■(5)解読


 その場で解読されたのは、このような内容だった。分からない語は多々あったが、『ケルビム』という聖書に関連する名称に、その場には再び明るい空気が漏れたものである。


 それから、解読作業ではなく室内を調査していた人々が、床に置かれた複数の箱の中を確認した。同時に、床板が外れる事にも気がついた。


 解読結果とあわせて考え、中には、これらの文字が記された当時の『種子』があると予測した者は多かっただろう。だが、その中に果たして古代の遺伝子を残す物質があるのかは、疑問だと考える人間が大多数だったはずだ。


 ただし――解読内容から、科学知識を有する超古代文明という夢の代物の存在を、『現実』として受け止めるべきではないかと、真剣に検討した者もいた。


 立場はどうあれ、彼らはまず、箱の蓋を開けることにした。


 結論から言って、そこには――超高度な科学技術と未知の力により、凍結状態で人間を含む数種の動植物の受精卵が保存されていた。それから床板を外した結果、植物種子や――仮死状態の動物も存在していた。流石に仮死状態の人間の姿はなかったが、一見して『恐竜』であると直感できるような生物の遺骸なども含まれていた。雌雄ある生物は、全て、『つがい』で残されているようだった。創造年代は兎も角、紛れもなく、『箱船』の記述に合致するかのような内容物だった。


 その後何度か調査隊が派遣され、遺物を運び出す作業なども行われた。

 しかしながら――……その事実が公にされる事は無かった。


 ――真贋・真偽が不明であり、公開するには至らない。


 これが、後に国際会議で正式に伝えられた理由である。他の言い訳としては――あまりにも既存の文明や歴史とは異なる事柄が多く記されていたため、混乱を招かないように、慎重に調査した後に公表するつもりだったという言葉もある。


 水面下で静かに調査・研究は行われた。


 壁に残されていた文字群の、全ての解読作業もその一つである。中でも、意味の理解できない単語が議題にあがった。これらは日本における縄文時代に作られたという測定結果であり、もしこの当時、このように高水準の科学技術文明があったのであれば、人類の歴史を様変わりさせてしまう事は、誰にでも分かった。


 さて主に日本語の『音』を、シュメールの言葉で記してあった部分を解読・研究していた人々に焦点を当てて――いくつかの補足をする。『彼ら』は、そこに記されている文明を、葦原文明という仮称で呼ぶことにした。


 まず、当時の人々が、文字の代わりに利用していた知識の継承手段は、当時高水準の技術があったことから考えて、恐らくはインターネットのような代物だと推測された。テイテンとは、Webのような通信・記録技術だったのだろうという考えだ。ならば……他に四つある語も、特定の人しか用いることが出来なかったものも科学技術だと考えられた。


 それらは限定された人間しか使用できなかったとされている。なので、文字を含めた科学技術は一部の人間で独占され、一般大衆には広がっていなかったのだろうという見解になった。その理由らしきものも発見された。


 葦原文明以前にも、さらに古い文明があったようだが、キニとオロチに滅ぼされたという記載があったのだ。その文明は、日本最古の文明と言うよりは、世界規模の広がりを見せていた可能性があった。葦原文明の一部の者が有した高度な技術は、その原初の文明の遺産であるとされていて、全ての者がその技術を手にする事が危険視されていたため、一般の民には情報公開をしていなかったという記述が見つかったのである。


 原初文明に関しても、テイテンでコミュニケーションを行っていたようで、これがやはりインターネットのように世界中を繋いでいた様子だった。しかし、テイテンを生まれつき用いる事が出来ない人間がいた為、文字が発展したという経緯があったらしい。


 不思議なのは、テイテンが発達する以前には文字が存在しなかったという点である。文字群には、はっきりと、『テイテンを生まれつき使えない者が、文字を使用した』とあるのだ。


 ――テイテンを作り上げるに至った際に使われた文字は既に失われたか、テイテン内部でしか使用されなかったのかも知れない。そう研究者達は結論づけた。


 また、『生まれつき』という事で、原初文明時には身分差があったと想定された。葦原文明でも、多くの民は知識や技術の制限を受けていたとされているから、特権階級があったのだろうと考えられた。


 さて、世界を滅ぼしたというのだから、キニとは、何らかの武器だと推察された。それと同列に挙げられているオロチであるが――こちらは日本を研究するのであれば、八岐大蛇が第一に浮かぶ。同一の者か否かは不明であるが、少なくとも古事記が記された年代より以前から、オロチという語が存在していたと考える事は出来た。


 だが……ケルビムは、旧約聖書において、神の遣わす天使であるし、麒麟は中国の架空の動物である。


 それらを使用可能にする、ユメグの術とは何なのか。ユメグは、エルパロよりもすぐれた技術であるらしい。エルパロが何かも分からないし、最後のヒガも分からない。


 ただ――ユメグに関しては、既に滅びた生物を復元する術ではないか(恐竜を再生していた痕跡があるのだから)、ウイルスなど、何らかの病原体を生み出す術ではないか、予測手法ではないか(天使も麒麟も神のお告げに関係する存在であることから)、そう言った推測がなされた。


 またエルパロとは、医学関連の可能性があるという研究がなされた。復元する術であれば、人間の遺伝子を操作する事への警鐘、病気であれば直接的に当時の医学で対応困難な疾病の誘発など、予測手法の一例としては、やはり発見不可能な未知の病の可能性等が検討された。


 ――予測手法であった場合は、他にも、洪水を引き起こすような異常気象の観測手法ではないか等の見解もあった。ただし、科学による環境問題の悪化に限らず、キニによっても洪水が引き起こせるという記述を考えると首を傾げてしまう。キニが武器だとすれば、洪水兵器、あるいは気象兵器が存在したという可能性すらあるのだ。


 ヒガに関しては、補足するような情報は、一切無かった。


 一先ずの所、当時の人々は、優れた学識と技術を持つ人々を、神と崇めていた可能性が高いという結論に至った。実際、高度に発展した科学は、神の御業のように見えるかも知れない。


 それにしてもこれらの文明は、既に滅んでいるのだ。

 記述を信じる限り、二つも。

 研究者達は、時折ここまでの出来事を振り返った。


 洪水と箱船の発見――しかも箱船内からは、冷凍保存された『ある意味種子自体』が発見されたわけである。また原初文明の頃にも同様のことが行われていたとすれば、他にも箱船は存在するかも知れないし、その内の一つ、あるいは複数が復元されて、今の世界に広がった可能性もある。


 洪水だけでなく他の災害もあったのかも知れないが、共通していることは、それは、人災でもあるらしき事だ。


 勿論現代に置いても地球温暖化を初めとした異常気象などの問題があり、それが洪水を誘発する例はある。だが、記述でキニを武器と考えるならば、既に人間は、二度ほど武器で文明を失っている事になる。キニとは核兵器もしくはバイオ兵器なのではないかという見解が多く出た。


 だが気象兵器が存在するとすれば、まだ我々が手にしていない、もっと最悪の武器の可能性もある。それも、記述に寄れば、『たった一人で人類を滅亡させられる力』を出せるようなのだ。


 人間は学ばなければならない。


 現在の文明が滅びることを望んでいる者は、そう多くはなかった。滅亡願望を持つ者も終末論者も、世界には少数では無い。だがこの箱船の発見当初、人類が近い将来絶滅する可能性を肌で感じ畏怖する人間よりは、更なる科学技術の進歩と古代研究の促進に期待を寄せる者の方が多かったという事実がある。


 何よりも、この時、少なくとも調査隊やその後加わった研究者は、科学について疑念を持っていなかった。科学こそが、高等な知能を有する人類が手にした、最高の力だと考えていた。仮にその信念が『常識的』とされなければ、解読中に違った見解が出たかも知れない。そう、その後に待ち受ける未来の社会情勢を予見するような。




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