ep91.「玖珠さんが賞金用意して二人に殴り合いさせたって聞いたけど?」

 廃ビルから出た時、すでに安斎の姿はもうなかった。


 己斐西は来た道を戻って駅に向かい、自宅方面へ向かう電車に乗った。

 人の少ない車両に隠れるようにして座り、ぼんやりと電車に揺られていた。自宅とは逆方向まで来てしまったから、いつもより降車まで時間がかかる。


 時間があったから、魔が差した。


 以前に石橋から教えられた検索ワードが、まだ検索履歴に残っている。そのとき閲覧した掲示板のまとめページに、最新ニュースをまとめたリンクがいくつかあった。


 ――N県K市で見つかった、自殺と思われる男性の遺体と、彼の鞄から出てきた、身元不明遺体の一部について……。


 実名まで報道されては、周囲の人間も騒ぐだろう。己斐西は地域掲示板へのリンクをタップする。


<××マンションのいけ好かない一家だろ。銀行マンの旦那にあぐらをかくニートもとい専業主婦のバカ女とクソガキが住んでる>

<ビッチ女にマジキチ殺人鬼とかお似合いすぎる夫婦だわ>

<息子がとにかく可哀そうで仕方ない。親ガチャ失敗の代表例>

<でも被害者って結局特定されてないんだろ? 遺体の一部って何なんだろな。そもそも他の部位はどこいった?>

<こいつも被害者の可能性ワンチャンあるだろ。行方不明者と遺体の一部を持った自殺男を結び付けるのが無理ありすぎる>

<情弱か? 鞄から指紋べったりの凶器コレクションが出てきたってニュースに書いてたろ>

<このリンクか? もう404で見れんけど……>

<やっぱビッチ妻が真犯人で確定だろ。旦那に罪を擦り付けて殺した説あるわこれ>


 根も葉もないうわさ話に沸き立つネット掲示板は、いつ見ても不愉快で時間の無駄だ。

 おおよそ真柴に対する誹謗中傷や、事件の真相への憶測ばかりが飛び交う掲示板をスクロールしながら、己斐西の脳裏に安斎の言葉が蘇る。


『わたしのこれまで犯した罪が、これから犯すだろう罪が、もしバレてしまうくらいなら、いっそ死んで全て清算しようと思ってるんです』


 ずっと思っていた。不思議な子だと。

 何をしてもおかしくないと。

 たとえそれが、殺人であっても。


 ブラウザのタブを閉じ、新しく検索エンジンを出す。


 ――鈴蘭。


 植物についてまとめるサイトがあった。

 鈴蘭には毒性があるとのことだ。いわく、“コンバラトキシン”。子どもが花瓶の水を飲んで死んだ症例もあるらしい。

 鈴蘭を育てる安斎の姿と、飼育部のウサギが死んだというニュースが頭の中で結びついた。


 ――これまで犯した、罪。


 安斎は確かにそう語った。

 もしも仮に男が襲い掛かってきたら、自分ならどうしただろうかと己斐西は考える。

 正当防衛になるとしても、人を刺し殺すなどできただろうか。仮に刺した人物が息をしていて、そいつが自殺を試みようとしたとして、それを見届けた後、平然と登校できただろうか。


 そもそも――そもそも真柴は、本当に自殺をしたのだろうか――。

 

 ***


 六月十六日。

 登校すると、クラス内での話題は河合と石橋のことで持ちきりだった。


「河合君と石橋君が殴り合いの喧嘩して停学だって」

「喜屋武さんを取り合って男同士の決闘したんだろ?」

「玖珠さんが賞金用意して二人に殴り合いさせたって聞いたけど?」

「和田君が石橋君に復讐を依頼して河合君がボコられたんじゃなかったの?」


 当てにならない噂が飛び交っている。

 実際に己斐西は、その四人の事件について真相は知らない。


 席につき、ふと、河合に迫られたことが頭をよぎった。

 勝手に河合を軽薄な男だと決めつけ、彼の告白まがいのアプローチを袖にしたが、もしあれが本気だったとしたら――?

 あり得もしないが、妄想めいた考えが頭をよぎった。

 河合は己斐西に迫り、石橋に告白したのかと訊ねた。

 もしも河合が自分に本気だったのだとしたら、そのせいで石橋は河合とトラブルになり、喧嘩になったのだろうか……?


 あらゆるトラブルに目ざとい石橋が停学になって良かったと思う反面、自分のせいで彼がトラブルに巻き込まれたのかもしれないと思うと、また自己嫌悪の波紋が広がっていく。



「――あの、己斐西さん」


 呼ばれて跳ねるように顔を上げると、喜屋武が立っていた。

 己斐西は逃げるように鞄を置いて席を立つ。


「あの、話があるんだ。ちょっといい?」

「悪いけどまた今度にしてくんね? ウチこれから職員室にオープンキャンパスの申込――」

「ちょっと待ってよ」


 廊下まで逃げたところで、追い越され行く手を阻まれる。喜屋武は足が速い。


「まだ二年生だよ、進路にはもう少し時間があるでしょ? ちゃんと話したいんだ。私が、己斐西さんをそそのかして片棒を担がせようとしたこととか、私たちが石橋君にしようとしたこと、ちゃんと――」

「マジでうぜえよなあんた。何、悪いことしようとしたからごめんなさいしろって? あのさ、覗き魔はあっち。確かにウチもあいつに仕返ししようとしたけど、しっかり商談は成立した。ウチらもう両成敗なの。分かる? あんたもそんだけしょげかえってんなら、ちゃんと話し合ったってことでしょ? ならウチらが結託しようとしてたこととか、そういうのもう話す意味ないよね?」

「石橋君との話はしたよ。だけど私たちの話はまだだ。私が、己斐西さんの弱みにつけこむみたいに、自分の私利私欲のためだけに近づいたことを謝りたいんだ。それで――」

「謝ったら解決すんの? ねえ、なんのために謝ってんの? あんた自分がしたこと本当に理解してる? 自分のために人を一人、破滅させようとした。卑怯な手も使ってね。多分これって普通じゃないよ。イカれてる。相当に頭おかしい。社会不適合者ってやつなんじゃない? ウチも、もちろんあんたも」


 酷い言葉ばかりが流れるように口から滑り出る。

 喜屋武は真に受けたらしい。悲しい顔をしてしゅんと俯いた。


 ああ――己斐西唯恋がまた一人、人を傷つけたのだ。


「今さら真人間に戻ろうなんて思わない方がいいよ。こういうやつって、どうあがいても誰かを酷い目に合わせながらしか生きていけないんだから。……それが嫌なら……」


 言いかけて、己斐西は鼻で笑って踵を返した。

 喜屋武はもう何も言わなかったし追いかけてこなかった。本当は彼女を利用したのはこちらだというのに、汚れ役を喜屋武一人に背負わせている。


 廊下の端まで歩いて、階段を上がり、職員室へは行かなかった。

 無人の廊下。

 壁に背を預け、不思議と口角が上がる。もう笑うしかなかった。

 こんなときでさえ笑えるのだから、自分はやはり、どこかがおかしいのかもしれない。


 安斎をあれだけおかしな人間扱いしておいて、当の自分だって、このザマだ。

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