イシュタルの巫女見習い、バビロンへ旅立つ

マジック使い

第一章 星の巫女その身に加護あらん

第一話 葦原の異変

 太陽が強く照りつける昼下がり。ナブリアは幼馴染おさななじみのラビアと共に、ユーフラテス川のほとりにある葦原あしはらへと足を運んだ。そよ風が吹くたび、背の高い葦がさらさらと音を立てて輝きを放っている。青臭さと、土の湿った匂いが鼻をくすぐった。


 川辺に歩みを進めるにつれ、水面が目の前に広がっていく。ナブリアはゆっくりと歩みを止め、その光景に見入った。青みがかった澄んだ川面はさざ波立ち、光がきらめいている。


 川の中央には、カモの姿がある。体を水面に沈めながら、ゆっくりと前へ進んでいく。時折、くちばしで羽繕いをしている。


 葦原の奥の方を見れば、そこにはサギがたたずんでいた。長い首をするりと伸ばし、鋭い目で水中をうかがっている。


 二人は草地に腰を下ろし、せせらぎの音に耳を傾けた。ナブリアの横に座るラビアは、くり色の髪を肩までの長さに切りそろえ、可愛らしい花飾りをつけている。その髪飾りは陽光にきらめき、ラビアは無邪気な笑顔を見せている。


 涼しげな水の音、葦の葉ずれの音、鳥のさえずり。ナブリアは自然の奏でる心地よい調べに耳を傾けた。


「ねえナブリア、葦で何か作ってみようか?」


「舟なんかどう?」


 二人は葦を集め、器用に編み始める。ナブリアの指先は小刻みに動き、思い描いた形を葦に宿していく。やがて、手のひらにすっぽりと収まる小舟が完成した。


 ラビアが喜びの声をあげる。


「ほら、できたわよ!」


 ナブリアも満足げに自分の作品を眺めた。


「さあ、どっちの舟が速く川を下れるでしょう!」


 ナブリアたちは小舟を川に浮かべると、勢いよく滑らせる。葦でできた小さな舟は、ゆらゆらと川の流れに身を任せている。ナブリアは自分の舟に視線を注ぎ、応援する。


 ラビアの舟が先行し始めると、ナブリアは思わず身を乗り出した。


「まだまだ! 追い越してみせるんだから」


 ナブリアは拳を握りしめた。


 やがて競争に飽きると、ナブリアたちは葦を切り、息を吹きこむ穴をいくつか開ける。即興で作った笛から、心地よい音色が響き渡った。


 ナブリアは笛の音を奏でながら、友との何気ない時間を満喫していた。


 だがその時、不意に違和感が走った。いつもなら絶え間なく聞こえる小鳥のさえずりが途切れ、葦原を吹きぬける風の音が少しずつ不穏に変化している。


 さわさわと心地よかった葦の音は、警告するかのようにざわめき始めた。


 ナブリアは身構えると、隣のラビアの手をそっと握りしめた。友の手のぬくもりに、少しだけ勇気がわいてくる。真剣な面持ちで葦原の奥を見つめるラビアの横顔を見て、次の瞬間に備えた。ピリピリとした緊張感の中、二人は息をひそめて待った。


 そこに人の背丈ほどもある影が現れた。真っ黒なうろこに覆われた蛇の胴体が、うねうねと不気味な動きで葦をかき分けてくる。赤い目が二つ光り、鋭い牙をむき出しにしている頭部。その禍々しい姿を目にした瞬間、ナブリアは全身の血の気が引いていくのを感じた。


 大蛇は赤い舌をちろりと垂らし、首を上下させている。葦原で、こんな化け物に出くわすなんて。


 漆黒のうろこは日光を反射してぎらぎらと不気味な光を放っていた。その赤い目がナブリアとラビアを捉え、狙うように見据えている。大蛇は不気味にうねりながら、ゆっくりと前進を始めた。


 ナブリアの心臓は打ち鳴り、一瞬、戸惑いと恐怖に飲み込まれそうになる。だがすぐに我に返ると、葦原の地形を思い浮かべた。


「ラビア、ついてきて!」


 ナブリアは叫ぶと、勇気を振り絞って走り出した。


 ラビアも恐怖に顔をゆがめながらも、ナブリアの後を追う。


 背後では大蛇がうねりながら、執拗しつように二人を追ってくる。その地をはうような音は、ナブリアの背筋に冷たいものを走らせた。


 ナブリアとラビアは葦をかき分けながら走る。生い茂る葦が二人の視界を遮り、逃げ道を探すのを困難にしている。


 足元の水たまりを無我夢中で踏みしだく。冷たい水が足首をぬらし、服にしみこんでいく。


 ずぶぬれになった裾が足に絡みつき、動きを阻む。それでもナブリアは走り続ける。


 ラビアの荒い息遣いが聞こえてくる。


 葦をかき分ける手には、いつの間にか紅い血がにじんでいる。


 全身から汗が噴き出し、肺が悲鳴をあげているのを感じた。息は荒く乱れ、もはや限界が近い。

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