■14:依頼
深夜――僕は、うっすらと目を開けた。
すると、ソファに座って膝を組み、僕を眺めている人物がいた。
ああ、寝ぼけているんだなと、再び目を閉じてから、僕は飛び起きた。
「え?」
「ん?」
顔を上げた青年は、本を閉じながら、顔を上げた。
「だ、誰?」
「――誰だと思う?」
見覚えの無い青年を、僕はじっと見た。冷や汗が浮かんでくる。不審者だ!
だが――そういう問題ではない。外には警備員さんだっていたはずだし、不法侵入者に茨木が気づかないとも思えなかった。けれどソファに座ったまま、ごく自然な仕草で、カップを傾けた青年は、余裕の表情で、ニッと唇の両端を持ち上げている。とすると、通された客人なのだろうか? いいや、茨木に限ってそれはないだろう。眠っている僕の所に知らない人を連れてくるようには思えない。
「……」
では、誰なのかと考えた。
――茨木はAランクのF型表現者だという。その茨木に気づかせない程のF型表現者かつ……恐らく厳密に秘密にされているだろう、僕を特定してやってきたのだろうから……そんな事が可能なのは世界貴族……それも、Sランクなのでは無いのだろうか?
「大正解だ」
「!」
「きちんと心を読まれないように、『念じて』おいた方が良い。自分より下位には読まれないとしても、一応Sランク同士の相手にならば、その限りではないし、人の心を読む能力に長けた表現者相手にも窮地に立たされるかもしれねぇからな」
僕は慌てて、自分の心が誰にも読めないようにというのを、強く思い描いた。
「改めて自己紹介すると、俺はギルベルトと言う。ギルって呼ぶ奴がたまにいる」
「……隅州です」
「スミス氏。お前が俺も目をつけてた美術館を完璧に保護下に置いたのをきっかけに、俺はお前の居場所を特定した。いやぁ世界は広い。俺と同じ事を考える人間もいるんだからな」
「え、あ」
「そのまま保護を続けてくれ。俺、世界遺産とかを頑張るから。日本で言うと富士山とか、俺頑張って保護してるから。白神山地とか広すぎて泣ける」
笑いながら、目元を拭う仕草をしたギルベルトさんを見て、僕は少しだけバクバク言う心臓の音が落ち着いてきたのを感じた。
「ちと、な。スミス氏に頼みたい事があってここに来たんだ。独断だ。どこの誰の意思も介在していない――茨木にも話を通していない比例は詫びる。あいつ、元気か?」
「え、ええと……元気だと思います。見ている限りだと」
「そうか」
知り合いなのか、何度かギルベルトさんが頷いた。
「実はな、お前が通ってる学校に――結城梓っていう日本華族がいるだろう? そいつに合わせたい奴がいるんだ。宋伯爵傘下だというのは知ってるんだけどな、バレないように、ひっそりと会わせない奴がいるんだ」
「結城くん……?」
僕は必死で、同じクラスのキラキラした王子様風優等生の事を思い出した。
授業中に指されたら全問正解で「さすがは結城だ」と言われていた。ほぼ毎回の授業でそうだった。
「いや、それは先生達が、結城総理の御子息に気を使った結果じゃないのか?」
「ご、御子息!? 総理大臣の!?」
「――おう」
心を再び読まれたことよりも、僕にはその事実の方が衝撃的だった。政治家の家族にであっていたと聞いて、びっくりだ。人生初体験である。
「それでな、お前はクラスメイトなんだろう? 結城梓を、遊びに連れてきて欲しいだ。俺もその日、会わせたい奴を連れてくるから」
「けど、僕、仲良くないです。どうやって誘えば……?」
「――? 身分を公開していないのか?」
「してないです」
「する予定もないということか……じゃ、じゃあほら、地道に仲良くなってきてくれ」
「卒業までには、頑張ります」
「えっ、もうちょっと早く頼めないか……?」
ギルベルトさんの笑顔が引きつった。しかし、無茶振りをされても困るのである。
――扉が勢いよく開いたのはその時のことだった。
反射的に視線を向けると、銃を手にしている茨木さんがいた。非常に冷たい眼差しだ。
「よぉ、茨木」
「――ギルベルト様。貴方といえども、スミス様に不用意に近づいて頂いては困ります」
「まぁそう言うなって」
「下がってください」
歩み寄ってきた茨木さんが、僕を庇うようにベッドの前に立った。
「元俺の使用人だろ? 茨木、それに免じて」
「今はスミス様だけの使用人ですので」
そのやりとりに、だから先ほど『元気か』と聞いたんだろうなと納得した。
「――じゃ、スミス氏。頼んだぞ!」
明るいそんな声が響くと同時に、ギルベルトさんの姿が消えた。
「頼んだ……? スミス様、何かを頼まれたのですか?」
「え? うん……結城くんっていうクラスメイトを遊びに誘えって。会わせたい相手が居るとかなんとかって」
「無視して構いません。世界貴族同士の直接依頼は、禁止されております。本来、常に互の世界貴族使用人が立会いのもと、お話があるべきだからです」
「大した話じゃなかったからじゃない?」
「スミス様達にとっては、大した話でなくとも、他の者にとっては、人類滅亡案件である場合もございます。次からは、すぐに私をお呼び下さい。もしも私が、不審な気配に気づかなければ、そして相手がギルベルト様でなければ、何があったかも定かではありません。もっともギルベルト様でなければ、他にはサンジェルマン様を除けば私が遅れを取ることはあまり考えられませんが」
一口にそう告げてから、茨木が大きく吐息した。
「何よりご無事で良かったです」
「ごめん……次からは気をつけるよ」
「そうして下さい。それにギルベルト様は、別の意味合いで、関わるのは危険ですので」
「どういう事?」
「彼は――マリア・セグメントの人間に監視されているのです」
「それは、何?」
「今夜はもう遅いので、おやすみになって下さい」
茨木はそう言うと会話を打ち切って、部屋から出ていった。
僕には、見送る事しかできなかった。
***
――自室に戻った茨木は、溜息を吐きながら、机の抽斗を開けた。
そして中に入っていた『天才とフォンス』という論文を取り出した。これは――天才とは、そうとは気づかずに、フォンス能力を顕在化させたという主張の論文である。それをパラパラと捲ってから、
続いて『終南山記録』という文章群の束を取り出した。こちらは、嘗て仙人が暮らす山だと中国で知られていた、終南山の名を冠した――ある天才児の手による研究の一覧である。
そうして最後に、茨木は、『マリア・セグメントにおける、紀元前の聞き取り調査』という資料を取り出した。
遅くまでそれらを読み返す茨木を見ている者は、誰もいなかった。
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