■(6)受精卵
さて、ラシード氏は、死の三日ほど前、孫をその手に抱く事が叶った。
ラシード氏には、養女が二人いて、彼女達のそれぞれが孫を同時期に出産したのだ。彼女達の夫は、生まれた子供が自分の子供でない事を知っていたが、出生に歓喜した。
ラシード氏の娘達は、箱船から発掘された二つの受精卵を、それぞれ体外受精し、子供を設けたのである。
理由は――生んでみたかったからだと言われている。
一説には、ラシード氏に孫を見せてあげたかったという理由もあるし、ラシード氏自身が生まれてくる人間に興味を持っていたとも言われている。二人の娘の夫達は、ラシード氏と同じく、知的好奇心と探求心が旺盛な人々だった。
受精卵には、勿論受精前にいくつかの研究・観察がなされた。
しかし、出資者である彼らの意向を無視して、出産を止める者は存在しなかった。箱船研究は、その後も、ラシード氏の遺産で続くからだ。他の支援者を望む者は皆無であったと言っても良いだろう。拠点は様々な国にあったが、一国や特定の派閥が技術独占をする事を、携わっている人々は望んでいなかった。
何よりも研究者達は、本当に文明や人類を破滅に導くような科学兵器が存在するのであれば、それが戦争の道具として用いられる事があってはならないと考えていたのである。同時に、宗教や人種に囚われる事なく有能な研究者が集うためにも、どこかの国による成果の独占は望まれなかった。
無論、その研究を嗅ぎつけた国が無かったわけでは無いだろうが、公的に接触し、技術を奪おうとした国家は少なくとも存在しなかった。研究結果が出た後に、行動する事を視野に入れていた国はかなりの数存在したようではある。
さて、養子である長女は、アラブ人だと言われていたラシード氏とは異なり、ユーロ圏出身の白人女性だった。血筋を辿れば、貴族に行き着くそうで、夫は、やはり貴族の血筋の英国人だった。どちらも歴史在る家柄の出である。
なぜ長女が養女になったかと言えば、それが実の所、定かではないのだ。一説によれば、ラシード氏が、白人の娘を欲しかったと言う話だが、彼が特定の人種を好んでいたという形跡もない。長女は、多額の金銭を受け取る事を条件に養女になったのは事実であるが、愛人であった様子も無い。ラシード氏とは、大変仲睦まじかった。親子として。だから彼女がお金で身売りしたとも言い切れない。
その長女の子供は、少しばかり早産だったが、無事に生まれた。日本で発見された箱船の内部にあった受精卵であるから――黄色人種の赤子が生まれるのだろうかと若い夫婦は考えていた。長女の夫も出生を喜んでいた。
生まれた子供は、白い肌にブロンドの髪、青い目をした男児だった。白人らしすぎる白人だった。プロトタイプにすら思える容姿だ。
当時の日本には、露西亜を経由して白人がいたのかも知れないという説を、彼らは思い出していた。両親にはあまり顔立ちは似ていなかったが――ブロンドの髪をしている長女と、青い目をした夫の実子として届けられた後、この男児が両親を疑われた事は、箱船を知る研究者や関係した人物以外からは、一度も無かった。医師も守秘義務を厳守した。夫の国籍である英国籍を得ていた長女は、子供もまた英国人として育てる事に決めた。
続いて次女である。彼女も、アラブ人であるラシード氏の養女だが、こちらもアラブ系ではなかった。彼女は両親が日系アメリカ人であり、夫は中国人だった。次女は、黄色人種であり、黒い髪に黒い瞳の持ち主だった。夫も同じ色合いである。
この二人の間に生まれた子供は、女児であった。その子は、戸籍上従兄となる男児の、一ヶ月ほど後で生まれた。ほぼ予定日通りだった。
同じ箱船から見つかった受精卵だというのに、生まれた女児は、黒い髪に黒い目をしていた。どこからどう見ても、黄色人種にしか思えない。彼女もまた、両親との血縁関係を疑われる事が無い人生を送る。
この女児を抱いた三日後に、ラシード氏は、鬼籍に入った。その際の遺言は、『出生した男児と女児の子供を作るように』だったと言われている。結婚を前提としてはいなかったし、人工授精であっても構わないようだった。
二人の子供達は、当人達も知らぬ間に、精子と卵子を相応の時期に採取された。遺伝子等は、幼少時よりそれとなく何度も研究された。だが本人達には、配慮からそれらは伝えられなかった。この二人が顔を合わせるのは年に数回従兄妹としてであり、それぞれ別の場所で育った。
彼らは、現代の人間と、特に差違は無かった。当時の人々とは、身長や骨格、歯列が違うと考えられていたが、生活環境の結果からか、著しい違いは認められなかった。ミトコンドリアと――男児の側に限っては、Y染色体のハプログループが『現在の日本人』として見るのであれば少し特異ではあったが、同じ系統樹の日本人が存在しないわけでもなかった。彼らの受精卵の持ち主であった当時の日本人は、少なくとも白人と黄色人種の外見を保つ者が混在していた可能性があり、現代とは異なる系統樹であっても不思議は無い。
そもそも人種間での皮膚や顔の造形の差違など、遺伝子的には、ほとんど問題にならないと、現代科学でも熟考されている。勿論差違が完全に無いわけでは無い。メラニン色素が居住する土地により肌の色を変えたりもすれば、光に対する強弱で目の色が青くなる事もあるのだから。
子供達に対しては、知能検査や心理検査も繰り返し行われた。だがそれらに対しても、また風邪というような簡単な疾患に関しても、現代人とほとんど差違は存在しなかった。
だから――二人の持つ特異な力は、長らく見過ごされたのである。
周囲がそれを理解し、事実として認めざるを得なくなったのは、二人の精子と卵子で作られた受精卵を、ある黒人女性が代理出産した時である。生まれた子供は、どこからどう見ても、黒人だった。
最初は、受精卵の取り違えが検討された。だが、DNA鑑定の結果、間違いなく両親は箱船由来の二人であると確定した。
――一部の研究に、最初に受胎・出産した人種の情報が女性の体内に残り、二子目は異なる人種であっても、第一子の人種に近い形質を持って生まれるという説がある。
これは、犬などが、一度雑種を孕んだ後は、二度と純血種を生む事が出来ないといった研究に近しい。まだ研究途上の部分である。この可能性も検討された。
しかしながら、この時代理母となった黒人女性は、初めての妊娠であり、実の所、性経験すら一度も無かったのだ。彼女は、どうしてもお金を欲していたのである。
この段階で、ある仮説が生まれた。
もしかすると、産みの母親の人種となる特質を有して生まれてくるのではないか、と言うものである。なおこの研究は立証された。他の代理母による子供達も、代理母の人種と同じ肌もしくは目や髪の色で生まれてきたからである。生きやすさ――種の繁栄と適応の観点から、この事実に着目した研究も始まった。
さて子供達は人種は違ったが、ただ一点不思議な事に、皆顔立ちは類似していた。最初の男児と女児もそうであるが――確かに各人種の特徴を持ってはいるのだが、どことなく日系の血が入っているように見える。
日本人は、必ずしも万人が美しいわけではないし、日本人の容姿を醜いと感じる人々は、案外いる。
だが、『どことなく日本人に見える』というのに、生まれた子供達は、共通して皆、『非常に美しかった』――それを、誰も否定できなかった。美の基準は文化や地域で変わるにも関わらず、彼らが美しいと感じる人ばかりだったのである。
――産みの母親の人種に由来する。
――皆、どことなく日本人風である。
――非常に美しい。
と、個々までに三点挙げたが、他に、最も重要な特質が彼らには備わっていた。
それは、この当時の言葉で言えば、『超能力』を有していたと言う事である。
発見の経緯を記す前に、彼らが共通して持っていた能力を書いておく。
彼らは総じて、『相手の心を読み取る事』が出来たのである。最初、それを口にした少数の子供達は、精神疾患を疑われた。しかし実験の結果、『正確に事実を読み取ることが出来る』と確認されたのである。実験は、第三者が心の中に、紙によって指示された事柄を思い浮かべ、子供達がその心を読むという手法で行われた。紙への記載が無作為であった点などの、研究手法の詳細は割愛する。
それが明らかになってから、全ての子供達が、この実験の被験者となり――そして全員がその能力を有していると確認された。ならびに、彼ら同士の間では、俗に言うテレパシーのような、非言語的な会話が成立したのである。互いに心を読み取れるからである。
また、彼らの多くは、非常に記憶力が優れていた。勿論、超能力者とすぐに判定されたわけではなく、推測能力に長けているのであるとか、ユングを元祖とした分析心理学の概念である集合的無意識にアクセス可能であるだとか、様々な可能性の中から瞬時に適切解を読み取る技能を持っているとするような、様々な見解があったが――最終的には、『超能力である』と結論づけられるに至った。この能力には、個々人の教育水準も無関係であったし、超常現象を信じる者・信じない者、両者どちらであっても差違は無かった。
――古代日本人が知識伝達に利用していた技術は、インターネットのような科学技術ではなく、テレパシーと呼ばれるような超感覚的知覚であった。
そう結論づけられることになる。テイテンとは、超能力のテレパシーだった、そう考えられるようになったのである。だとすれば、古代の日本人は、全ての者が、テイテンを使えた可能性が高い。
そして『テイテンを生まれつき使えない者』とは、下層階級ではなく、『超能力が使えなかった人間』という事である。
無論、現代の地球において、超能力の存在は、疑問視されている。だが、この仮定が事実ならば、『文字を用いずに、高度な科学文明を築いた後に、文字が生まれた事』には、不思議はなくなる。箱船の記述が、そのまま事実であると言う事になる。
また飛躍して考えるならば――バビロンで言葉がバラバラになり意思疎通が取れなくなった事も、『テレパシー能力が使えなくなった』と理解することも出来るだろう。
古代の日本に広がっていた原始文明が、世界規模でのネットワークを築いていたとするならば、多くの人間が、超能力者であったはずだ。だとすれば、他に出てきた現在の語では分からない四つの術もまた、超常的な能力の可能性がある。
――この頃の超能力の研究で、視覚を使わず視る事が可能な透視や、音声言語を用いずに会話できるテレパシー、物から情報を読み取るサイコメトリー等と称された様々な能力は、超感覚知覚と呼ばれ、ESPと言われていた。
そして同じくらい有名であり、ESPと二大分類として存在したのは、PK――即ちサイコキネシスである。こちらは、物体を静止させたり、動かしたりする事が出来るとされる。有名なものは、スプーン曲げだろうか。
仮に古代にESPが栄えていたのであれば、PKも存在したのではないか。それが残りの四つの内のいずれかではないのか。
――その仮説は、的を射ていた。
子供達の内の一人が、PK能力を持っていたのである。子供達は、皆テレパシー能力を持っていたが、それぞれ範囲には個人差があった。
そのPKを持つ子供は、対面していなければ血縁者とテレパシーを使う事は出来ず、他者の心を読むに至っては、出来る日と出来ない日が存在したのである。
この当時の超能力研究では、山羊・羊効果として、信じている者が周囲にいると成功率が上がり、懐疑的な者が観客に多いと失敗する傾向が高いという理論があった。この子供には、世界中で実験されている真偽不明な超能力者達同様、その傾向が見られたのである。即ち、『最も』テレパシー(ESP)能力が低い子供だったのだ。
しかしこの子供は、手を使わずに物体を浮遊させ、取り寄せることが可能だった。部屋を汚して叱られた時、玩具の片づけを、『念じる事』で、勝手に玩具が箱に入るよう動かす事が出来たのだ。この子供の場合、箱にほぼ十割の確率で物をしまう事が出来た。また、この能力の方は、観客の意思に影響される事も皆無と言ってよく、代理母や研究者の前でも易々と行った。
ただし、『念じる事』が上手くできない場合は、失敗することもあった。
念じる事とは、何か。その時推論されたのは、上手く成功場面を想像する事と、集中力の有無だった。
――物体を浮遊させることは、重力を無視すると言うことだ。
仮に洪水を引き起こすとするならば――重力操作を行う事は、一つの手法となる。その為、キニとは、PKの事ではないかと推測された。
他の三つに関しては相変わらず分からなかったが、超能力で他に残っている物としてはテレポートなどが考えられる。後に判明するのだが、もっとも情報が少なかったヒガという術が、テレポートの事だった。ユメグとエルパロに関しては、後述する。
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