第6話 据付


 それから、数日が経過した。

 彩には、透理達に『出て行け』と言う気配が無い。


 日に一度やってきて、料理を作り、風呂のお湯を変えていくだけだ。その風呂も、片側の温泉の湯は湧き出ているのだとしても、もう一方は不可思議な造りをしている。銀の持ち手を捻るとお湯が出てくるのである。村人も濡卑の者も皆興味津々だが、直接彩に聞ける者は誰もいない。それにそちらは、三春の専用のもののようになっているから、すぐにみんな立ち入らなくなった。濡卑の神子は一般の民にとっても万象仏教においても、特別視される存在だ。過去には、透理の母が神子だった頃、高僧が調査に来た事もある。


 また朝夕は、自炊を許されている。それだけでも、人として扱ってもらえる事だけでも、濡卑の者達は歓喜している。濡卑が触れても、彩は嫌がらない。その事実には、透理も安堵している。


 その上、花刹山にいる以上追っ手の心配もない。雪童の呪いを外の者達が恐れているからだ。


 雛原村の人々を急襲した忍び衆も、東雲水軍の者達も、ここへはやってこない。

 結果として、一同が安堵して、心身を休めているのが透理にも分かる。


 そして最も良い知らせは、彩が手当をしてくれたおかげなのか、孝史も次第に起き上がれるようになったことだ。既にお粥などを自力で食べられる。


 今も孝史は、匙でお粥を掬っている。

 それを見守っていた昭唯に、透理が声をかけたのは、ここに来て四日目の昼だった。


「……やっぱり、俺達は出て行こうかと思うんだ」


 基本的に濡卑の滞在期間は、三日間だ。既に一日、過ぎている。


「不要です」


 きっぱりと昭唯に返された。昭唯はいつものような作り笑いは浮かべず、自然体の表情で、じっと透理を見据える。笑っていない時、昭唯の目は迫力を増す。今のように、無表情だと特にそれは鋭い。


「大体彩殿には、それを促す気配は皆無です」

「……だけどな、俺達がいたせいで、雛原村は……もしも俺達が――」

「済んだ話は止めましょう。『もしも』は、無いのです」


 二人がそんなやり取りをしていた時、不意に三春がやってきた。

 昭唯をチラリと見てから、三春は透理に改めて向き直る。


「透理、ちょっといい?」

「――ああ」


 昭唯に頭を下げてから、透理は三春に振り返った。

 神子からの話は、濡卑の者は絶対に聞かなければならないという掟がある。


 三春が歩きはじめたので、透理は昭唯に頭を下げてから、その後について歩く。その後透理は三春に、一人用の浴室へと連れられていった。そこで不意に、三春が服を脱いだ。


「これを見て」

「!」


 透理は目を見開いた。


 そこには、確かに障りあったはずなのだが、何も無くなっている。綺麗に呪いが、消えていた。三春の呪いについては、透理と馨翁のみが知っている極秘事項だが、存在していたのは、間違いない。


「どうして……」

「彩様から貰った薬を……飲んだり、塗ったりしたんだ。彩様は僕の障りを見て、『ハンセン病』だと言っていて……『ステロイド』で治るとか、色々難しい事を話していたんだよ……」

「薬? 神子や幼い者は、それで治るのか?」

「分からないけど、聞いてみた方がいい」


 そんなやりとりをしていると、社の扉が開く音がその場にまで響いてきた。

 今日も今日とて食材を持って、彩がやってきたのが分かる。

 風呂場から出て、透理はその様子を窺った。


 いつもと同じように彩は囲炉裏のそばに座ると、まな板を出した。そして包丁を手にし、もう一方の手で馬鈴薯の皮をむき始める。透理はさりげなくそばに座した。本来であれば、濡卑がこのように座ることは許されないが、彩は何も言わない。


 その後、彩の作業が一段落したのを見計らい、透理は声をかけようとした。

 しかし、逡巡して、動きを止める。

 思えば、自分から声をかけるなど初めてのことだ。


 無論三春の言葉の通り、この件について、彩に相談しないわけにはいかない。

 だが迂闊に相談すれば、自分達――濡卑が、呪いを受けていると露見してしまう。

 だから必死に言葉を探す。


 しかし、そう簡単に上手い言葉が思い浮かぶわけもない。結局逡巡したが答えが出せず、意を決して透理は、結局真っ直ぐに声をかける事にした。


「彩様」

「なんだ?」


 すると、振り返り彩が首を傾げた。いつもと何も変わらない。


「この前――彩様から頂いた薬で、その、三春が……楽になったと」

「ああ。あの薬なら、まだ在庫がある。他の者も使うといい。急ぐなら、すぐに取りに戻る」

「――彩様は、昭唯達と一緒で、これは呪いじゃないと思っているのか?」

「? 急にどうしたんだ? 呪い?」

「これは……雪童のご加護か?」


 透理がそう呟くように言った時、彩が怪訝そうな顔をした。


「俺達雪童の民は、人間を助けるように、〝据付〟されている。〝インストール〟されているという事だ」

「いんすとおる?」

「そうだ。俺達雪童の民は、人間を助けるよう、インストールされている。何を当然の事を聞く?」


 彩が繰り返し、首を捻っている。彩の言葉は疑問だらけだ。だが、優先すべきことを考え、頭を振ってから透理は問う。


「――本当に治る薬があるのか?」

「程度にもよるが、皮膚は大体」


 その声を聞いて透理は、久方ぶりに御先狐の面を外した。口元までを覆っていた包帯を解いていく。そして、肩口までの障りに侵食されている皮膚を、彩に見せた。


「っ」


 すると彩が息を呑んだ。


 ――やはり治らない、か。

 ――もしくは〝呪い〟だと、そう考えられたのだろう。


 彩の反応を見て、透理は俯いた。

 僅かに抱いていた希望が打ち砕かれた気分だ。

 しかし、彩に罪があるわけではない……そう、透理が考えた時である。


「ギオン様……」


 彩から、小さな声が漏れた。ほぼ吐息のような声量だったが、透理には聞き取れた。

 瞬きをしてから、透理は顔を上げる。

 そんな透理を、驚愕したような眼差しで、彩がまじまじと見ている。


「すぐに薬を取りに行ってくる」


 彩はそう口走ると、走り出そうとした。

 そしてハッとしたように動きを止め、まな板の上の野菜を一瞥した。


「あ、どうしような、これ」

「……俺でよければ、作っておく」


 濡卑が作った食べ物など、雛原村の人間以外が口にしている姿など見たことがない。

 透理はそう思ったが、反射的に述べていた。


「本当か? じゃあ、頼んだ」


 あっさりと透理の声に頷くと、彩が勢いよく扉を開けて、外へと出て行った。

 残された透理は、それを見送りながら、漠然と考える。


 ――このまま、彩様が戻っててこなかったとしても、だ。


 こんな風にみんなを助けてくれて……これまで助けてくれた事だけで十分だ。

 透理はそう、心から思っていた。

 雪の中、外へと出て行った彩の姿が遠ざかるのを、透理は暫しの間見送っていた。




 ――透理の空想に反して、彩はすぐに戻ってきた。透理が出迎える。


「っ、待たせたな!」


 肩で息をしている彩を見れば、走ってきたのがひと目で分かる。

 白い頬が上気していて、髪がこめかみにはり付いていた。


「これを塗ってくれ。それと、これを飲め。そうすれば、子供以外は――子供であっても、大人であっても、相当弱っていなければ、他の人々に感染する事もなくなる。まぁ再感染は、子供はちょっと気をつけた方がいいが」


 そう口にすると、初めて彩が微笑した。今まで笑った姿を見たことが無かったので、透理は目を瞠る。既に装束を整え直し、面を身に着けていた透理は、それから差し出されている不思議な品々を見た。そして慌てて頭部に面を回して、手を伸ばす。


 透理は、受け取った薬らしきものを、まじまじと眺めてみた。


 三春に聞いた時は、よくある薬師がすり下ろした塗り薬だと思っていたのだが、手渡された品は、透理がこれまでには見た事の無い容器に入っていた。蓋を開けてみれば、塗り薬には違いなさそうだったが、やはり見た事がない。飲み薬に至っては、粉ではなく丸い粒だった。丸薬という概念だけは、耳にした事があったが、それがこの品なのか、透理には分からない。


 確かに、孝史の手当をしてくれた時も、見慣れぬ薬を使用してはいた。

 結果としてその孝史は既に、起き上がれるほどに回復している。

 更にこの相談の契機でもあるが、三春の手当もしてくれた。


 だが――それは、三春の障りが軽かったからなのかもしれない。


 差別され、後ろ指を指される事に、透理は慣れきっていた。

 無償で自分達を助けてくれた存在など、本当に雛原村の人々だけだったのだ。

 あの村の人々は、誰一人不満を言わなかった。


 ――けれど本当は思うところがあったのかもしれない。


 雛原村の人々に対してさえ、透理はそう勘ぐる時がある。単に村長と寺の法師という強い権力を持つ二人に、意見できる者がいなかっただけなのではないかと。


  ――それでも、それでもだ。


 それで良かった。

 何か理由があったとしても、雛原村の人々は、温かく自分達に接してくれたのだから。


 ――けれど、彩様は別だ。


 先ほど己の障りを、右の二の腕から肩までを覆う障りを見せた。寧ろあれでは、呪われていると言うことを、自分から露見させてしまったとも言える。


「全員に足りる数がある。治療をするのなら、早ければ早いほどいい」


 そう言って、彩が篭を差し出した。


 ――これが皆を死に至らしめる薬でないと、言えるのだろうか?


 濡卑の首領として、透理は思案した。


「ありがとう」


 それでも、ここまで良くしてくれた彩を疑う事が、透理は嫌だった。

 だから、一人静かに頭を振る。礼を告げて、篭を受け取った。

 そして――その場で薬の飲み方と、塗り薬の塗り方を教わる。丁寧に彩は教えてくれた。


 全てを頭に入れてから、まず透理は、自分が飲んでみる事に決める。

 塗り薬も、同時に試す事にした。

 透理が薬を用いるのを、静かに彩は見守っていた。


 その後は特に指示もなく、薬を使い終えた時、透理が顔を上げると、どこか遠くを見るような眼差しをしていた彩が、我に返ったように息を呑んだ。


「料理の途中だったな……」


 彩の声に透理が曖昧に頷くと、彼は踵を返して囲炉裏の方へと向かっていった。


 ――やはり、毒なのだろうか?


 一瞬浮かんできたそんな思考を振り払おうと努力する。


 彩が何か言いたそうに見えたからだ。また、料理の話題を出して、ここから逃げたようにも見える。


 暫し思案してから透理は、昭唯の所へと向かった。

 昭唯はすぐに顔を上げた。


「少し話があるんだ。できれば、馨翁と――濡卑の皆も含めて」


 それからすぐに、透理の号令により、濡卑の面々と馨翁が、二人を囲むように集まった。

 昭唯だけが、袈裟を着けた僧服で、他は皆、御先狐の面を着けたままだ。三春は、透理とは逆側の長の隣に座っている。


「――彩様から、この業病を治すという薬を頂いた」


 簡潔に切り出した透理の言葉に、皆が息を呑む。

 昭唯もまた目を見開いたのを、透理は目にした。


「治るのか?」

「本当に?」

「まさか」

「呪いじゃないのか?」

「俺達が濡卑だと露見したから、毒薬を渡されたんじゃ――」


 その場にざわめきが広がっていく。

 皆の意見に耳を傾けてから、透理は静かに一度吐息した。

 そして透理は、努めて冷静な声を出す。


「俺はさっき飲んだ。塗りもした。もし俺が治ったら、皆も飲む、治らず死んだら、誰も飲まない――どうだ?」

「頭領……」


 すると濡卑の面々が、面越しに顔を見合わせて、互いに頷いていた。


「儂も飲もう。若人よりも死にゆく爺には丁度良い」


 最初に馨翁が口を開いた。すると次々に声が上がる。


「いや、俺達も飲みます」

「俺も飲む」

「治療――本当に呪いじゃなくて、病気なら、俺は治りたい」

「どちらにしろ、頭領も馨翁も死んじまったら、どうしようもない。この一座は終わりだ」


 そんな声を聞きながら、狐面の奥で、透理は苦笑した。

 彼らの反応が、心地良かった。

 己が慕われているように感じた事がまずは一つだ。


 同時に、自分同様彼らが、彩を信じていると分かった事がとても嬉しい。


「――昭唯はどう思う?」


 透理はそれから、その場を見守っていた昭唯に視線を向けた。


 沈黙を貫きその場を見守っていた昭唯は、顎に手を添えたままだ。それからすぐに、透理は視線が返ってきたので安堵した。昭唯は頷いている。


「彩殿は、恐らく最初から、透理達が病の罹患者だとご存じで、その上で留め置いてくれたのではないでしょうか? ――感染しないと分かっていたから、あるいは、感染しても治る薬があると知っていたから」


 その言葉に頷きながら、改めて透理は一同を見渡した。


「俺は、仮に知らなかったのだとしても、そして昭唯が言うように知っていたのだとしても、だ。雛原村の皆が良くしてくれたように、俺達に良くしてくれた彩様の手にかかるのであれば、よいと思ってる」


 すると皆が頷いた。その姿に、透理はホッとした。


 昭唯は、それを聞いてから、席を外した。昭唯が微笑して歩いて行くのを一瞥しながら、透理は思案していた。


 ――これが本当に、ただの病気なのだとしたら。

 ――前世に於ける呪いでも何でもないのだとしたら。

 ――それは、どんなに幸せな事なのだろう?


 仮にそれは、ただの甘い戯言で、彩の口からの出任せで、毒薬なのだとしても……僅かの間だけで良いから夢を見て、そして、よくしてくれた人の手で逝くなら満足だと、透理は思っていた。


 ――果たして、治ったならば……その時こそ、恐らく〝友情〟という名前をしているこの気持ちを、きちんと告げる事が出来るのだろうか。




 二週間後、誰もが心配していたような毒ではなかったと判明し、透理は安堵していた。

 特に『障り』が軽い者から順に、濡卑の体は回復している。


 今ならば包帯で患部を隠せば、普通に肌の露出がある着物を身に纏う事が出来るほどになった。


 当然そうでない者もいるから、配慮して透理は黒装束のままだ。

 ただ、御崎狐の面を後頭部へと回している時間は、圧倒的に増えた。

 同じくらい、考え事をする余裕も生まれている。

 ここのところ、透理は同じ事ばかり思案していた。


 ――何故彩が、このように、自分達によくしてくれるのかが、分からない。

 ――同情、なのだろうか。


 同情なら、それでよかった。

 純粋に、この恩を返したいと思う。そう思わずにはいられない。

 だが自分にできることはなんだ――?


 近頃の透理は、そんな事を考えては、何度も嘆息していた。


「また彩様を見ているのですか?」


 その時、隣に昭唯が立った。袈裟の上で、念珠が揺れている。

 実際その通りで、透理は、豚汁を作っている彩を眺めていた。


 こんなにも自分達、濡卑に対して献身的に接しくれる彩は、ある意味不可思議だ。様々な発言や持ち物も、よく分からない。


「二人とも座れ。すぐにお茶を淹れる」


 視線に気づいたようで、彩が顔を上げた。

 視線を交わしてから、透理は昭唯と共に囲炉裏端に座る。

 すると彩が、お茶の用意を始めた。


 透理は、何を言おうか逡巡する。先に昭唯がお茶を受け取った。

 慌てて透理も湯飲みを受け取る。


 この界隈ではあまり見ない緑茶だ。ただそもそもこれが、煎じた緑茶だとも思えない。不思議な茶だった。入れる作法も飲み方も、薬草茶に見える。しかし飲めば美味しい緑茶の風味が広がる。点てるお茶をなど、この界隈では大名かその重鎮でもなければ飲む事も生涯ないだろう。ただ彩の手で淹れてもらうお茶は、なんとも心が温まる気がすると、透理は考えた。


 現在は、彩の横――角を挟んで隣に透理がいて、その側に昭唯が座っている。


「皆の具合はどうだ?」


 己の分のお茶を手にして、彩が顔を上げた。


「ええ、全員が快癒に向かっています――そうでしょう? 透理」

「ああ。昭唯の言う通りだ」

「よかったな。まだまだ薬はあるし、薬は作る事も可能だから」


 そう言って彩が、小さく頷いた。


「ありがとうございます。無償で提供して頂けるなんて」


 さらりと昭唯が『無償』と口にしたから、透理は息を呑んだ。

 確かにここから金銭を要求されても困る。


 無論、治ってしまえば夜逃げもできるかもしれないが、彩と諍いを起こしたくはない。

 夜逃げなど、透理の信念にはそもそも反する。


 だが、昭唯のように上手くやるのは苦手なので、本当に助かってしまう。


 そうして――透理が安心したのは、己の心配に反し、彩には気にした素振りが無かったからだ。


「ああ。雪童の民は、人間に尽くすものだからな」


 再び繰り返された言葉に、思わず透理は、彩の手を握った。

 昭唯だけが、首を傾げている。


「彩様」

「なんだ?」


 唐突に透理から声をかけられたからか、彩はもう一方の手で持っていた湯呑みを取り落としそうになっている。


 それを見て、いきなり声をかけたから、驚かせてしまったのだと判断し、慌てて透理が彩を支える。辛うじてお茶は溢れなかった。


「……大丈夫か?」

「ああ。それより、どうかしたのか?」

「その――恩が返したい」

「恩?」

「何か……俺達に出来る事は無いか?」


 実際に、同様の意見は多数上がっていた。

 だから透理は――あくまで個人的な意見ではないから『俺達』と伝えた。

 だが、実のところ……自分一人でも、何かお返しがしたいと透理は感じているほどだ。


「不要だ。雪童の民は、人間に尽くすようにできている」

「なんでもいい。簡単な事でいい。出来る事があるなら少しでも――俺達に触られる事が嫌じゃないのなら。嫌なら嫌だと率直に言ってくれ。別のお礼の形を探す」

「嫌? そうではない、人間は雪童の民に恩を返す必要が無いだけだ」

「何かないか? なんでも構わない」


 透理が言うと、彩が瞳を揺らした。それから目を伏せて言う。


「恩を返すという望みを叶えさせると言うことであれば、何をしてもらってもいい。つまり、何をしてもらっても嬉しいとなるだろう」


 そう述べると、目を開けて彩がお茶を飲み干す。そして立ち上がり、帰っていった。


「なぁ、昭唯」

「なんです?」


 聞き返してきた昭唯を見て、いつもよりも少し小さな声で透理が言う。


「これまでの人生で、俺は、いかに人に迷惑をかけないか考えて生きてきたんだ。そして今は、恩――どうしたら手伝えるか、だ。基本的に俺が手伝うというのは、相手にとっては迷惑をかける事だったんだ、これまでは。でも今度は……自発的に、その手伝って……どうやったら喜んでもらえるのか、それを考える事は許されるんだろうか?」


 そんな透理の声に、昭唯は優しい顔で笑みを濃くした。


「私は浅薄ながらも、『人を喜ばせたい』あるいは『幸せにしたい』という気持ちを認めない神仏は知りません。それにしても、どういうことなのですか? 透理」

「ん?」

「『雪童の民は人に尽くす』とは、一体?」


 二人きりになった囲炉裏の前で、昭唯が続ける。


「俺にも分からない。ただ、彩様はそう言って、俺に薬を渡してくれた」


 二人は戸口の方へと振り返る。既に彩の背中は見えず、ただ綿雪が舞い落ちていくだけだった。



 ◆◇◆



 ――最近、彩と透理の距離が近い。


 その事実に、平静を装いつつ、内心で昭唯は思案している。憧憬の滲むような瞳で彩を見る透理を見ていると、思わず腕を組んで、片目だけを半眼にした、左右対称の顔をしてしまう。なんだか庇護対象が遠くへと行ってしまう気分だ。


 隣に立って、『また』見ているのかと指摘しても、透理は素直に頷くだけだ。

 その上、『恩返しがしたい』といいつつ、透理は彩の手を握った。


 いくら己が、友人だと、相棒だとすり込もうとしても、透理は自分をどう思っているのか分からない。


「私より彩殿と親しく思えるのは、正直苛立ちますね」


 だが、その彩には奇妙な点がいくつもある。


「こういう時は、総本山の書庫を渉猟したくなるのですが」


 そう呟いてはみたものの、既に昭唯は破門されている。濡卑を滞在させたいと思うがと問い合わせた結果が、凶と出たのだ。ただ正確には、嘉唯を連れて一刻も早く、羅象山へと戻るようにと言われている。勿論、透理を置いて戻る気など皆無だ。とはいえ、なにかあれば、嘉唯は戻すつもりでいる。


「雪童とは、なんなのでしょうね……」


 腕を組んだ昭唯は、それから囲炉裏の前にいる透理を見た。御先狐の面を後ろに回し、今では袖を捲っている。嘗ては見られなかった姿だ。すっかり障りが消えたという話も聞いている。


 ――結果として、透理を助けたのは、彩である。


 それは喜ばしいことであるが、己は透理に何も出来なかったように感じて、不甲斐なさもある。


「でも、そんなのは関係ありませんね。透理が大切なのですから。私は絶対に透理と親友になります」


 あまり感情が見えない透理の心を、必ず己に傾けたい。

 これが昭唯の決意だった。





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