第7話 日高見国


 既に、陽が高い。


 特に示し合わせたわけでは無いが、本日も透理は昭唯と共に、彩に歩み寄った。そして彩の傍らに座す。視線を向け合ったのもほぼ同じ瞬間だった。どちらともなく静かに頷く。聞きたい事があるのは、昭唯も同じようだと透理は感じた。


「彩殿、少し宜しいですか?」


 上辺に微笑を浮かべ、最初に切り出したのは昭唯だ。いつも率先して動いてくれるから、本当にありがたいと透理は思う。だが、次は自分が問いかけようと決めていた。


「なんだ?」

「その――彩様が言う、『雪童の民』というのは、一体なんだ?」


 続けて透理が、決意通り尋ね。

 すると不思議そうに目を丸くして、瞬きをしてから、彩が座った。


「人間に労働力として生み出された存在だ。人間の癖に、何故そのような事実を知らないんだ?」

「――では、まず一点。貴方は人間ではないと?」


 昭唯が真面目な顔になる。怜悧な目をしているその横顔を、透理が一瞥する。

 するとゆっくりと彩が頷いた。


「人間に会うのは、二百年ぶりだ」

「彩殿は、その……」


 さすがに昭唯も言い淀んでいる。そこで透理が改めて尋ねた。


「神なのか? もしくは……物の怪の類いか? 不老不死ということは、神仙か……?」

「? 雪童の民は、日高見国の人間が、人工的に生み出した存在だ。それに不死ではない。人間が、この程度がよいと定めた寿命が設定されている」


 透理は昭唯と顔を見合わせる。


 日高見国は、神話に出てくるいつの間にか消えた国の名前だったと、二人とも記憶していた。大昔に存在したらしいが、いつ無くなったのかは不明だと、神話に綴られているし、口伝もされている。一説によれば、時や分、十二の月は、この国から伝わったとされる。通貨の圓も同じだったはずだ。


「日高見国は実在するのですか?」

「ああ」

「何処にあるのですか?」

「地下だ」


 なんでもないことのように彩が言う。首を傾げつつ、透理が呟いた。


「雪童の民は、何をするために作られたんだ?」

「人間に尽くすためだ。労働力即ち仕事を代わったり、家事をしたりする」

「人が来ない山なのに、人の世話をするとは、一体どういうことなのですか? 貴方は此処で何を?」


 昭唯が腕を組んだ。錫杖は横に置いてある。


「俺は、この山の雪葬地で氷墓を管理しているんだ。日高見の国の人間が、再起動しに来るまで、雪童の民は雪葬地の氷墓にて眠っている。三百年に一度、管理者の変更がある。今の管理者が、俺だ。あと百年ほどは、俺が管理をする。その間に来た人間には尽くす」

「雪葬地?」


 聞き慣れない単語に、透理は腕を組んだ。


「この社の裏にある。見てくればいい」


 それを聞いて、透理は昭唯と顔を見合わせた。頷き合い、揃って立ち上がる。

 社を出ると、本日も雪が降りしきっていた。ざくざくと雪を踏み、裏手を目指して透理は昭唯と共に進んでいく。


「ん?」


 暫し歩いた時だった。先に透理が足を止め、続いて昭唯も錫杖を握り直す。


 二人は不自然に整形された四角い雪の列を見つけた。なんだろうかと考えて視線を交わした二人は、少し足早に歩みよる。降り積もっている雪の下に何かがあると悟り、丁度二人の腰くらいの位置にある、その台に似た列の表面の雪を、透理が払った。するとその下に――僅かに青く見える氷が現れた。


「なっ、透理、これは……」

「っ!」


 驚いて二人が目を見開く。揃って硬直してから、二人は顔を見合わせ、改めて現れたモノを見た。そこには氷の箱――いいや、棺があった。そこに氷漬けのように人間が入っている。驚いて、隣の雪も払えば、そこにも氷漬けの人間が横たわっている。狼狽えながらも次々と雪を払っていけば、確認しただけで十三名の、氷漬けの者がいた。列はまだまだ並んでいるし、幾重にも重なっているのが分かる。目算だけでも、数百人の人間が、氷漬けになっていると予測できた。いいや……氷漬けなのだから、死人か。


「……私達用の氷の柩は無さそうですが……」


 昭唯の笑えない冗談に、透理は何も返す言葉が見つからない。

 透理は昭唯に目配せして、すぐに引き返す。透理は険しい顔で、引き返す道中は無言だった。


 急いで社に入り、透理と昭唯は再び彩の近くに座った。


「彩殿、見て参りました。一体あの遺体の数々は、なんですか?」

「遺体ではない。仮死状態にするのが氷墓だ。尤も、ある意味では、死んでいる。よって、雪葬地と呼ぶんだ。全ては、日高見の技術だ」

「彩様、少なくとも今は、俺は濡卑の一座として定住を許されず旅をしていたから分かるが、日高見国というのは存在しない。濡卑には、絵森郡以外の日ノ本の土地を描いた絵図が伝わっているんだ」

「地下にあると言っただろう。そこにギオン様もおられる」


 いつか透理の顔を初めて見た時も、彩は同じ名前を出した。それを想起し、透理が尋ねる。


「ギオン様とは?」

「雪童の民の主だ」


 その答えを聞いて、昭唯が唸ったので、透理が顔を向ける。


「彩殿にも主君がいたということですか?」

「いいや、支配者、だ」

「主君と支配者は違うのですか?」

「そうだな……日高見国の人間は、雪童の民を創造した――即ち、ある種の神といえる」

「神……?」


 不可解なことばかりだなと考えつつ、透理は溜息を堪える。それから改めて、障りを消してくれた〝薬〟について考えた。


「呪いを……いいや、〝病気〟を治してくれたのも、日高見の医術なのか?」


 今ではきちんと、透理も呪いではないと受け入れられるようになってきた。

 もう、呪いのせいだと言い訳して、諦めるのを止めようと決意している。


「日高見国由来の医学が、全ての雪童には、据付されている」

「据付とは、なんだ?」

「日高見国の者が、我々の人格をプログラムして体に入れたそうだ」

「?」

「遠い未来から、過去へと戻る一族だ。今はいないのだろうが、また未来に生まれてくるのだろうな。この和国日ノ本が続く限り、日ノ本が滅びぬ限り、あるいは、滅びた時に、また戻るのか。だがいずれにしよ、地下に戻って、また地上に広がる。その時、雪童の民はまた支配され、労働力となるのだろう」


 その言葉に、透理は昭唯と顔を見合わせる。


「労働力とは、具体的には?」


 昭唯の声に、彩がそちらを見た。透理は見守る。


「たとえば危険な施設で放射能の処理をするなどの仕事が多かったな」

「放射能とはなんですか?」

「電力の元となるものだ」

「電力……?」


 聞いても聞いても分からないことだらけである。透理は考え込みながら瞼を閉じる。


「それは、その……蝶花学というものか? 飛ぶ蝶々に、咲く花に……」

「――超科学、が、誤って伝わったのだろうな」

「チョウカガク……? どう違うんだ?」

「例えば地下でなく、宇宙へ行き、テラフォーミングしたり、コロニーで暮らす日高見国の縁者もいる。それを実現させる力という事だ」


 彩の話は難解だと、透理は思った。尤も、雪童を生み出すという秘術を持つらしき、日高見国という古代の国家を想定するならば、人知を超えた神のごとき技術力があったとしても、別段驚く事では無いのかもしれない。雪童だという彩ですら、驚くべき御業を使うというのに、日高見国の人間はそれ以上らしい。透理は静かに目を開けた。その時、昭唯が口を開くのを、透理は見た。


「地下の日高見国に行くことは出来ますか?」

「昭唯、何を言っ――」


 驚いて、焦るように透理は声を上げた。


「人間ならば可能だ。人間は入ることが出来るだろう」

「どうやって行けばよいのですか?」


 視線で昭唯に制されて、透理は沈黙する。すると彩が続けた。


「山頂に、地下に通じる路がある。〝祠〟と呼ばれるエレベーターだ。それに乗ると、下に降りられる。だが――……二百年前に来た者にもこの話をしたが、その者は戻らないなぁ。もう二百年も経つというのに。見物したらすぐ戻ると言っていたのにな」


 ぽつりと彩が言った。


「二百年? 死んでいるんじゃ……? 人間の寿命は長くても七十歳くらいだぞ……? 七十歳でも仙人の域だ……」

「そうなのか? 日高見の人間は、百歳までは生きる者が多いようで、たまに長寿を選択した者は、五百歳は生きたが? 基本的に日高見以外の人間は、可能な限り長寿を望むと聞いた。ならば、死なないのではないのか?」

「そんな馬鹿な……」


 透理は唖然としてしまった。


「寿命が短いというのは羨ましいものだな。もし俺が人間になれたら、百歳まで生きたら眠るように逝きたいものだな」

「――雪童は人間になれるのですか?」


 昭唯が問いかけると、彩が右耳の耳飾りに触れながら、視線を下げた。


「わからない」

「そうですか」


 頷いている昭唯と俯いた彩を、透理は交互に見る。彩はどこか寂しそうに見えた。

 その表情を見ていると、胸が痛んだ。


 考えてもみれば、長い刻をたった一人で墓守として過ごし、稀に訪れた人間もすぐに死んでしまうとすれば、想像を絶する孤独がそこにはあるだろう。


 そんなことを考えていると、不意に顔を上げた彩が、思い出したようにまじまじと透理を見た。視線が合ったので、透理は首を傾げる。艶やかな黒髪が揺れる。


「その隠力色は……やはり……第一、顔が……」


 ポツリと彩が言う。聞き慣れない単語に、素早く透理は昭唯と視線を交わす。

 彩が続ける。


「透理の隠力色は、濃い青だ。瑠璃紺色だ。それは、ギオン様と同じだ」


 再び出たギオンという語を聞き終えてから、透理が尋ねる。


「それは同じだと何か問題があるのか?」

「ギオン様の隠力色は、直系長男のみに受け継がれる。即ち、透理はギオン様の子供と言うことだ」


 突然の言葉に、驚愕して透理は目を見開いた。

 昭唯も驚いたように透理に視線を向ける。


 ――実の父親の顔は知らないし、生死すら耳にした事はないのだと、改めて思い出す。


「俺の父親が……生きているのか?」

「ギオン様は、不老不死に限りなく近い存在だ。代替わりは、当代の判断で行われる」

「……そうか。父が……父は……その、ギオン様は、日高見にいるのか?」

「そうだ。雪童の民の創造主たるギオン様は、日高見にいる」


 それを耳にし、膝の上に置いていた両手を、ギュッと握った透理は、瞼もまたきつく伏せる。父のことが気にならないと言えば嘘になる。その時昭唯が首を傾げた。


「ところで、隠力とはなんですか? 御仏に仕える仏門の徒――即ち僧侶が用いる陽力ならば聞いた事があります。万物に宿る神を奉る御仏への信仰心で人間に宿る陽力を引き出し、法術を使うものです」

「陽力は、地上の人間の力だ。日高見の人間は、それに加えて、隠力という、信仰心とは別の技法で潜在能力を引き出し、本物が無いのにあるように視せる術を得ている。大なり小なり、日高見の人間には、両方の力があり、それぞれの指数が存在する。隠力は、地上においては、忍びの一部の技法でのみ使われていると聞く」

「忍び……」


 チラリと昭唯に視線を向けられたが、透理は首を振る。聞き覚えが無かったからだ。


「透理の父がギオン様だとすれば、透理は本来、日高見国の人間と言うことになる。戸籍が作られるのが道理だ。何故、地上にいるんだ?」


 不思議そうな顔で、彩が己を見ているのを、透理は理解した。


「……」


 ――母子を捨てて、父は日高見に戻ったのだろうか?

 ――濡卑であるから?


 そんな考えが浮かんできたが、実際のところは分からない。

 だが、拳を握ったままで、透理は明確に一つの決断をした。


「俺は父上に会いたい。先程日高見に行けると話していたが、行っても構わないか?」


 真剣な色が、透理の瞳に宿っている。形のよい切れ長の瞳の眼光は鋭い。

 見る者が気圧されるような表情だった。


「ああ、勿論構わない。だが、そうか。もし日高見に行くのならば……――これを、ギオン様に渡して欲しい。お前ならきっと会えるだろう」


 そういうと彩が、一つの勾玉を透理に差し出した。翡翠色のその石をまじまじと見てから、頷き透理は受け取った。


「分かった、必ず届ける。これも、恩返しの一つだ。ただのついでだしな」


 そう言って透理が唇の両端を持ち上げると、すぐそばで嘆息する気配がした。


「仕方ありませんね、付き合いましょう」

「えっ……?」


 思わず唖然として、透理は昭唯を見る。昭唯は彩を見据えたまま、真面目な表情をしている。


「孝史に事情を伝えて、皆をまとめてもらわなければなりませんね。幸い快癒したところですし」

「ああ……濡卑の一座のことは、馨翁に頼む。一度、頭領の立場をお返しする」

「無難でしょうね、何があるか分かりませんので」


 そう言うと、吐息に笑みをのせ、ようやく柔らかな表情になり、ゆっくりと昭唯が視線を流すようにして透理を見た。目が合うと、昭唯が笑みを深めるたので、透理は狼狽えた。


「本当に来るつもりか?」

「ええ。私は、貴方の相棒を自負していますので。見過ごすわけにはいきません。御仏もきっとお許しくださらない」


 冗談めかしたその声に、透理もまた小さく口元を綻ばせた。彩の前で何を言っているんだと照れくささもあって、チラリと彩を見たが、特に表情の変化は無くて安堵した。


「明日、山頂のエレベーター前にいる。祠が目印だ」


 よく通る声で、彩は述べた。それから立ち上がる。

 着物の裾を直してから、彩は戸口へと振り返り、歩いて行く。


 そして綿雪の中を、帰って行った。果たして、何処に帰っているのだろう? まだ透理は、それを彩に聞いた事がなかった。




 その日の夜、透理は昭唯と共に、皆を招集して、事情を説明した。


「――だから、俺は父親に会いに行く。それが、彩様に対しての恩返しにもなると考えている」


 既に馨翁には話を通してあったので、視線を向ければ好々爺が皺を深くして肉厚の唇で弧を描く。彼の障りもすっかりよくなった。そこへ昭唯が声を挟む。


「私も同行します。心配はいりません。私がしっかりと透理を見ておきますので」


 真面目な顔をして昭唯が言う。


「お前の面倒を透理が見るの間違いじゃねぇのか?」


 こちらも全快した孝史が揶揄すると、昭唯が半眼になった。


「孝史は、随分と元気になりましたね」

「おう。お前らのおかげだ。ついていてくれて、ありがとうな」

「――いえ。貴方もまた大切な友人ですから。それより、雛原の村人も、濡卑の一座の者達についても、頼みましたよ、村長」

「おう。もう暫くは、村長をやっておく。早く帰ってこいよ」


 するとその時、嘉唯と三春が声を上げた。


「俺も行く!」

「僕も」


 威勢が良いのと、声が小さいのとの違いはあったが、どちらとも芯のある声音だった。昭唯が首を振り、それからまず嘉唯を見た。


「ダメです。危険が伴います。足手まといです」

「師匠は帰ってこないかもしれないし、一人じゃ危ない! 俺が着いてって、透理を見てる師匠を見てる! だから連れて行ってくれ!」

「もう子供ではないのですから、だだをこねないように」

「師匠、俺のお師匠様は師匠だけだ。いつも一緒にいるって言っただろ!」

「村の寺生活ではそうであっても、今は状況が違います」


 取り付く島もない様子で昭唯が切り捨てると、嘉唯が唇を尖らせてから、俯いて右手の拳を握り、膝を二度強く叩いた。透理は暫し、そちらを見ていた。


 そこで沈黙が降りた時、今度は透理が三春へと視線を向ける。


「三春、これは俺の問題でもあるんだ。だから、分かってくれ」

「……僕を一人にするの?」

「……」

「お兄ちゃんは、僕を一人にするの!?」

「ッ」


 普段は声など荒げない三春の強い語調に、透理の胸がズキンと痛む。しかし、昭唯も言ったが、実際地下には何があるか分からず、危険である可能性がある。あちらにはそもそも自分達が知らない技術や隠力術とやらが存在する以上、もし揉め事が起きたら分が悪いのはこちらだ。


「……その呼び方は、してはならないと言ったはずだ」


 透理は胸の痛みを表に出さないように、努めて無表情を保つ。心を鬼にして、三春を突き放す。すると瞳に悲しそうな色を宿し、何か言おうとするように唇を震わせてから、三春もまた俯いた。眼窩から、ぽとりと着物の膝に涙が落ちていく。その姿が、透理には辛い。


 だが、これ以外の方策は無い。


 それに本音を言えば、透理は――昭唯のこともおいて行きたいと考えている。


 少し早い時間に出るつもりだ。そして彩には、昭唯が来ても祠に入れないようにと伝えておく予定だ。


「よし、旅立ちを祝って、宴だ!」


 その場の空気を仕切り直すかのように、孝史が明るい声を上げる。


 立ち上がった人々が、料理や酒を運んでくる。いずれも彩が齎してくれたものだ。透理は孝史に肩を抱き寄せられて、酒盃に和酒を注がれた。昭唯の酒盃には濡卑の青年が酒を注いでいる。


「なぁ、透理」

「なんだ?」

「やっぱり、呪いじゃなかっただろ?」

「ああ」

「それを当てた俺の直感が言ってる。お前の親父さんは、きっとお前に会ってくれる。だから、胸を張って堂々と行ってこい。それまで、俺がまとめておいてやるからな」

「……孝史、ありがとう」

「礼を言っても言いきれないのは、俺の方だ」


 それから視線を合わせ、二人とも苦笑じみた表情を浮かべた。


 ぞくぞくと料理も運ばれてくる。このようにゆっくりと、皆と酒を酌み交わした経験など、透理は無い。今のこの時間、この空間が愛おしくて、それだけで胸がいっぱいになる。これらは、彩のおかげだ。だから絶対に、恩返しがしたい。


 その後、透理はチラリと昭唯を見た。


 ――昭唯とも、もしかしたら今日が最後の夜になるかもしれない。最も世話になった相手だ。相棒だと、言ってくれた。だが、だからこそ、甘えてついてきてもらうわけにはいかない。そう思いながら見ていると、チラリと昭唯が透理に視線を向けた。気づかれたことに焦ったが無表情を保っていると、すぐに昭唯は視線を逸らし、酒を注いでくれる周囲に対して笑顔を浮かべ、楽しそうに雑談に興じ始めた。特に勘ぐられたわけでは無さそうだと、透理は安堵する。昭唯の後ろで結った髪が揺れるのを見ながら、透理は酒盃を呷った。


 その晩は、遅くまで宴が続いた。


「俺はもう寝る!」

「僕も」


 子供達は、そう言って早々に切り上げていた。明日は見送りをしてくれるという皆には悪いが早く出るから、三春の姿を見るのもこれが最後かもしれないと、透理はじっとその背を見送っていたが、三春が振り返ることはなかった。


 そのようにして、一人、また一人と離脱して、眠っていく。

 明日に響くからと、透理が退席することにした時、解散となった。

 深夜の三時を回っていた。


 彩とは時間の約束をしておらず、そこだけが不安だが、彩はいつも昼下がりにこの社に顔を出すから、その頃では無いかと透理は考えている。なんとか昭唯よりも先に彩に会わなければ。そう考えつつ布団を被った。


 ――そして、朝五時が訪れた。


 既に旅支度を調えていた透理は、社から人知れず外に出た。冬の冷気に、息が凍える。誰に気づかれた様子もなさそうだと考えながら暫く歩く。この降りしきる雪の中では、足跡などすぐに消えてしまうだろう。そう思った時だった。


「透理」


 正面に一本だけ立っていた杉の木の後ろから、不機嫌そうな顔で昭唯が出てきた。

 唖然として、透理が目を見開く。

 その顔を見ると、短く吹き出すように昭唯が笑った。


「貴方なら、こうするだろうと思っていました」


 クスクスと笑う昭唯の姿に虚を突かれた後、思わず透理は破顔した。

 本当は、一人で不安もあった。それを与んでくれた昭唯の気持ちが嬉しい。


「透理の笑顔は貴重ですね。さぁ、行きましょう」

「ああ」


 昭唯は錫杖を付きながら、透理はしまっているクナイの位置をなんとなく確認しつつ、雑談をしながら山頂に向かって雪道を歩く。一時間ほど歩いただろうか。見えてきた山頂には、岩が見え、その横にいつも通り薄着のままで、彩が立っていた。あの格好では、ヘタをすれば命が危険だと感じ、慌てて透理が駆け寄る。


「悪い、待たせたか?」

「申し訳ありません。彩殿がこんなにお早いとは思っておらず……」


 すると二人に気づいた彩が、淡々という。


「俺は、日付が変わってすぐここに来た。俺は『明日』が何時なのか伝えるのも、聞くのも忘れていたんだ。俺側が悪い。ところで――連れは先に右のエレベーターで降りたぞ? バラバラに行くというのも聞いていなかった」


 彩の声に、二人が顔を見合わせる。


「連れ?」

「誰ですか?」

「三春と嘉唯だ」


 その言葉に、透理は息を呑んだ。


「連れじゃなかったのか? 夜中の二時頃、眠そうにしながらここに来たから、乗せたぞ」


 思わず透理は呆気にとられた。


「彩様、すぐに俺の事も行かせてくれ」

「私の事もお願いします。まったく、あの子は……これだから……」

「では、左の祠に乗るといい」


 彩はそう言うと、横にある巨石を掘るようにして存在している入り口を、指で示した。


「右と左がある。どちらも動作は変わらない。【開】を押して、中に入ったら、【閉】を押す。中には、【上】と【下】があるから、【下】を押せばいい。帰ってくる時は、【上】を押す」

「わかりました」


 昭唯が頷きながら、早速中へと向かったので、続こうとしてから、透理は彩に振り返った。


「恩は絶対に返す」


 すると目を丸くした後、にっこりと彩が笑った。それは透理が今まで見た中で、一番温かい笑顔だった。こうして透理もまた中へと向かう。透理はもう、振り返らなかった。




「この箱の、下に落ちていく感覚……なんだか私は目眩がします」

「……俺もだ」


 視界が真っ暗で、上部から何やら光が降ってくるだけだ。糸のような光が、過去の天井に広がっており、それが光を放っている。透理は、忍術の妖陣という紋章を用いる時に出てくる光糸に似ているなと漠然と思った。


 その思考が、急に周囲が全て透明に変わった瞬間に途絶した。


 箱の四方が、透明になっていて、外が見える。見れば、地下に降りてきたはずだというのに、太陽があった。確かに体感だが夕暮れ時なのは間違いないが、太陽は地上の空にあるものだ。地下の中央に浮かんでいるのは不可思議だ。だが空には、綺麗な夕焼けも見える。次第に青が混ざり始めている。


「これは……」


 昭唯が大きく二度、瞬きをし、透理の袖を引っ張った。


「あそこに見えるのは、絵巻でみる昔の華族や都の公家が暮らしているという邸宅では……?」

「分からない。俺にはそういった学は無い……」

「で、では、あちらは? あれは、大名が好む城に見えませんか? ただ……ちょっとそれにしては豪華というか……金色の魚がついていますね……」

「よく分からない。旅をしていても、ああいったものは見た事がない」

「私に一番奇っ怪なのは、あの天にそびえ立つほど巨大な四角い建物です。あれはなんですか?」

「さっぱりだ」

「ですがあちらには、藁で出来た家もありますね……まるで様々な時代が一緒くたになっているかのような……」


 昭唯の声に、透理ははたと思い出した。


「彩様は、日高見の人間は、時を巻き戻る民だと話していたな……」

「そうですね。だとすれば、ここには様々な日ノ本のものがあるのでしょう。我々があずかり知らぬ未来や過去のものも存在するのかもしれませんね。果たして言葉は通じるのでしょうか?」

「……どうだろうな」


 少なくとも彩とは通じたのだから、大丈夫だと信じたいところではある。


「桜が咲いていますね。地上は秋で、花刹山は大雪ですが」


 箱が降りていくに従い、薄紅色の花弁が舞い散る光景がよく目に入ってくる。

 桜の木が次第に大きくなっていき、それを見ていると、エレベーターというらしき箱が停止した。


「あ、開けますよ?」

「ああ」


 恐る恐るというように昭唯が【開】を押した。

 すると正面が二つに割れた。顔を見合わせて、透理と昭唯は揃って一歩前に進む。


 初めて降り立った日高見国の地面は、草に覆われていた。現在丸い丘の上に透理は立っている。振り返ると、この場で唯一人工的で異質な箱の扉がぴたりと閉まった。


「……嘉唯達は何処に行ったのでしょうね。あのバカ。ここで大人しく待っているといいと、僅かでも期待した私の方こそ本当のバカですが」


 昭唯が呆れた顔で、こめかみを指で解している。

 透理もまた肩を落とした。


「二人が心配だ。探すしかないな」


 すると昭唯が、錫杖を強く地についた。


「――そのためには、宿を取ったり、情報収集をしたり、食料を確保したりしなければなりませんね。透理はどう思いますか?」


 その事実を直視したくなくて、透理は両手で顔を覆った。狐面は後ろに回している。


「俺は完全に自分単独を想定していたから、忍術を用いて一人でさっさと父に会い、日帰りで戻るつもりだったんだ」

「言い訳は結構です。つまり?」

「……なにも用意していない」


 やはりなという顔つきで、昭唯が嘆息する。


「私はあくまで地上の通貨は僅かに所持していますが、ここが同一の価値だとは思えません。まずは、資金がいります。それをどうにかしなければ。さぁ、行きましょう」


 錫杖をつきながら昭唯が歩きはじめたので、慌てて透理が追いかける。


 丘を下っていくと、正面の通りに出た。土が踏み固められている大きな道で、左右には店らしきものがある。ただし、【かき氷】は分かっても、【ホットスナック】は意味が分からず、【イチゴ飴】は分かっても、【アイスクリーム】の意味は不明だった。瓦屋根が並んでいるから、地下には雪が降らないのだろう。空の色は変わっても、天候は変わらないのかもしれないと、透理は考えていた。


「人がいます」


 昭唯が立ち止まり、また先程のように透理の服を引っ張った。


 透理がそちらを見ると、樽の横に、背の低い白髪頭の男の姿があった。四十代くらいだろうか。昭唯が手を離し、真っ直ぐに歩み寄っていくので、慌てて透理も隣に並ぶ。


「こんにちは」


 昭唯がにこやかな作り笑いで、声をかけた。すると男が顔を上げ、小さく頷いた。


「こんにちは。いやぁ、今日は天気がいいねぇ。雪も降らず」


 それを聞いて、瓦屋根なのに雪が降ったら、雪が落ちずに家が潰れてしまうのではないのかと、透理は不思議な気持ちになった。昔母に聞いた事があった知識だ。


「ええ、そうですね。ところで、不躾な質問で恐縮なのですが、ご職業は?」

「へ? 僕の職業? 僕は人間だけど? 人間は働かないよね? 働くのは土童と決まっているじゃないか」


 その言葉に、透理きょとんとしてから、ちらっと昭唯を見て、また正面に視線を戻した。昭唯が続ける。


「では、どのようにして、収入や食料を得ているのですか?」

「収入? 日高見にはお金はないから、そんなものはないけど? もしかして、暇つぶしに職業体験をしたいって事かな? 変わり者だね。人間は生きているだけでいいのに。食料だって、日高見全体に隠力結界が展開されていて、そこから栄養補給が可能だから、娯楽でしかしないじゃないか。君達、そんなに暇なのかい?」

「え、ええ……ま、まぁ……そ、そんなところです」


 昭唯が明らかに動揺しつつも、なんとか取り繕った。すると男が笑った。


「それなら土童に言えばすぐだよ。仕事も飲食物も、なんだって持ってきてくれる」

「――た、たとえば家が無い場合は、家もでしょうか?」

「勿論。当然じゃないか! 気分で引っ越ししたい時だって、すぐだよ」

「ええと……土童は、一体何処にいるんですか?」

「さっきから聞いているとよく分からないけど、君、もしかして頭でも打ったのかい? 土童は、全員が首に黒い革製の首輪をしているから、すぐに判別できるじゃないか。ほら、たとえばあそこに一人いる」


 男が指差した方角を、二人は見た。そこにはなんら人間と変わらぬ姿だが、確かに首輪を嵌めた者がいた。


「まぁあんまり記憶が混濁しているようなら、早めに病院に行くといいよ。お医者さんも土童だからね。じゃあ、また」


 男はそういうと手をふり、歩き去っていった。

 残された昭唯に、透理は困ったように視線を向けられる。


「と、とりあえず、あちらの土童に声をかけましょうか?」

「あ、ああ……他にする事は思いつかない」


 こうして恐る恐る二人で歩み寄った。そして透理が緊張して唾液を嚥下した時には、昭唯がまた笑顔になって声をかけていた。


「あの、土童さんですか?」

「はい」


 すると彩に似た、淡々とした声が返ってきた。だがこちらの土童の方が、抑揚の無い声だ。


「四人で過ごせる家と、食べ物と飲み物を、用意してもらえませんか?」


 昭唯は笑顔のまま、きっぱりと要求した。確かにそれらは必要だと透理も感じるが、ここまでの図太さは持ち合わせていないので、動悸が激しくなる。


「分かった、こっちだ」


 すると土童だという青年が歩きはじめた。二人はその後に続く。

 土童は、通りを抜けると左折して暫く歩き、その後右折した。

 そこには、より大きな通りが広がっていた。

 その内の一角に、二階建ての宿屋のようなものがあった。


「ここの二階が今日からお前達の部屋だ。食べ物は、隠力倉庫に入っているから、中に行けばある」


 そう言うと、土童は帰っていった。引き留める理由も無かったので、透理は昭唯と顔を見合わせてから、中に入ると決める。一階の扉を開けると、正面に階段があった。そちらの中へと進み、軋む階段を上っていく。二階には一部屋しか無く、畳が敷いてあった。そして箪笥のようなものがあり、隠力倉庫と書かれている。それを開けてみると、中からひんやりとした冷気が漏れてきた。


「飲み物のようですね。水でしょうか」


 昭唯は『ミネラルウォーター』と書かれている透明なものを見る。キャップを捻って飲み始めた昭唯に対し、透理が慌てる。


「毒だったらどうするんだ!?」

「――ただの水のようでした。次からは気をつけます」

「……」


 先が思いやられるなと透理は思ったが、自分一人では土童に声をかける勇気が出たか怪しいので、やはり昭唯が来てくれたのはありがたいし、その存在は偉大だ。


「食事よりも先に、少し休みましょうか」

「ああ、そうだな。なんだか、疲労感がすごい」


 布団が敷かれていたので、二人は隣り合っている布団に入った。移動時間が長かったとはいえ、どっと疲れた一日だった。


 透理が天井を見上げていると、不意に昭唯が透理の腕を引いた。


「なんだ?」

「いえ……久しぶりに二人きりだなと思いまして」

「それが?」

「……それが、という事は無いでしょう。拗ねました。明日には私達は死んでしまうかもしれませんよ? 何があるのか分からないのですから」

「……っ」


 それを聞き、思わずおろおろとしてしまい、透理は昭唯に視線を戻す。すると正面から目が合った。


「ねぇ、透理? 明日から何があるか分からないのですから、今日こそ貴方の気持ちを聞かせてもらえませんか?」


 優しく言われ、透理は瞳を揺らして思案する。


 気持ちはとっくに『相棒』だと、そう告げたいと固まっているけれど、明日何があるか分からないこと、言えない。そんな風に思う。もし本当の父親に会ったら、己がどうなるのかも分からないからだ。日帰りで帰るつもりだったのは本心だが、何が起こるかは、会ってみなければ分からない。


「……帰ったら」

「ん?」

「花刹山に戻ったら、伝える」

「ほう」

「……それまで、待って欲しい」


 小声ながらも必死で透理が伝えると、少ししてから昭唯が微苦笑して頷いた。


「仕方ありませんね。私は貴方のお願いに弱いようです。お願い自体、初めてされたのですが――……いいものですね、少し、切なくもありますが」


 そう言った昭唯の横で、この日透理は眠りについた。





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