■(7)フォンス能力
ところで――『貴方』はこの世界に、運命という物は、存在すると思うだろうか?
箱船が発見され、超能力者である古代人の遺伝子が、現代人とほぼ差違が無い。
、だがこの時勢において、彼らが改めて『生まれた』という事実は、果たして単なる偶然だったのだろうか。
私には明確なことは分からないが、世界には『タイミング』や『流れ』というものが存在するように思える。俗に、歴史のターニングポイントと呼ばれるものだ。
日本に限って言うならば、江戸幕府の成立や文明開化、第二次世界大戦敗戦、高度経済成長期などが代表例だろうか。世界的に見るならば、産業革命を挙げることも出来るだろうし、民主主義の契機となったフランス革命やアメリカ独立宣言を含めることも可能だろう。箱船発見前は、文字の出現もその一つだと考えられていたかもしれない。
箱船が発見されたのは、1990年代初頭の事である。そしてその後の十年間に、一つの『流れ』が確実に存在し、1990年代半ばになる頃には、それが無視し隠蔽する事が困難なほど、明確な形を持ったのである。
まずは1999年に発表された、ある理論に触れよう。これは奇しくも、箱船由来の初の子供がすくすくと育っている頃に発表されたが、科学社会からは、当初妄言として扱われ、学術研究とは認められなかった理論だ。
後年になり、箱船由来の第二世代の存在と、2000年代半ばから見え始めた確固たる事実によって、再考された理論である。なお、この理論の提唱者は、箱船の存在を、当時知らなかった事は確かだ。
その理論は、嘗ては超心理学の枠組みで研究されていた、超能力に関する研究・実験、そして考察から、いくつかの分類と仮説を立てたものだった。
著者の名前は、エイブラハム・コースフェルトである。
彼の両親は独逸国籍で、アメリカに移住し、コースフェルトを設けた。彼は、アメリカ人の精神科医である。持論を展開した論文を契機に、医学界を追放され、暫くの間は民間研究機関に在籍していたという記録が残っている。
まずは、彼の理論による、超能力の分類を解説する。
彼は、当時呼称されていた超能力という語を、『フォンス』と名付けた。
フォンスとは、古代ラテン語で、『泉』という意味である。
フォンスは、日本では後に、『泉能力』と呼ばれる時代も来る。
フォンス能力を持つ者を、フォンス能力者と彼は呼んでいた。何故、泉としたのかは、今となっては分からないが、フォンス能力は人間の未使用の脳機能や未解明の遺伝子が発動した結果ではなく、ある種――『泉のようにわき出る精神世界の表象』こそが原動力であるため、あながち的はずれな名称だとは、私は思わない。
コースフェルトによれば、フォンス能力は、五分類できるという。
第一が、『コスモス』能力である。これは、前時代的分類で言う、超感覚的知覚(ESP)とその他の一部を指す。触れるだけで(人によっては触れずとも)、過去・現在・未来のいずれか、あるいは全ての情報を読み取る。サイコメトリー能力や、テレパシー、遠隔を含む透視と呼ばれた能力、念写などもここに彼は分類した。
定義としては、『思念の力により、直接的に刺激を知覚しない場合でも、感覚器官で知覚刺激を受け取り理解可能な情報を得られる群』である。
サイコメトリー時に『触れる』という動作を必要とする場合などは、『能力が微弱』だと彼は判断した。彼による能力の強弱も後で記述する。
未来予知もここに含まれると言うが、未来は可変であり、最も成功確率が低い能力であると彼は主張した。
また過去視に関しては、ある一定期間を境に、それ以上過去の事は読み取ることが困難であると主張している。この事実は、その後の研究者によっては、『過去視は存命中の人間の記憶を読み取っているからである』という見解や、『石などの物質に記憶される情報量は、時間経過により風化し失われる』とするものもある。また、前世判断などは証明困難な事が多いため、前世が存在するか否かも含めて、研究途上である。
第二が、『ムーブ』能力である。
これは、嘗てはサイコキネシス(PK)と呼ばれた能力だ。物体――場合によっては生体にすら、動作・静止を初めとした影響を、思念の力で及ぼせる能力である。物理法則を無視したり、様々な形態のエネルギーを生み出す事もここに含まれる。自分自身の体を含めた浮遊現象もここにカテゴライズされている。弾く事もそうである。例えば『消失させること』もここの範囲だ。
この時、『思念』は、大きな『力』を生み出す。この『力』についても後述する。
結果として、力が暴走すれば、人体発火現象等が起きる場合もある。
第三は、『転移』能力である。俗に言う、テレポーテーションである。遠距離に、瞬間移動が可能な能力の事である。物質のみを移動させるものから、自分自身が移動する事までをも含む。その対象や距離は、個人の能力に依存する。
第四は、『治癒』能力である。これは、例えば基督教であれば、『奇蹟』に認定されるような、あるいは呪術治療者の一部が迷信ではなく実際に施行可能な、医療技術に頼らない治癒能力である。他者に用いる事も、自分自身に用いる事も可能である。最も優れたこの力の持ち主は、不老不死になりえると、コースフェルトは記した。
第五は、『具現化』能力である。これは、コスモス能力とムーブ能力を、同時に使用する方法である。コスモスとムーブは、内的と外的とに大分類する事が可能だ。
並びに、両者を同時に行う事も、理論上可能だ。念写が代表例である。コスモスの力で対象を読み取り、ムーブの力で写真に焼き付けるのである。
しかしながら、コースフェルトは、コスモスもしくはムーブの、いずれか一方に秀でた人間が一般的であり、両方を習得し得る人間は、大変強力なフォンス能力者であるとしている。滅多にいないという事だ。
これを用いれば、例えば『架空想像物の召喚』等も行うことが出来るとされる。古来から言われる悪魔や天使の召喚は、この分類に該当する。兎に角、想像した存在を、物質化させる能力なのである。
以上の五分類は、奇しくも箱船に残されていた記述と合致した。これは、後年になって認められた事である。先にそれを記すと、第一のコスモスはテイテン、第二のムーブはキニ、第三の転移は先にも記したがヒガ、第四の治癒はエルパロ、第五の具現化はユメグである。即ち、古代文明で認められていた五つの能力は、現代の科学文明の中にあっても、住まう人々の中に脈々と受け継がれていたのである。
しかしながら、目立つことはなかった。
目立ち始めた事こそが、『流れ』であると私は思うのだ。
ちなみに古代日本人がテイテンと呼んでいた、意思疎通のためのコスモス能力は、当時の人々は、ほぼ全員が持っていたとされている。しかし、現在の世界においては、数少ないフォンス能力者は、その大半がムーブ(PK=キニ)能力者である。
ムーブ能力は、1990年代後半から、明らかに増加した。これは、統計的事実でもある。この頃から、『アルボス型パーソナリティ障害』として、彼らは認識されるようになったのだ。
その頃の『現代』の社会は、フォンス(超能力)を認めるのではなく、まずはそれを精神科領域の問題だとして扱ったのである。
中には、フォンス能力者であると正しく理解していた者もいた。しかし彼らは、その事実を隠蔽することに決めたのである。理由は様々だ。人間は未知の者に恐怖を覚える。ノストラダムスの予言と関連付けて黙秘する者までいた。
――理解できない事柄が怖く、不適切だと分かってはいても医学的理屈をつけて、何とか理解しようとした、とも考えられる。
精神分析学の防衛機制で言う所の理論化である。
また、『超能力者が進化した人類だとしたら、非能力者はどうなるのか』と真剣に考えた人間もいた。この思想は、私がこれを記している現在も、持っている人間がいる。
他にも、『危険性があるから、収容・監視すべきだ』という考えから――罪を犯すとは限らず刑務所がなかなか困難だったため、精神科の閉鎖病棟に、かなり前時代的ではあるが『閉じこめておこう』と意図した人間まで存在したようである。
アルボスとは、古ラテン語で、樹木のことである。何故この名称がついたのかは、定かではない。しかしながら、DSMやICDにも、この名称で『現在』は記載されている。
当時、アルボス型パーソナリティ障害がどのように認識されていたか、簡単に説明する。
まずパーソナリティ障害は精神疾患ではなく、特異な人格である。その中で、アルボス型の場合は、『異常な寂しがり屋』であり『無意識に気を惹こうとする』という傾向があり、『その事実を記憶していない』という状態をみせる。
特に、一人きりの部屋で、それは顕著に起こる。
その為、一人暮らしが生涯困難とされ、家族や恋人、福祉機関の職員の同居及び、『同じ寝室で、共に就寝すること』が推奨されている。
アルボス型は、誰かと一緒に寝ていると、特異な状態を出さないのだ。寝ていると――そう、大半の場合、就寝したと本人が認識している状況で起きる。
最初は寝ぼけていただとか、睡眠障害の一部、夢遊病などと判断された例もあるのだが、あまりにも顕著な行動があるため、この障害名がつけられた。
一人きりの部屋で彼らは、まるで嵐でめちゃくちゃにされたかのように、部屋を荒らす。非常に巧妙な場合は、家具を全て反転させて配置し直したりする。簡単な場合では、壁を叩いたり床を強く足で蹴ったり、一見耳鳴りのような奇声を発したりなど騒音を立てるなどし、窓硝子を揺らしたり時には破壊し、部屋をめちゃくちゃにしてしまうのだ。
しかし本人にはその認識はない。
小さな音を立てる時から、乱雑にする、破壊する、巧妙に細工する等、症例は様々である。そしてこの一連の行いを彼らは記憶していないが、人前では決して行わないという事が分かっている。
また隠しカメラの存在などにはめざとく気づくようで、記録されている場でも行わない。誰もいない場所でのみ、こうした異常行動を取るのだ。だからこそ、誰かと一緒に寝ると収まる。逆に言えば、誰かが一緒にいる以外、収める手段はない。
彼らには自覚したり、他者が感じ取れるような、心理的症状は何一つ無いのだ。当然である。彼らはあくまでもムーブ能力者であり、精神的には健康だったという真実があるのだから。
ようするにこれらの現象は、昔から言われている『ポルターガイスト現象』だったのである。霊が起こしていたのではなく、人間が無意識にフォンス(超能力)を発動していたのだ。ちなみに、ポルターガイスト現象は、昔から思春期に頻発するとされ、特に女子に多いと言われてきた。
パーソナリティ障害は、人格が定まってから診断した方が良いという論調もあったのだが、アルボス型に限っては、思春期に発見され、診断が確定する例が圧倒的に多く、公的に疑いがあればすぐに診断するようにと言われていたという記録がある。
即ち1990年代後半にこの障害は爆発的に増加したのだが、その診断知見の収集で得られた成果は、『男女差はない』という一点のみだった。女子に限らず、寧ろ男子の方が、アルボス型と診断される人は多かったという記録もある。
当初は、テレビで特集が組まれたり、専門のサイトができるなど、新たなパーソナリティ障害として、アルボス型は認識されていた。その上、かなりの長期間、『精神科領域で扱う事柄である』と信じられた。
人々はフォンスの存在を認めるよりも、科学的分類を信じる方が、受け入れやすかったのだ。しかし、科学の進歩も止まらない。
ついに、アルボス型の患者が絶対的に気づかないほど巧妙なカメラが生まれるに至った頃、既に柔軟な層は、『アルボス型は、ポルターガイストなんじゃないのか?』という疑問を抱くようになっており、口ではパーソナリティ障害といいつつも(そして恐らくそれを信じつつも)、半ば公然の事実として『心霊現象もしくは超能力である』という事も、受け入れつつあった。
それでも当時の風潮として、非科学的な現象を信じていると公言することは奇異な事と考える人が多かったから、社会生活、現実の場においては、パーソナリティ障害として受け入れていた。そうで無かったのは、主にインターネット社会においてである。
この一連の流れの後、2000年代後半頃から、箱船第二世代の子供達の超能力が明らかになった。こちらも当初は極秘で進められた研究だったわけだが、じわりじわりとその噂は広がっていった。
アルボス型の患者の中に、就寝時以外にも『物体を動かす者』が出現している事を認めざるを得なくなったのもこの頃である。最早、超能力の存在を隠蔽することは困難になり、『特殊能力の持ち主が存在する』と認められていく『流れ』が出来上がり、その中で、コースフェルトの理論が再着目されたのである。
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