第4話 『好き』か『嫌い』か。


 翌朝、透理はどんな顔をして昭唯に会えばいいのか分からなくなって、しっかりと御先狐の面をして、階下へと降りた。そこでは嘉唯と三春が朝餉の準備をしていた。


「おはようございます」


 そしてごく普通の様子の昭唯が、にこやかに微笑していた。


「……おはよう」


 挨拶を返したものの、透理は声が震えそうになるのを必死に堪えた。面の下の顔は真っ赤である。昭唯のことをまともに見る事が出来ない。羞恥に襲われ、今すぐにでもこの場を逃げ出したくなったが、それでは挙動不審すぎるだろうと、必死で堪えて正座した。


 すると昭唯が透理の耳元で囁いた。


「悪夢は見ませんでしたか?」

「!」

「大丈夫そうですね。効果があってなによりです」


 昭唯の声に、いよいよ透理は赤面した。本当に面があってよかったと考えてしまった。


 こうして始まった二日目、意識しているのはどうやら己ばかりのようで、昭唯にはなんの変化も見えなかった。だから透理は、『モテる』と話していた昭唯の言葉を回想し、きっと経験豊富なのだろうと考える。この程度は、本当に善意の行いの範疇だったのだろう。


 それに明日――三日目には、旅立たなければならない。透理は滞在させてもらった礼を言うべく、孝史宅へと向かう事にした。ついさきほど、先に昭唯はそちらへ出かけた様子だった。


 本当に各家に分散して濡卑を引き受けてくれた様子で、村長宅への道中でも、軒先で掃き掃除などを手伝う黒装束の濡卑の姿が幾度か見えた。本当に優しく、寛容的な村だなと考える。だからこそ、迷惑をかけないように早く出て行かなければ。


 そう思って、神原家の戸口に立つと、本日も玄関は開いていた。

 中を覗きこむと、紗和が丁度出てきたところだった。


「あら、透理さん。どうぞ、どうぞ! 昭唯様も来ていて、主人と話をしてますよ」

「……邪魔をする」


 頷き、草鞋を脱いで、透理は中へと入った。そして紗和に案内されて居間に行くと、孝史と昭唯がそろって顔を上げた。


「遅かったですね」


 昭唯の声に、『早く出て行け』という意味だろうかと考えると、胸が苦しくなった。

 優しい時間はもう終わりなのだろうかと考える。


「透理にお話があって、私と孝史はずっと待っていたのです」

「……話?」


 濡卑への村の重役からの話など、大抵の場合、悪い話だ。鬱屈とした心境で、孝史に手で示された場所に座ってから、透理は俯く。そこへ紗和が、本日もドクダミ茶を運んできた。


「透理。率直に言うぞ」


 口火を切ったのは、孝史だった。両手で湯飲みに触れている。


 何を言われるのだろうかと、そして何を言われても仕方がないと、覚悟だけは決めて、ギュッと透理は拳を握って膝の上に置く。


「これからも、この村で暮らさないか?」

「――え?」


 だが予想もしていなかった言葉が放たれたものだから、呆気にとられて聞き返した。


「俺から見て、腐華肉病は、ただの病気だ。呪いなんかじゃない。この村にだって、足先が腐って切り落とした奴だっているし、梅毒だって似たり寄ったりの腐り方をするが、別に呪いなんかじゃぁない」


 断言した孝史は、それから昭唯を見た。


「昭唯様もそう思うんだろ?」

「ええ。少なくとも、障りというのは、皮膚の症状だとしか思いません」


 二人の声に、狼狽えて透理は沈黙した。未だかつて、このように病気だと断言された事は、一度も無い。


「それに、他の濡卑に話を聞いたが、三日以上滞在してはならないと決めた者も曖昧なんだろう? 昔から言われている掟というだけで、誰が定めたかも不明な」

「そ、それはそうだけどな……でも……」


 慌てて透理は声を上げる。


「……その禁を破ったら、この村まで罰を受けるかもしれない」

「誰に?」

「え……?」

「決めた奴も不明瞭なのに、誰が罰するんだ?」


 笑顔の孝史の声に、狼狽えてから透理は瞠目した。


「確かに……それは、そうだな……」

「だったら、少しいてみろよ? それでダメだと分かったら、また考えればいいさ」


 朗らかに笑って言い切った孝史の姿に、面の奥で透理はゆっくりと瞬きをする。

 すると昭唯が咳払いをした。


「村長がこう言っているのです。貴方も一座の頭領として、熟考して下さい。濡卑の一座の者達にとって、何が最善なのかを」

「……少し待ってもらえないか? 一人では決められない。相談したい」

「ええ。どうぞ。今日中にお願いしたいのですが、それは叶いますか?」

「分かった……」


 こうして透理はドクダミ茶を飲み干すのも忘れて、家の外へと出た。そして遠目に見える同胞のもとへと向かい、その者と協力して、各地に散っている約三十名の濡卑の者を、村の開けた場所に集めた。


「どうしたの? 透理」


 三春に声をかけられ、面の奥で透理は微笑する。もし、本当に孝史と昭唯の提案を受け入れる事が出来たのならば、三春だってこれからも嘉唯と遊んだりと、年相応の幸せを享受出来るのではないかと考えていた。


「実は――」


 透理がいきさつを語るのを、一座の者は皆静かに聞いていた。


「というわけなんだ。皆の意見が聞きたい」


 最後にそう透理が続けると、一拍間をおいてから、次々と声が上がった。


「俺もここにいたい」

「私もです!」

「お世話になっている家でも、ずっといてもいいって言ってもらってて」

「こんな安住の地、他には無いと思います!」


 賛成意見が多数だった。ごく少数は、やはり透理同様、『迷惑をかけるわけにはいかない』という見解があった。その狭間で透理が思い悩んでいると、前頭領の馨翁が唸った。彼は、透理の養父の前にも頭領をしており、透理の父が亡くなった後は、一時的に再び頭領をしていたという経緯がある。それもあって、相談役として、透理もそして周囲も、最も信頼している。


「透理よ。いいや、頭領よ。長い間儂は旅をしてきたが、このように受け入れてくれた村は初めてじゃ。儂も――定住でなくとも、暫しの間滞在させてもらう事に賛成じゃ。迷惑をかける、と、こちらは思うが、あちらはそれを承知で受け入れると申してくれているのであろう?」


 その言葉が決定打となった。


 濡卑の一座の結論が出たので、すぐに透理は神原家へと戻る。そして中へと入り、孝史と昭唯に結論を伝えた。


「……というわけで、少しの間、世話になりたい」

「おう。大歓迎だ。な? 昭唯様」

「ええ。これほど嬉しい事はありません」


 このようにして、濡卑の一座は、雛原村へと滞在すると決まったのである。

 孝史の家を出て、透理は昭唯と並んで歩いていた。


「……昭唯」

「はい?」

「……ありがとう」


 ずっと礼を言わなければと思っていた。孝史には既に伝えたし、その場で昭唯にも告げたが、改めて言葉にしたかったのである。すると昭唯は、目を丸くした後、ニッと口角を持ち上げて、楽しそうに笑った。


「いいえ。私は私自身のために行動しただけですので。貴方と離れたくなかっただけですよ。なにせ透理は私の大切な友人です。私は保護者なのですから」


 帰ってきた声を、飲み込むのに暫しの時間を要した。


「……なんて?」

「気にすることはないとお伝えしたつもりです」

「そ、そうか」


 透理は、『保護者』と確かに聞いたようにも思ったが、空耳かもしれないと頭を振る。

 ――そもそも濡卑と一般人は、友人になどなれない。そんな例は聞いた事もない。

 だから透理は、すんなりと気のせいだと片付けた。




 だが、その日から、昭唯は二人きりになると、透理に繰り返した。

 今もそうだ。


「いやぁ、私は男前であり美人の友人を持って、本当に幸せですね」

「……」


 現在二人は、花刹山にほど近い桑梨山で薪拾いをしている。地に置いた蔓細工の籠に、透理が手際よく木を入れていく脇で、ついてきた昭唯が笑っている。


 既に季節は初秋だ。

 初夏に雛原村へと訪れてから、夏を越えた。


「透理」


 後ろから昭唯に抱きすくめられ、透理はビクリと硬直する。

 昭唯はそれなりに高僧らしいが、普段はそのようにはとても見えない。


「透理は私をどう思っているのですか?」

「……」

「『好き』か『友人』でお願いしますね」

「……選択肢が無い」

「ええ? 二つもあるではありませんか、ああ! 『相棒』が抜けていましたね」


 そう嘯く昭唯が、どこまで本気なのか、透理には分からない。

 気恥ずかしくなって顔を逸らすと、丁度花刹山が視界に入った。


「あの山は……」

「あからさまに話を変えましたね?」

「……花刹山は、冬にはきちんと冬が来るんだろう?」


 昭唯の抗議を聞かなかったことにし、透理はそう尋ねた。絵森郡は拾いから、一周するのに二十年ほどがかかる。立ち寄らない村や、途中で近道をして何度も経由する村なども存在する。


「ええ。そうですね。この時期になれば、少し早い初雪にも思えますが、あの山には遠くから見る限り、春も夏も秋も存在しません」

「何故だろうな?」

「逆に、こちらの土地に春夏秋冬がある方が不思議なのかもしれませんよ?」

「……そう考える事も出来るな」


 いつも昭唯は、透理が思いつかない発想をする。透理は昭唯のそういった部分を純粋に尊敬している。


「透理、濁さないで下さい」


 昭唯の腕に、より力がこもった。


「では、『好き』か『嫌い』かで構いません。貴方の気持ちはもう察しておりますし、『好き』以外の回答は許しませんが、今のままでは一方通行の友情のようで辛いのです。貴方の気持ちをはっきりと聞かせて下さい。そうすれば、あるいは諦めもつくかもしれません」


 それを聞いて、思わず透理は俯いた。『好き』か『嫌い』かなら、そんなものは『ほぼ』決まっている。『好き』だ。ただ、人生で初めて、恐らくは〝友情〟ではないかと考えたから、感情の名前には自信がない。だから、『ほぼ』だ。けれど。


「……俺は、濡卑だぞ。友人になんかなれない」


 昭唯がより強く、後ろから透理を抱き寄せた。


「それは、『好き』か『嫌い』かの返答ではありませんね」

「……昭唯。お前だって分かるだろ? 離せ」


 そう言って透理は、昭唯の腕を振り解くと、枯葉の上に置いていた籠を背負った。


「帰るぞ」


 透理は歩き出す。それに、と、透理は考えていた。友人にならずとも、今こうして隣にいるだけで心地がいい。これ以上を望んだら、己には分不相応な気がした。幸せになりすぎるのは、とても怖い。この後、悪いことが待ち受けているようで。




 ――その日の夜更けの事だった。


「っ」


 透理は気配を察して飛び起きた。寺の庭に、忍術で用いる光糸の気配がしたのを感じたからである。例えばこれは、逃亡を阻止するための結界を張ったり、毒物を蔓延させる場所を指定するために使うような、紋章を構築する時に使う光糸だ。


 光糸とは、まさしく光のような蒲公英色の糸のようなものを忍術で創ったものだ。実態はなく、忍術の根源となる個々人の力を視認出来るようにしている代物だと言われている。それで様々な紋章を構築する事で、効果が発する。


 すぐに最近では把持して寝ていた御先狐の面を身につけ、透理は窓から庭へと飛び降りた。忍術で起こした風と、右手及び左膝で衝撃を緩和し、音もなく気配がした方角を目指す。既に相手は、入れ違いで森羅寺の屋内へと入った様子で、痕跡を追いかける。


「!」


 そして二階へと上がる階段の前で、一人の敵を発見した。

 出で立ちから、相樂という大名お抱えの忍び衆だとすぐに分かる。


「何が狙いだ?」


 低い声で淡々と透理が聞いたのは、クナイを二本放ち、相手の右の二の腕と左足首を傷つけた直後の事である。クナイはいつも、忍術でしまってある。


「――透理様」


 すると響いてきた声に息を呑んだ。嘗て、濡卑の一座に生まれた幼馴染みで、障りが出ず無事に大名仕えが出来るようになった同胞の声だったからである。


「ここに濡卑の一座が滞在していると知った相樂様のご命令で、俺達忍び衆は、村人ごと罰しに参りました」

「なっ」


 いつかは来るかもしれないと想定していた事態ではあった。だが、いざ直面すると、息を呑まずにはいられない。右腕を押さえている相手が、思案するように続ける。


「貴方お一人ならば、見逃せる。幼少時に、遊んだ記憶、俺は忘れていません」

「俺だって忘れていない。だが、逃げるなんて出来るわけがないだろう」

「ならばどうぞ、俺を倒して見せて下さい。研鑽を積んだ俺を、倒せるものならば。いくらあの頃、一座で一番と言われた優秀な透理様であっても、次期頭領と名高く現にそうなられた貴方であっても、現役の俺に勝てるとは思わないことだ」

「秋弥……ッ」


 懐かしい三つ年下の幼馴染みの名を呼んだ透理は、跳んできたクナイを避ける。

 左のこめかみを僅かに掠った鋭利なものは、そのまま後ろの柱に突き刺さった。

 すると爆発音がし、透理は硬直した。村の方角からだった。


「今頃、方々で相樂の忍び衆が、村人も濡卑も無関係に殺めてますよ。俺を殺して駆けつけたとしても、どうせ間に合いません。残念ですね」


 明るい秋弥の声音に、面の奥で透理は眉間に皺を刻んだ。勿論、既に秋弥は、相樂の配下なのだから、こうして忍び同士殺し合う事だってあるのは分かる。だが、嘗ての仲間を躊躇無く殺める所業に、透理の胸が痛んだ。


 ――痛んだ時には、秋弥の背後に回っていた。


「……悪いな」


 バタン、と。

 その場に秋弥の体が頽れて、床の上に黒い血だまりが出来ていく。

 それを見て取り、透理が階段の陰に秋弥の遺体を隠した時だった。


「何があったのですか!?」


 嘉唯と三春を連れて、血相を変えた昭唯が降りてきた。


「……相樂の忍者衆が、村を襲ってきた」

「なっ」


 目を剥いた昭唯に対し、面の奥で透理が唇を噛む。


「昭唯、先に二人を連れて逃げてくれ。俺は村を見てくる」

「ですが――っ、必ず生きて戻って下さいね。約束です。今日、薪を取った場所で落ち合いましょう。待っています」

「……ああ」


 二人は顔を向け合い、小さく頷いた。


 子供達を逃がすのが先決だという見解は、昭唯も一致しているようだと、透理は安堵する。そのまま踵を返して、透理は走り出した。既に村の各家々で火の気が上がっている。黒煙と赤い炎が、ゆらゆらと下弦の月が浮かぶ空にあがり、明るく照らし出している。


「っ」


 その光景に息を呑んでから、透理はまず神原家へと向かった。


「!」


 そして玄関の前の廊下で、胸にクナイが刺さり、事切れている紗和を見つけた。歩み寄り脈を取るが、出血量と刺さっている位置を見るからに、もう亡くなっているのは明らかだった。開いたままの瞼を瞑らせてから、透理は祈るように頭を垂れ目を閉じる。


「うわああぁ」


 奥から孝史の絶叫が聞こえてきたのはその時だった。


 走ってそちらへと向かえば、今まさに、忍び衆の者が、刀を振り下ろしたところだった。前を斜めに切られた孝史が畳の上に頽れる。そこに忍びがとどめとばかりに刀を握って突き刺そうとしたのを見て取り、透理はクナイを投げた。首を、一突き、敵の忍びは、後ろの壁にぶつかり絶命した。ただのクナイではなく、光糸で紋を刻んで、即効性の毒を塗りつけてあった代物だ。加速度も早い。


「孝史!」


 抱き起こせば、致命傷……には、違いないが、まだ息があった。早く手当をすれば間に合う可能性もある。頭部からダラダラと血を流し、腹部に裂傷を負っている孝史を、透理は背負った。


「……おいていけ。これじゃあ、透理まで死んじまうだろ」


 すると孝史がそう言った。だが、見捨ててなど行けない。かといってどうするのかといわれたら策は無かったが、透理は孝史の声を無視して、紗和の遺体の脇を通り抜け、戸口から外へと出た。


「頭領!」


 そこへ濡卑の一人が走り寄ってきた。


「忍びの訓練を受けている者の内、十名が残ります。時間を稼ぎます。だから村の生存者と腐肉で歩けぬ者を連れて、先に逃げて下さい!」

「っ」

「馨翁の決定です。このままでは、全滅です」


 それを聞いて、透理は心臓を素手で撫でられたかのような不快感を味わった。だが、と、背負っている孝史を見る。誰かが残って時間を稼がなければならないのは間違いない。


「待ってくれ、俺が残る。だから、お前は孝史を――」

「なりません。頭領がいなければ、誰が一座をまとめるというのですか?」

「……」

「お早く! 皆、村の裏口から出て、桑梨山の山中の磐座前に向かっています。昭唯様が降りてきて、そちらに手引きをして下さっています」


 昭唯の事を思い出し、無事子供達を保護してくれているのだろうと、まずは安堵した。


 今、どうするべきか、最善の策は何か、それだけが分からない。だが、迷っている間にも、孝史の命の灯火は消えていくし、残っている者達は死んでいく。それだけは事実だ。心を、鬼にしなければならないのだろう。


「……分かった。時間を稼いだら、可能な限り離脱してくれ」

「……そうですね。透理様はいつもお優しいですね。では、俺は行きます」


 こうして透理は濡卑の一人を見送ってから、目的の場所を目指して走った。

 月が、次第に傾いていく。





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