようだった。音声までは聞こえないが、楽しそうな顔をしている。相手は同じ年頃の、金にも銀にも見える不思議な髪色の少年で、目の色は青だ。整った容姿をしている。身につけている着物を見ても、富裕層に思えた。嘉唯は大丈夫そうだから、先に三春を保護しようと考えながら、透理は記録を抹消する。


 それから床に倒れていた土童を、自分が座っていた椅子に座らせ、透理は天井裏に戻り、その施設から外へと出た。そして急いで、記憶していた昭唯の居場所を目指し、その姿を見つけた。


「昭唯」

「おや、早かったですね」


 通行人と話し終えたところだった様子の昭唯に、透理は声を潜めて状況を語る。


「――というわけだ。まずは位置も近い三春の保護を」

「わかりました。さすがですね、透理。行きましょう」


 大きく頷いた昭唯を見て、小さく頷き返してから足早に透理は歩きはじめる。一人で走る方が早いし、そうしたい気持ちもあったが、昭唯を置いていく気にはならない。錫杖を手にしている昭唯もまた、透理より遅いとはいえ早足だ。


 こうして最初の通りの井戸の前に行くと、そこにはすすり泣いている三春がいた。


「三春!」


 めったに大きな声を出さない透理が、声を上げて、思わず走り寄った。


「あ……透理、透理!」


 立ち上がった三春が、泣きながら飛びつくように透理に抱きつく。それを抱き留め、片手で己の胸に三春の額を押しつけながら、透理は安堵の息を吐く。


「よかった、無事で」

「……うん」

「ついてくるなんて、無茶なことを……待っていて欲しかった」

「だって透理、もう帰ってこないみたいな顔してたんだもん」

「っ」

「僕にだってそのくらい分かるよ。僕は、透理と一緒にいたかったんだよ……ごめんなさい、ついてきちゃって。だけど、僕はきちんと透理を連れ帰りたいから、ここに来たんだよ」

「三春……ありがとう。ただし着いてきたからには、今後は俺が言わないかぎり、俺から離れるな」

「うん、うん。分かった」


 小さな三春の体を両腕で抱きしめ直し、目を伏せ透理が礼を述べる。

 すると三春もギュッと透理の背に腕を回し返す。

 そこへ昭唯がゆっくりと歩み寄ってきた。


「感動の再会に、私も三春の無事に喜んでいますが、ところ嘉唯は……?」


 昭唯の言葉に、三春が腕を離して、顔を向ける。


「嘉唯、一人でどんどん先に行っちゃったんだよ。僕は待ってた方がいいって言ったら……臆病者は、待ってろって言われた……」

「全く……三春、貴方が正しいですし、貴方は決して臆病ではありません」


 昭唯が呆れたように吐息する。

 居場所自体は、既に透理が調べている。


「バカ弟子を迎えにいかなければ」

「行こう」


 三春の背に触れながら、透理が頷いた。

 そして三人は、そのまま先の大きな通りを目指して歩いていく。


 透理は位置を記憶していたので、先導するように先頭を歩く。その少し後ろを昭唯と三春が並んで歩く。透理は肩の力が抜けているが、昭唯はまだ緊張した面持ちだ。


 少し歩いて行くと、水が湧き出ている不思議なものの前に出た。

 そこで、映像の通り、不思議な髪色をした端整な顔立ちの少年と談笑している嘉唯を見つけた。


「嘉唯」


 昭唯が声をかけると、嘉唯がハッとしたように目を丸くし息を呑み、勢いよく振り返った。


「お師匠様! 見てくれこれ、噴水って言うらしいぞ!」

「そうですか。とてもご機嫌な様子ですね。全く……私達は感動の再会とはいきませんね。後で説教をするので覚悟してください」

「えっ」


 昭唯は笑顔だが、その瞳は冷ややかだ。片手の指でこめかみに触れている。これは怒っている時や疲れている時の仕草だと、透理は知っている。


「そちらは?」

「あ、ああ、リオンだよ。リオン、こっちは俺がさっき話した師匠の昭唯様だ」

「――はじめして」


 にこやかにリオンが昭唯を見る。


 それから何気ない様子で、三春を見て、そうして透理を見た。その瞬間、凍りついたような顔をした。だがそれは一瞬のことで、瞬きをした次の瞬間には穏やかな笑顔に戻っていた。


 ――?


 一瞬睨み付けられたように感じたが、気のせいだろうかと透理は内心で考える。


「俺はリオンといいます。嘉唯とはここでたまたま会って、そうしたら地上から来たと言うから驚いて。どうぞ日高見国を楽しんでください」


 柔和な声音だった。


 己が記録を消してきたことは、不要かつ杞憂であり、寧ろ残しておいて保護してもらうべきだったのだろうかと、透理は思案したが、それでもやはり行動が筒抜けというのは気分がよくなかったので、これでよかったと思うことにした。


「それでは、俺はそろそろ。嘉唯、またな」

「うん! また会おうな!」


 そのようにして、リオンは手を振ってから帰っていった。通りの人波に紛れていくリオンの背を見送ってから、一同は各々を見る。


「まずは私と透理がの宿へ戻りましょう。説教……話はそれからです」

「師匠……お、俺はただお師匠様が心配だっただけで――」

「だとしても、私は着いてこないようにと話したはずですが?」

「……でも」

「『でも』も『だって』もないのです」

「はい……」


 師匠と弟子の会話に耳を傾けつつ、透理は三春の手を握って歩く。


 こうしてゆったりと、狭い子供達の歩幅に合わせながら歩き、全員で、拠点にしようと透理達が決めた宿へと入った。嘉唯が布団に大の字に寝転び、三春は物珍しそうに隠力倉庫の扉を開けている。それを見ながら、透理は冷静な表情で腕を組んだ。


 その眼差しに気づいた昭唯が、隣に並んで立つ。


「残るは、ギオン様に関してですね。いかにして会うか」

「ああ」

「少し調べてみましょうか?」

「そうだな」

「――ただ、明日としましょう」


 三春が取り出したまんじゅうを見て、瞳を輝かせて嘉唯が起き上がっている。


「まずは食事をし、英気を養いましょうか」


 昭唯の言葉に、小さく透理が頷く。


 室内のテーブルの上に食べ物や飲み物を置いて、四人で食べる。いずれの飲食物も美味だった。




 ――新しく陽が昇り、窓から白い光が差し込んでくる。


 いつもより遅い時間に目を覚ました透理は、時計を見上げ、午前六時であることを確認した。


「思ったよりも、疲れていたみたいだな……」


 肉体的な疲労というよりは、精神的な疲労が大きい。だがじっくりと瞼を伏せて考える。濡卑として各地をまわった時に向けられた忌避するような眼差しを一身に受けていた頃と比べるならば、新しい土地で見る瞳は優しい。


 ふと、考える。


 もしも、三春や嘉唯――なによりも、昭唯を伴っていなければ、己は自分が濡卑であることを誰も知らない上に、まるで極楽としかいいようがない、ぬるま湯のようなこの国に、安住することも考えたのではないかと。


「いいや、それはないか。俺は濡卑のみんなの元へ帰らなければ。それに二人と昭唯を絶対につれて戻る」


 ぽつりと呟いてから、隣の布団を見て、思わず目を丸くした。

 そこに寝ているはずの昭唯の姿が無かったからだ。


「一体何処へ……?」


 丁度、そう呟いた直後、部屋の扉が開いた。そこには錫杖を手にした昭唯が立っていて、目が合うと微笑された。


「おはようございます」

「ああ」

「調べてきたのです、ギオン様について」


 自信ありげな笑みを浮かべている昭唯は顎を僅かに持ち上げて、透理を見る。その表情を見て、小さく透理が頷く。


「教えてくれ」

「ええ。幾人かの土童と通行人に聞いたのですが、皆共通して、『ギオン様は御所にいる』と話していました。位置も聞いたので、ちょっとした見学のつもりで見に行ったのですが、それこそ桜が咲き誇る中にある華族とやらが住んでいそうな邸宅がありました。ただ、彩殿が用いていたような不可思議なものが門や扉があるように遠目からでも分かりました」


 昭唯がそう言うと真面目な色を瞳に浮かべたのを、透理は見た。

 それから昭唯が、透理の前に座り直す。


「私が聞き取りをしたところ、御所に入るには二つの条件があるそうです」

「条件?」

「ええ。まず第一に、隠力指数が八十以上か、陽力指数が七十五以上でなければ、そもそもお住まいに入れないそうです。私と嘉唯はクリアしています。仏門では陽力の指数測定がありましたので。また神子である三春も大丈夫だと考えられます。神子は仏門に残っていた資料によれば、単純に障りが無いからではなく、陽力による適正を判断して、前任者に指名されるそうですので。貴方は……まぁギオン様の子供なのですし、指数も同じだというのですから大丈夫でしょう」


 透理は、自分が入れるのかという部分に不安を抱いた。だが頷いて、続きを待つ。


「第二に、『殿上人』と呼ばれる、立ち入りが許可されている人間の紹介状が必要だとのことです。【通行手形】という名前だそうです」

「通行手形? それはどんな品なんだ?」

「透明な紙のような品だそうですが、それ以外分かりませんでした。『殿上人』が所持しているとは聞きましたが」

「とりあえず、『殿上人』を探して、調べるか」


 透理が述べると、再び昭唯が自慢げな顔をした。


「それは聞いておきました。ここから一番近い殿上人のお屋敷は、角を曲がった先の巨大な家だとのことです。丁寧に家の前まで連れて行ってくれました」

「あまり派手な行動はせず、慎んだ方が良いんじゃないか? それも親切な通行人が連れて行ってくれたということか? いいや、土童か?」


 不安になりながら透理が尋ねると、笑顔のまま昭唯が首を振る。


「たまたまリオンと再会したんです。彼は犬の散歩の途中だったようです。向こうから私に声をかけてきてくれて、とても親切に教えてくれましたよ」


 透理は昨日出会った少年のことを思い出した。

 同時に――昨日睨まれたことも想起する。


「……」


 だが、気のせいかもしれない。

 それに今は、他に有力な情報も無い。なので透理は頷く。


「分かった、そこへ行こう」

「ええ、そうしましょう」

「ありがとう、昭唯」

「いいのです。私は貴方の相棒なのですから、このくらいはしませんと」


 冗談めかしてそう言って笑った昭唯に対し、自然と笑みが浮かんできたので、透理も小さく笑って返す。昔は、めったに動かなかった表情筋が、最近は自然と仕事をする。


「さて、嘉唯と三春を起こしましょうか。きちんと待っているように言い聞かせなければ」

「そうだな」

「そして朝食としましょう」


 昭唯の提案に頷き、透理は三春に近づく。そして揺り起こす。昭唯は嘉唯に声をかけている。


「ん……」


 三春が起き上がり、目を擦る。その頭を軽く撫でた透理は、それから立ち上がり隠力倉庫へ向かって食事の用意をした。毎日食料は自動的に補填されるようだ。ただ、特に肉類は、本来濡卑と一部の猟師しか食さないものであるから、『豚肉』や『牛肉』は特に不審だと思った。『鶏肉』も、鶏から卵は手に入れるが、食べ物という印象があまりない。濡卑は生きるために何でも食べてきたが、一般的な人間――特に清貧な生活をしていただろう僧の昭唯と嘉唯は食べないだろうと透理は考える。


「このハンバーガーというのが、私は気に入りました」

「えっ」


 明らかに肉がはさまっている不思議な食べ物を、ひょいと透理の隣に立ち昭唯が手に取った。唖然としていると、それを手にテーブルへと昭唯が向かった。続いてやってきた子供達二人は、そろって『オムライス』と書かれている皿に載った卵を焼いたようなものを持っていった。


「……」


 皆、勇気がある。もう毒が入っているとは思わなくなったが、透理はは複雑な気持ちになりながら、煮魚と白米を手にテーブルについた。こうして食事が始まると、昭唯が二人に説明を始めた。そして冷静な表情で、強く言う。


「――ということで、私と透理は少し出かけてきます。貴方達は、ここで待っていて下さい。いいですね? また迷子になんてなったら、帰る時においていってしまいますよ?」

「うっ……師匠……おいていかないでくれ!」

「嘉唯。貴方は、三春を守ってここにいればいい。そうすれば、必ず私が貴方を地上に連れ帰ります。師匠の言葉が信じられませんか?」

「そ、そんなことはない! 分かった。俺は今日は三春を守ってる! だから絶対に帰ってこいよ!」

「勿論です」


 そんなやりとりをしてから、昭唯が優しい笑顔を浮かべた。嘉唯が真剣な面持ちで頷いている。すると横で匙を手にしていた三春が細く長く吐息した。


「透理も、ちゃんと帰ってきてね」

「ああ。三春、三春も嘉唯が外に出ようとしたら、引き留めるという大切なお役目を果たしてくれるな?」

「――うん。ずっとお話してることにする。それが僕に出来ることだから」


 三春も納得してくれた様子なので、透理は安堵した。

 こうして食後、透理と昭唯は、嘉唯と三春に見送られて宿を出た。


 正面の通りに出ると、本日は雲が多い空だった。だが青空なのは間違いなく、晴れている心地の良い陽気だ。桜が咲いているのだから春なのだろうが、こうして立っている分には季節を感じない。


「行きましょう。案内します」


 歩き出した昭唯の横に、透理が追いつく。昭唯はいつも余裕ある素振りで、ゆったりと歩く。透理もそれに合わせる。そのようにして二人は通りを進んでいき、日が昂くなる頃、角を曲がってその突き当たりにある、白い壁にに囲まれた瓦屋根の邸宅を視界に捉えた。三階建てに見える。このように大きい建物で、複数階ある建造物自体、透理にはあまり馴染みがない。それは昭唯も同様だったらしい。


「まるで私の羅象山の寺のように陽力を用いているのかと考えてしまいますが、見目が異なります」

「そうか」


 硬く門は閉ざされていて、横に小さな扉がついている。


「……正面から入れると思うか?」


 少し離れた位置で立ち止まった時、透理が尋ねた。

 門の前には、槍を持った男が二人立っている。


「難しいと考えています。不審者を警戒してるのは明らかです」


 己らは間違いなく不審者に分類されるだろうと透理は思う。


「潜入しましょう」


 昭唯の声に頷きながら、自分達を監視するなにかを削除してきてよかったと透理は改めて考えた。


「ただまだ昼間だ。夜を待とう」

「ええ、そうですね。それまでの間は、少し街を散策しませんか?」

「散策?」

「せっかく来たのですから、帰る前に思い出に焼き付けておきましょう」


 随分と昭唯は前向きだなと思い、苦笑しながらも透理は頷く。引き返した二人は、『ホログラフィック図書館』と書かれた巨大な四角い施設を見つけた。


「ここはなんでしょうか?」

「入ってみるか?」

「ええ」


 二人はその中へと足を踏み入れる。他には誰も客はいなかった。案内係の土童が、二人を見つけると、無数に並ぶ部屋の一つに促す。二人がその中に入ると、群青色が四方と天井を埋め尽くしていて、まるで夜の中に放り込まれたような気分になった。中央に台座があって、その上に透明な球体が載っている。巨大な硝子玉のようだと思いながら何気なく透理が手を伸ばす。すると球体がいきなり光を放ち、周囲に四角い窓のようなものが無数に展開していった。


「っ」


 透理はそこに映る光景を見て、驚愕した。


「これ、は……」

「地上の様々な時代を映し出しているようですね……」


 昭唯も驚いたように、周囲を見渡している。


 その中には、濡卑の一座が旅をする風景もあった。前長がまだ若く、透理が幼かった頃の旅の風景も映っていた。まだ三春が生まれる前の出来事だ。濡卑であるからと、立ち寄った村で、石を投げられて、透理が額から血を流している光景が映し出しされている。胸が痛くなった透理が拳を握りしめた時、昭唯がじっと透理を見た。哀れまれるか、同情されるか、そう覚悟した透理が、それでも勇気を出して昭唯を見ると、真面目な表情をしていた昭唯が、それから静かに微笑んだ。


「よく耐えたのですね。貴方はとても強かった。昔から」

「っ」

「過去があるから、今の貴方があるのでしょう? 透理が強い理由に、私は少しだけ触れることが出来たように思います」


 そういうと握りしめて爪が食い込んでいた透理の右手を、そっと両手で握り、昭唯が持ち上げる。その温もりが嬉しかった。


 二人は映し出される様々な時代の風景に囲まれながら、視線を合わせる。

 彼らが生きているのは、紛れもなく〝今〟だった。


 その後、ホログラフィック図書館を後にした二人は、茶屋を数軒まわり、夜の来訪を待った。そして一番星が輝く頃、再び邸宅の前へと訪れた。


「まずは構造を把握しましょうか」

「ああ」


 頷き合って、二人は家の裏手に回る。そちらにも勝手口があったが、こちらには誰も立っていない。しかしそこから堂々と入れば、自分達の侵入が露見する可能性が高い。そう思い、正面の白い壁を見てから、その向こうの庭にある松の木を透理は一瞥した。


「此処を乗り越えて、松を足場に、二階にある出窓から三階の出窓までのぼって中に入ろう。忍術で俺が鍵を開けるから、そこから室内に入って、屋根裏に身を隠して、邸宅の中の状況を把握しよう」

「……随分と簡単に言ってくれますね」

「待っていてもいい。俺が行く」

「いいえ、私もお供します」


 昭唯はそう言って錫杖を握り直すと、それを強く突いて足場にし、軽々と塀を乗り越えた。そして松にのぼる。透理も慌てて跳び、庭に着地してから、松の木に手をかけた。既に昭唯は二階の窓に飛び移っている。忍者顔負けの身体能力だなと考えながら、透理も飛び移り、そこからは懸垂をするように三階へと上がった。そして振り返り、下に手を伸ばす。上がり方を検討していたらしい昭唯がそれを見てにこりと笑うと、透理の手を片手で掴んだ。透理が昭唯を引き上げる。こうして二人は無事に三階に到達した。


 幸いその部屋は無人だった。いいや、偶然では無い。事前に透理は気配を探って無人であることを知っていた。そこから窓の鍵を忍術で解錠し、二人は視線を交わしてから中へと入る。そして天井を見れば、四角い排気のための穴らしきものがあった。透理が跳んで、柵のようなものを外し、屋根裏に通じていることを確認する。そして再び手を伸ばし、昭唯に手を差し出す。それを掴んだ昭唯も、無事に天井裏へと入った。二人は這うように進み、各地ののぞき穴のような役割を果たす排気口から、各地の部屋を見てまわる。するとある部屋に肥えた男がいた。束帯姿で、抽斗を開けている。


「うん。ここにある【通行手形】の枚数ならば、いつでも欲する者に与えられるな。不審者は論外だが」


 男はそういて笑うと、チラリと床を見た。それから抽斗を閉め、鍵をかけると、椅子から立ち上がり、部屋から出て行った。確かに【通行手形】と話していたし、抽斗の中には透明な薄い板が入っていたのを透理は見た。


「きっと彼が殿上人なのでしょうね」

「だろうな。下に降りて、複数あると言うし、俺達の分と……念のため、三春達の分で四枚手に入れよう」


 透理はそういうと排気口の格子を外し、下へと降りて床に着地した。一切音がしなかった。続いて降りた昭唯だが、錫杖がしゃらんと音を立てたものだから、透理は焦った。昭唯はばつが悪そうな顔をしていた。


 しかし声を出している場合ではないので、静かに透理が抽斗へと歩み寄る。

 そして忍術で鍵を開けた。特殊な針金をいつも持っているのである。


 それを鍵の形に変化させることが出来る。手に力を込めると、自在に変化する。変化させることが出来るようになるまでは、幼き日幾度も練習したものだ。全く上手くいかなくて、その頃はまだ腐肉の浸食が軽かった養父に何度も教わった。


「開いた」


 声を潜めてそう述べて、鍵の回る音を聞いてすぐ、透理は抽斗を開けた。


 それから慎重に透明な板を四つ手に取る。それらは無数の束になっていたので、確かに何人が求めてきても困らないだろうし――四枚くらい消えても気づかれないだろうと判断する。透理は、【交通手形】を懐にしまった。


「っ、うわ」


 その時昭唯が声を上げた。驚いて透理は振り返りながら抽斗を閉める。そして無意識に手を後ろにまわして鍵を閉めた直後、昭唯の右足に絡みついている光り輝く糸のようなものを目視した。


「!」


 昭唯の右足の下に丸い妖陣が出現しており、そこから伸びてきた光糸が、昭唯の足首からふくらはぎにまで絡みついている。直後、部屋中に丸い妖陣が出現した。透理の下にも出たので、慌てて飛び退き、昭唯のそばの、何も無い床に降り立つ。


「これ、は……」

「妖陣だ。侵入者を捉えるための罠に使う種類のものだ……ッ、すぐに解術する」


 透理は唾液を嚥下してからしゃがむ。そして光糸に触れながら、絡まった糸を解くように、一つ一つ外し始める。だが無数の光糸が絡みついているため、中々上手くいかない。透理はくないで妖陣の上にある昭唯の足の周囲に五つの穴を開ける。するとそれは六芒星に変化する。直後新たな光糸は出なくなった。だが既に出現していた糸は昭唯の足を絡め取っている。


「っく」


 奥歯を噛みしめ、必死に透理が慎重な作業を始める。

 丁度、その時だった。外から笑い声が響いてきた。


『いやぁ、貴方様のご友人なら、【交通手形】を渡すのは大歓迎ですなぁ』


 先程の男の声だった。大声であるからよく聞こえる。

 数名の客人と一緒らしく、会話する声は、どんどんこの部屋へと近づいてくる。

 それを理解した様子で、険しい顔をした昭唯を、透理は見た。


「透理、お逃げなさい。貴方だけでも。貴方には目的がある。私は一人でもどうにか切り抜けます。口先だけは得意なので、なんとかします」

「黙っていろ」


 しかし透理には待避する気配はなく、素早く手を動かしている。必死な様子だ。


 その姿に、唇を噛み、昭唯は胸の苦しさを抑えながら、声を潜めつつも強い口調で続ける。


「早く、逃げるのです。透理、貴方はお父様に会うのではなかったのですか!?」

「煩い!」

「三春はどうするのですか!?」

「……」

「嘉唯のことをお願いできるのは、貴方だけなんです!!」


 強い語調で昭唯が言う。しかし透理は何も言わない。


 ――もう少し。

 ――あと少し。


 だが、足音が扉の前で止まった気配がした。硬直しそうになる体を、透理が叱咤し、手を動かし続ける。


「透理……!」


 扉の取っ手が捻られる音がした。

 直前で、透理は解術に成功し、結果部屋中の罠も消失した。

 無理に昭唯の手首を取って、透理は天井裏に逃れる。


 そのすぐ後、扉が床に擦れて高い音がした。間一髪だった。


「いやぁ、本当にリオン様のご友人に【交通手形】をお渡しできるなんて誉れですな」


 肥えた男が丸い鼻を指で擦っている。


 その姿を排気口の合間から、透理は汗をダラダラかいた状態で見ていた。その後ろで背中を合わせてよりかかり、上がった息を抑えるように昭唯が両手で口を覆っているのが分かった。背中合わせに互いの温度を感じながら、透理は速い動悸を抑えようとしていた。


 じっと睨み付けるように、透理は下を窺っている。するとリオンが床をチラリと見たのが分かった。透理がクナイで傷をつけた場所だ。汗がこめかみを伝い、顎から垂れそうになったので、透理は手で拭う。緊張と動揺からかいている汗だ。


「……」


 その時、実に何気ない様子で、リオンが排気口を見上げた。直前で仰け反って透理は己の体を隠したが、下の気配を窺えばリオンがこちらを見ているのは明らかだった。視線の動きでさえも感知できるのが忍びだ。


 だがリオンは無言のまま、今度は微笑をした様子で、会話の輪に加わっている。

 リオンの友人達に、家主の男が【交通手形】を渡すようで、抽斗を開けている。


 男達は、部屋の異変などには気づいていない様子だ。ただリオンだけは気づいているように透理は感じた。排気口を見上げた瞳も、初対面の時と同じで、睨めつけるような厳しいものに思えたからだ。天井の板一枚越しに、射貫かれたような心地になり、肝が冷えた。


 そもそも犬の散歩をしていて、昭唯に話しかけた段階から、リオンはここに誘導するように動いていたようにすら感じる。この部屋に防衛用の罠があることも知っていたのかもしれない。そう考えるのは、穿ち過ぎだろうか? 透理は瞬きをしながら考えたが、直感として、リオンは危険だと思った。そもそも何度も気のせいが重なることなんてありえない。


 その後談笑していた人々が部屋から出てから、透理達は慎重に移動し、邸宅を後にして、塀の外に着地した。既に月が傾いている。気配を消すことに必死になりながら移動し、来た部屋の真上に戻ったところ、そこに人がいたため、その者がいなくなるまで身を潜めていたせいで、遅くなった。だが、無事に待避できた。


 星が輝く深夜、透理は昭唯と共に宿へと戻った。道中は、お互いに無言だった。


 宿へと戻り静かに扉を開けると、すやすやと寝息を立てながら三春と嘉唯が眠っていた。その姿を見た途端、やっと透理の肩から力が抜けた。無事に戻ってきたのだという実感がわいてきた。すると、その時昭唯が透理の肩に触れた。


「透理。貴方の友情には感謝していますが、真に私を友だと思うなら、次は見捨ててください」


 水のように静かな声音だった。首だけで透理が振り返る。


 ――友情。その言葉が妙に胸に突き刺さった。今日はその言葉が、いつもより重く感じる。


「約束してください」


 目が合うと、力のこもる瞳で、じっと見据えられて、透理は瞬きをするのを忘れた。


「約束です」


 繰り返されたその言葉に、一拍の間を置き、透理が首を振る。


「悪いが出来ないことは約束はしないことにしているんだ」

「っ」


 すると昭唯が息を呑んだ。

 そしてそれから――破顔すると、フッと吐息に笑みをのせる。


「そうですか」

「俺達も休もう」

「ええ。今日は熟睡できそうです」


 このようにして、二人は隣り合う布団に入った。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る