0-7 二日目 疑問

 特区ズーにある小学校の朝の会は挨拶に始まり、健康観察の点呼、生徒一名のスピーチ(輪番でやっているらしい)、ゾウ先生の話、そして日直の「起立! 礼!」で終わった。

 元気な声を聞きながら改めて低い机や壁に貼られた時間割、係の分担表、習字の作品などを見回せば、自ずと小学生の頃を思い出す。普段は会の前に十分間の読書の時間があるそうだが、今日は私たちの紹介をしたそうだ。


 一時間目の国語の授業も、教科書の通りに音読をして、登場人物や作者の意図を考えさせた後に、幾つか頻出漢字をピックアップして暗記するよう宿題を課すという内容である。

 何から何までニンゲンと変わらない。


 そして可愛い。

 先生が誰かに問題を解かせる素振りを見せた時、ケモミミを立てる子がいれば、対照的にペタンと寝かせてしまう子もいる。自信の有無や心情が耳の動きに出るようだ。

 見ればみるほど可愛い。


 教室の後方に用意されたパイプイスに腰を下ろして尊い生物を眺めていると、彼らの発する神秘的な力によって身も心も浄化されるようだった。

 しかし、至福の時間は長くは続かない。終鈴が鳴るよりも先に相原あいはらが「そろそろ時間だ」と耳打ちしてきた。


 「あと五分だけでも」と泣きつきたい気持ちをどうにか抑え、おおとりは「はい」と静かに返事する。

 立ち上がり、授業の邪魔にならないよう慎重にイスを畳んで、教室後方に置かれている掃除用具入れに立て掛けた。事前にゾウからするように言われている。


 引き戸をゆっくり開けて外へ出る際、目から癒し成分を吸収しておかんと振り返った。こちらの退室に気づいた子と目が合う――先ほどコロンの香りに気づいたシベリアンハスキー(本当になのかはわからないが)の子。

 彼はゾウ先生の目を盗んで首ぐらいの高さで手を振ってくる。

 好き。この子、大好き……! おおとりもゾウ先生が黒板に板書している隙に笑顔全開で手を振り、引き戸を閉めた。


 次の行き先である区役所は、学校から車で数分北上した位置にあった。歩いていける距離だ。

 やはり外見は普通の行政施設と変わらないコンクリート造りの庁舎へ入ると、柴犬のような尻尾と耳を持つ従業員に迎えられた。こちらの来訪を知っていたようで、区長室へ案内される。

 手の届く距離でフリフリ揺れる扇情的な尻尾を追い掛ける形でついていく内に、なんだか「いけないこと」をしている気分になった。確かに、この魅力は油断できない。気を抜くとよだれが垂れるぞ……相原あいはらは絶対にそのような観点で言い含めた訳ではいないだろうが。


 いよいよ危険思想との付き合い方へ思考が傾いた頃、ニンゲンらは区長室に到着する。両開きのドアの向こうで待っていたオオカミ区長は、年の頃は相原あいはらと同じぐらいに見える精かんな顔立ちであった。

「わざわざご足労いただきありがとうございます」区長がイスから立ち上がり会釈する。

 小学校の校長先生を思い出す優しい声色で、にこやかな表情も柔和で友好的な印象を受けた。ネイビースーツを着た体は百九十センチはあろう長身だが、線は細い。しかしサラサラの黒髪から天井を突くように悠然とそそり立つ漆黒の大きなケモミミは、「このヒトがリーダーなのだ」と理解させるりりしさを醸していた。


「よろしくお願いします」

 会釈を返す相原あいはらも柔らかい笑顔を浮かべている。車内での警告がウソのようだ。


 緊張していたのをバカらしく思いながら、おおとりは区長に挨拶した後、促されるままソファーに座る。

 間もなく定例会が始まった。議事録担当の仕事の始まりである。


 定例会の内容は主にオオカミ区長からの動物人アニマンたちの最近の様子や学校運営、配給の状況報告であった。区民の個体数(動物人アニマンのことだろう)の増減、給食や配給の量、文房具その他手配の必要な生活用品の品目と数量の認識合わせが淡々と行われる。

 オオカミ区長は、しっかりと「区長」をしている――失礼な感想だと自覚しつつ、おおとりは感心した。


「定期検査は、どれだけ受けられそうですか」イケオジ管理員が尋ねる。

 おおとりの知らない話題だ。

 区長は考える風に回答に数秒間を置く。「今月は予定通り三十体。二回に分けて十五体ずつです。丁度、今朝が今月一回目でした」

「年間累計だと?」

「……今のペースだと、三百ほどになるかと」オオカミが渋面をなした。


「ふむ」相原あいはらは顎に手をあてる。「計画に足りませんな」

 隣で強めに「こほん」と言った上司に、おおとりは思わず顔を上げた。細田ほそだもキョトンとしている。

 驚く部下に取り合う気配は微塵もなく、管理局員は「計画達成できるようリカバリーをお願いします」と明らかに責める口調で指示した。

 対して、動物人アニマンは深々と頭を下げる。「『表』の個体の検査を前倒しするなどして、年内の検査数を増やすようにします」

「『裏』の個体の問題も、早急に対処ください」

「はい」


 急に空気が悪くなったぞ。

 表? 裏? なんのこと?


 異様な雰囲気の中で無邪気に質問する胆力などおおとりにはなかった。

 結局、新人の望む説明がされないまま定例会は終了する。


 管理局へ戻る車内。

「学校では楽しそうだったな」重苦しい空気を切り裂くように相原あいはらがこぼした。

 反応が遅れた新人をフォローするように、細田ほそだが「囲まれちゃって、人気者だったね!」と続く。

「はい。みんな、可愛かったです!」おおとりは笑顔を作りはしたが、声の固さを自覚した。誤魔化すべく瞬時に話題を振る。「けど、みんなが心を開いてくれている訳ではないんですね」


「そうだな。気難しい個体や不登校児もいる」相原あいはらは前を見ながら話した。「そのような個体は扱いに困るが、ニンゲンに対してあまりに気安い個体も問題だ。どちらも、気分一つで我々の指示に従わなくなる恐れがある」

「そうなんですか」

 ネコとコウモリを思い出す。それぞれ性格も事情もあるのは、ニンゲンと変わらない。


「『我々の指示』というのは、『治安維持のルールを守らせる』ということでしょうか?」

「そんなところだ。それと、前に話した通り、管理局に求められているのは研究成果だ。研究には、特別保護対象個体を定期検査で調べることが必要になる。体調、成長、様々な特徴の変化をくまなく調べなければならない。その検査から逃げたり、こちらの意図せぬ生活をして検査結果に影響が出ては目的が果たされなくなる」


 逃げたくなるような検査……コウモリが採血を嫌がる様子を自分は「子供っぽくて可愛い」と感じていたが、その実、管理局にとっては危機感を抱くべき事象だったようだ。

 何となく事情は理解できた。が、研究に固執し動物人アニマン本人の気持ちに寄り添えない姿勢にも問題がある気がした。


「なるほど。研究も大切ですが、不健康な生活で病気になったら動物人アニマン自身が不幸になってしまいますもんね。私たちがサポートするためにも、全員に定期検査は受けてもらわなきゃ」

「……結論は、それでも良い」上司が諦めたような声を出す。

 おおとりは胸の奥に熱い感情が芽生えるのを感じた。「任せてください! 相手の顔色をうかがってフォローするのは得意です!」

 が活かせる予感がする。オオカミ区長をリーダーとする動物人アニマンは、大義や義務の名の下に「みんなやってるんだから」とか「従いなさい」と責め立てられている状態に見えた。そのようなヒトたちに必要なことが「お説教や指導だけではない」ことを、私は身を持って知っている。


 ところが、

「オオカミ区長に任せておきなさい。自主性を奪うべきではない」

 運転席の男性の反応は存外冷ややかだった。

「ありゃ、そうですか」

 良いやり方だと思ったが……気長に議論を重ねる必要がありそうだ。


「ところで」助手席の女は話題を変える。「学校の子たちは、下校した後、どこに帰るんですか?」

「それぞれ自宅がある。元々この地域にあったアパートをそのまま使っている」

「ご家族も特区ここへ?」

「いいや、基本は一人暮らしだ」

「ええ!」


 小学生が、一人暮らし!?

 幼少期に憧れたことはあるが、できるものなのだろうか? 社会に出て一人暮らしを始めた当初、家事のすべてを一人でこなすのに苦労した。


「食事は配給の弁当がある。掃除は各自に任せているが、最低限の必要物資は支給される。生きるために必要な物を与えられている以上、基本的には気ままに過ごすだけだ」

 上司は「まったく」と愚痴っぽく加える。

 彼の内心はよくわからないが、おおとりは子供たちが苦労なく暮らしていそうだとわかり安心した。定例会で話していた配給は、このことか。


「でも、親御さんは一緒じゃないんですね」

「当たり前だ」

「どうして?」

 間があった。

「そいつらまで税金で面倒を見ることはできない」


 おおとりは首を傾げる。動物人アニマンは法律上ヒトではない。一方、その親は動物人アニマンとは限らず、ニンゲンであれば様々な義務がある。生みの親であっても法律上は親子関係があることにはならないから……あぁ、なんか――

「複雑で難しいね」細田ほそだが代弁してくれた。


 とにかく、特区ここの子供たちは親と離ればなれ。

 つまり、私たちが親代わりではないか。


 ならば、

「じゃあ、私たちが子供たちを導いてあげなきゃですね!」

「なに?」

「お! スバさん、みんなのお母さんになるんだね!」

 相原あいはらが驚く後ろで、細田ほそだがうれしそうに笑う。


 課長は、元課長とは対極の感想を持っていることを「こほん」で示してから告げた。「仕事を淡々とこなせばいい。余計なことは考えるなよ」

 いつかのようなトゲのある提言である。が、それ一つでは、燃え上がるおおとりの気持ちを引き留めることはできなかった。


 幼い頃に父と死別し、シングルマザーで育ててくれた母を思い出す。自分にとって母はかけがえのない存在だった。「母に誇れる仕事をしたい」という気持ちを今日まで貫くほど、偉大な人なのだ。

 母のような世話焼きにはなれなくとも、不安や不満を抱えているであろう子供たちを支える存在になりたい。「ただ事務仕事をこなす管理局員」では、この仕事は務まらない気がした。しかも相手はケモミミキッズだし!


 あの子たちに信頼してもらうために、

 まずはみんなの顔と名前を覚えなければ――


 管理局に戻ってから、早速、名簿と顔写真を見比べる。フェネック、チンチラ、ネコにカワウソ……。

 胸を触ってきたリスは要注意だ。とは言え、これまでの人生で「服の選択しが増える」以外に役に立つことのなかったこの「大きめバスト」も使い道があるのかも知れない。

 イヌは、私のコロンを気に入ってくれた子だ。無邪気で可愛かったなぁ。

 ネコは……やはり「ソッポを向いたあの子」だ。管理局員が嫌いなのかな。それとも、ニンゲン自体が? 相原あいはらのようなドライな管理局員もいるから、苦手に思うことがあっても仕方ないかも。この子の好きなこととか、何かわからないかな。仲良くなって、楽しく過ごしてほしいなぁ。


おおとり

「はい。相原あいはらさん、なんでしょう」

「なんでしょう、だと? 今、何時だと思っている。さっさと今日の議事録を提出しなさい」

「あ……」

「こほん。適切な優先順位で作業するように」

「はい、すいません……」


 社会人としての常識も忘れてはならない。

 これも大切だ。

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