ep97.「そのためには玖珠璃瑠葉が非常に邪魔」


 六月十七日金曜日。午後五時十三分――。


 メッセージアプリで送られてきた住所と地図アプリを見比べながら、とあるアパートに辿り着いた。小さいが綺麗な造りのアパートだ。

 四階の奥の部屋にたどり着いて、


<着いたよ。今からチャイム鳴らします>


 と一報入れてから、玖珠はチャイムを鳴らす。

 さほど時間も経たず、チェーンロックを開ける音がした。中から石橋が顔を出す。


「いらっしゃい。ご足労どうも」

「こっちこそ悪いね押しかけちゃって。お邪魔しますよー」


 玖珠は石橋の家に上がり込んだ。

 狭い玄関に派手なブーツとヒールの靴が目立つ。


<石橋君の家に行って話がしたい>


 とダメ元で送ったメッセージに、まさかOKの返事が来るとは思わなかった。

 今もまだ少し意外に思いながら、玖珠はダイニングテーブルに通される。

 指定された椅子に座る前に、持参したトートバッグからクッキー缶を取り出した。


「はいこれ、駄弁りながらつまむやつ」

「ありゃ、悪いね。お土産なんて。じゃあ玖珠さんは紅茶と緑茶どっちがいい?」

「そりゃ紅茶だよ。名探偵は紅茶の味でその人のトラブルを見抜くんだから――冗談だよその顔やめて。ところで失礼だけどこの家さ、なんかちょっと焦げ臭くない?」

「失礼な上にうるさい奴だな。この前少しやらかして焦がしたんだよ。目を離したすきにね」

「石橋君料理するんだ。あたしチャーハン食べたい」

「ぶぶづけならあるけど」


 言いながら慣れた手つきで紅茶を入れる石橋を後ろから見つめる。

 部屋着らしい半袖のTシャツに、スウェットパンツ。袖から伸びる腕には痛々しいケロイド跡が見えた。傷は最近できたようには見えないので、おそらく数年前――中学時代にでも刻まれたものだろう。

 眼前のダイニングテーブルには、一台の薄型ノートPCが置かれてあった。思わず手を伸ばすと、上からぺしんと叩かれた。

 見上げた先で、トレイに乗せた紅茶を片手に痛い視線を突きさしてくる。


「おい不躾にもほどがあるぞ、人のパソコンを見ようだなんて」

「他ならぬ石橋磐眞のパソコンだからだよ、スリル満点じゃないのさ」

「全くこれだから玖珠璃瑠葉は……。まあいい、お察しの通りでなんだかつまらないけど、僕が君の襲来をわざわざ許してまで話したかったのはこれだ。――だけどその前に君をなじりたい」

「えっ? なじるの? 確かにあたしはスリルが好きだけどマゾじゃないんだ、そこんとこ間違ってもらっちゃ困るよ……あーいや、分かった。何?」


 ティーポットとカップを並べて置き、向かいの椅子に掛けて石橋は問う。


「なんで僕に黙って安斎さんと話したの?」


 しばらくの沈黙が下りた。

 お互い真顔で見つめ合い、先に苦い顔で俯いたのは石橋の方だった。


「……ああ、くそ、今のは言い方が悪かったな」

「そうだね。なんか嫉妬されてるみたいでちょっと照れたよ今のは」

「僕もなんか無駄に恥ずかしくなってきた……仕切り直そう。――僕がこの前、電話であんだけ安斎さんにかかわるなと釘を刺したにもかかわらず、君はきっと学校で安斎さんに近づいて、余計なことを言いまくったんじゃないかと思うんだ。もし違ったら謝るからそう言って。違わないなら謝って」


 やはり石橋は自分を安斎から遠ざけたがっていたらしい。玖珠は予想が当たったことに少しうれしくなった。


「…………いや、だって、気になるじゃないの。あんなに“饅頭怖い”みたいに安斎さんのこと庇われまくったらさ。喜屋武さんのときもそうだったけど、石橋君に止められると血が騒ぐんだよ。他の人に止められるのとはわけが違う。スリルに敏感な石橋君に止められるからこそ、底知れないスリルを感じて吸い寄せられるんだ!」

「で、結果は?」

「ああ、藪蛇なんてもんじゃない。鈴蘭からメドゥーサ出しちまったよ。ボロが出そうで全く出ない。分かるのはヤバい匂いだけ。寄らば斬りますって風な被害者ヅラしといて、寄らなくても斬りつけてくるつもりだ、あの女!」

「斬る時点で侵略者だろ。――いいか、馬鹿メガネ。君にはあまり知らせたくなかったがこうなりゃ仕方ない……」

「今、馬鹿って言った?」


 玖珠の抗議を無視し、石橋が閉じられていたPCを開いた。画面をくるりと半回転させ、向かいの玖珠に見せてくる。

 とある古い新聞記事の、アーカイブが開かれていた。


「これ、は……」


 玖珠は言いながら黙り込み、記事を読み込む。

 ――十年前の事件だ。N県F市の岬にある小さな農場で起きた強盗殺人事件。

 農場を経営する家族が強盗に襲われた。若い夫婦が殺され、犯人の男も死んだ。残ったのは当時六歳だった夫婦の娘と、正当防衛として男を猟銃で射殺した夫方の父――つまり娘にとって祖父にあたる男性――。


「農場の名前は“安斎農場”……おいおい、まさかこの悲劇の幼女の進化系が、ウチのクラスの安斎小蓮だって言うんじゃないでしょうね」

「僕はそうだともうすでに断定してるよ。そこが彼女の古巣だとすればつじつまが合う。F市南中学のギリギリ校区外だし、もしこの子が目の前で両親を殺され、祖父が人を殺すところを見てるんなら、相当なショックだ。メンタル歪むのも無理ないだろう」

「メンタル歪む、か。……ねえ石橋君、一体安斎さんと何を話したの? 出身中学のこととかなんとか、色々話したんでしょ? あたしの知らない間に」

「その言い方だとまるで君、僕と安斎さんの関係に嫉妬してるみたい……いや冗談はやめるよごめん、その顔やめろって。――あー、そうだな。まず何から話したらいいか……」


 真剣な表情で悩みながら、何度か玖珠の顔を見上げては俯き、最後には観念したように石橋は告げる。


「そうだな、要点は二つだ。一つ、彼女は僕に人を殺させたがってる。二つ、そのためには玖珠璃瑠葉が非常に邪魔」


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