0-4 二日目 小さな先輩

 勤務初日から土日を挟んだ翌週の月曜日。

 おおとりは、駅から十分ほど「オリ」と呼ばれる壁に沿って歩き特区ズーの管理局員通用門に到着した。これからはこの道が毎日の通勤経路になる。簡単な荷物検査を受けた後、ゲートを抜けてオリの内側に入ると、高さ四メートル、厚さ一メートルはある無機質で重厚な壁が更に等間隔に設置されたリブで補強されているのがわかった。


 ――トラックで突っ込んでも壊れないよう設計されているそうだ。

 上司の言葉を思い出す。この城壁みたいな壁も先の荷物検査も、大切な子供たちを守るためのものなのだろう。

 しかし、この日本にほんという国で、それだけの強度が必要なのだろうか――?

 そんなことも考えた。もちろん、自分の頭では答えなど出てこない。


 無意味な思考はさっさと排除して職員用のバスに乗り、特区ズーの北部に位置する「管理局特区出張所」に運ばれる。

 バス移動の時間は約二十分ほど。本格始動すべき日だと言うのに、朝からウトウトしてしまった。

 その原因の一つとして、昨晩の長電話が挙げられる。金、土、日と毎晩、母と長電話をしてしまった。母は、引っ越し先の様子や職場の雰囲気について事細かく聞き出しては「早く結婚してちょうだい」と「お決まり」の文句を垂れていた。「余計なお世話だ」と思いつつも、母ほどの話し相手が他にいないだけに、気持ち良く世間話に花を咲かせてしまった。


 仕事にも恋愛にも浮き沈みはある。いつ、何が起こるかなんて、自分にも、もちろん他者にもわからない。

 だのに、母は私が落ち込んだ時、どうしてかそれを察知したかのように「最近どう?」などと電話をしてくるのだ。思い返せば、新卒で公務員になり一人暮らしを始めた頃もそうだった。何故、こうもタイミングが良いのか――母親とは、本当に不思議な生き物だ。

 私も「母」になればわかるのだろうか? ……多分、わからないだろう。私は、もうお節介になんてなれない。


 ぼんやりと考えている内に、管理局前のバス停に到着した。あくびをかみ殺しながらステップを降り、市役所とそう変わらない様相の建物へ入ろうとした時、


「こらー! 待ちなさーい!」


 遠くから女性の声が響いてきた。そちらへ振り向くと、走る子供と、それを追う大人の姿が。

 両手を広げてこちらへ駆けてくる子供は、短めの黒髪から頭上へと黒い耳を生やしていた。


 ――え、この子、動物人アニマン

 思わぬタイミングで対面がかなったが、あまりに急で喜びよりも驚きが勝る。どうすべきかわからないまま、その子供がおおとりの目の前で立ち止まるまでをぼう然と見届けた。


 子供は両手を広げたまま、目尻の垂れた両目でこちらを見上げる。身長は小学校低学年ぐらい。右目側の泣きぼくろが可愛らしい。

 などと観察していると、


「お前、ニンゲンかー?」子供は大きな声で質問した。

 笑顔だから、怒っている訳ではなく興味があるだけだろう。走っていたためか、しゃべった後に少し「ハアハア」していた。


 おしゃべりに一生懸命な雰囲気に、思わず頬が緩んでしまう。「うん、私は人間で、名前はおおとり すばるだよ。特区ここに来たばかりなの」

「スバル! へぇー!」大人の自己紹介に対して、子供は興奮気味に目も口も大きくした。

 おおとりはその場にしゃがみ、目線を合わせて尋ねる。「あなたは、動物人アニマン?」


「うん! そーだよ! 私はコウモリ!」今まで両手を広げた姿勢だった子供は腕を組んで胸を張った。「ここに来たばっかなら、私の方がセンパイだね! お姉さんになんでも聞きなー!」

「へぇー! そうなんだ!」年上の女は驚いて見せる。

 ただし、動物人アニマンであることは百も承知。「特区ズーに住んでいる期間が長い」という意味で先輩というのも不思議ではない。意外だったのは、髪が短く元気いっぱいなこの子が「女の子」である点だ。上体を反らしたことで見えた首元を見ると、確かに喉仏はない。


「これからよろしくね」

「うん! くるしゅうない!」

「くるしゅうない、じゃないわ!」

「うわー!」


 コウモリが「フンス!」と鼻から息を出したところで、女性が追いついてきた。管理局の制服を着た彼女は両手を子供の両肩にあててガッシリ捕獲する。


「あれ、山根やまねさん?」

「お、すばるじゃん! おはよう!」

 コウモリに気を取られて気づいていなかったが、追ってきた女性はおおとり先輩である山根やまね こころであった。丸顔とブラウンボブの髪、そして大きな目が愛くるしい、おおとりよりも年下の管理局員である。金曜日に雑談した際、彼女も保育士から管理局員へ転職してきた身であることを教えてくれた。


「おはようございます」おおとりは立ち上がる。「これは、どういう状況ですか?」

「今ね、夜行性の子たちの健康診断中なの!」山根やまねはほのかに上気した顔で苦難を語った。「眠くなる時間なら大人しくしてくれるはずなのに、この子ってば、この通り! こら、逃げようとするな!」

「えー! 注射やーだー!」

「ちょっと採血するだけだから! お姉さんなんでしょ! 我慢しなさい!」

「うわー!」


 新入りは「管理局員にはそのような仕事もあるのか」と思う。言うなれば、授業だけでなく生徒の健康診断から運動会、校外学習などの面倒も見る学校の先生のようなものなのかも知れない。

 それにしてもコウモリは見事な駄々っ子ぶりであった。この先輩は前職でも今みたいに子供を追い掛けていたのだろうかと想像すると、本人やまねには悪いが微笑ましい。


 おおとりはそんな本心を苦笑いで隠す。「大変そうですね」

 と、労いの言葉を受けた元保育士は獲物をロックオンしたハイエナっぽく目をギラリと光らせた。「ふふふ、アンタも今にこうなるぞ~!」

「ひええ!」

「スバル! センパイ命令だ」下からコウモリ。「ココロをやっつけろ!」

「こら! そんな言葉、どこで覚えたの!」雷が落ちた。

「ひえー!」


 特区ここにも「お母さん」がいた。動物人アニマンの児童はお節介のしがいがあるようだ。


 別のことを考えたところで、

「さ、新人は行ったいった! 遅刻なんかしたら相原あいはらさんに『こほん』って言われるぞー!」

 先輩から極めて重要な提言を受けた。


 ――しまった、いきなり遅刻はマズい!

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