ep92.「誰もあの子を理解してない」
六月十六日、木曜日。
いつもなら図書準備室で孤独のランチと洒落込む玖珠だが、今日ばかりはそうも言っていられない。
昼休みに真っ先に教室を出た己斐西の姿を追いかけ、声をかけた。
「やっほ己斐西さん、こんにちは……ってちょっと大丈夫!?」
振り返った己斐西の顔ときたら、酷いクマを作ってメイクもいまいちキレがない。
酷い顔をしていた。
「すごい疲れた顔してるよ、せっかくのキラキラ美少女JKが台無しじゃん! 忙しくても睡眠はちゃんと確保した方が――」
「何の用? 用事あるから呼びとめたんじゃないの」
低く不機嫌な声に気圧されかけ、美少女に冷たくあたられるスリルに少しだけ酔い、自分はマゾではないと奮い立たせて、玖珠は本題を切り出す。
「ええ、と……あのさ、己斐西さん確か安斎さんとそこそこ話すこと多いよね? だから聞きたいんだけど彼女って――」
「安斎小蓮が、何?」
「……気を、悪くしたら申し訳ないんだけどさ。彼女ちょっと変わってるよねって思って。己斐西さんは何か、安斎さんのことで知ってることないかなーとか、彼女に何か変なこと言われたりしてないかなーとか――」
ハッ、と鼻で笑ったかと思えば、嘲笑を浮かべた己斐西にまくし立てられた。
「小蓮がヤバそうな奴だなんて、今さらあんたに言われなくたって知ってる。何、今になって気づいたからって、なんであんたにそんなドヤ顔で詮索されなきゃなの? その調子でみんなにも言いふらす? まるで、自分が第一発見者ですって感じで発明者ぶってさ」
「いやそういうつもりじゃ――」
「はは、もう別にいーけどさ。どーでも。ウチの方があんたより、みんなより、ずっと小蓮と過ごした時間が長いんだから。誰もあの子を理解してない。……ねえ、分かったらそこどいて。邪魔なの。あんたと話すことなんて何もない」
玖珠は思わず言葉をなくし、一切こちらを振り返らず立ち去る己斐西の後姿を見つめる。
周りがただならぬ雰囲気を感じ取ってこちらを見ていた。中にはヒソヒソと話し声が聞こえる。
「災難だったねくすっち」
駈け寄って来た女子グループの一人に話しかけられた。
「え? ああ、いや……はは。なんかあたし、デリカシーないこと言っちゃったみたいで――」
「いやあの子最近ちょっと変なんだよね。ピリピリしてるしクマすごいし、ありゃ相当病んでるわ」
「なんか近寄ったら刺されそうな雰囲気あるからさ、落ち着くまでは、くすっちも近寄らない方が良いと思うよ」
「そーそー。この前だってさ、いきなり安斎さんに怒鳴ったりして。あれちょっと怖かったよね……」
「安斎さん? 何それ、いつの話? 詳しく聞かせてよ」
食い気味になる玖珠に、たじろぎながら女子の一人が答えた。
「昨日の話だよ。ほら、誤作動で非常ベル鳴ったじゃん? あんときさ、唯恋が廊下でうずくまってたんだよね。私も心配で声かけようと思ったら安斎さんが先に声かけてくれてさ、私の出る幕はねえな、って思ったわけ。で、そしたらいきなり安斎さんに向かって怒鳴り始めて。――生理だか何だか知らないけど、ちょっと安斎さん可哀そうだったな」
「どうせ援交上手くいってないからって八つ当たりでしょ?」
「援交ってマジ? でもなんかそんな雰囲気あるわ」
「ちょっちょっ、何その話? なんで己斐西さんが援助交際してるなんて話に発展するわけよ?」
遮る玖珠に、最初に声をかけてきた女子が言う。
「さあ? あたしもよく知らないけど、唯恋がオッサンと腕組んで歩いてんのを河合君が見たって噂で聞いたよ」
まさかここで河合の話が出てくるとは……。
流石に情報量が多すぎやしないか。
「うわお前それはガセだろ。河合君って石橋君に天誅されたばっかでしょ? んな男の話に踊らされんなって」
「あんたも信じかけてたろ! でもまあそっか、河合君なんか胡散臭いし、唯恋もんなことできるほど図太くなさそうだしね…………あれ、くすっちどこ行くの?」
「ああ、ちょっと催してね……」
いよいよ玖珠の覚える違和感が姿を表しつつある。
思えばあのタイミングで石橋に告白したことと言い、喜屋武に監禁されたタイミングで自分の前に現れたことといい、安斎からは妙なニオイがして止まないのだ。
昼休み。
中庭の花壇なら、“園芸部の安斎小蓮さん”がいるに違いない……。
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