ep32.「この分からず屋! むっつりスケベ!」

「殺される!」


 扉を閉め一目散に逃げ出した。今の喜屋武は今朝の様子と比べても、石橋の想像した以上に怒り狂っている。一体喜屋武に何が起きたと言うのか――。

 走りながら玖珠に電話をかけるがやはり圏外のアナウンスだった。きっと喜屋武の怒りの元凶は玖珠に違いない。学校で圏外と言えばどこだろう。地下か、校舎と校舎の間か、窓のない密閉された場所か、もしくは玖珠のスマホが壊されているか――。


「石橋磐眞ァッ!!」


 背後から喜屋武の咆哮が聞こえる。

 渡り廊下を走り抜け、ひとまず手近な男子トイレへ飛び込んだ。個室へ身を滑り込ませ、鍵をかけるとほどなくして激しい足音が近寄って来た。すぐに扉を叩かれ、ドアノブがガチャガチャと音を立てて乱暴に引っぱられる。


「喜屋武さんここ男子トイレですよ!」

「隠れるなんて愚策よッ! 出てこい石橋! 」

「そっちは堂々としすぎなんだよ! なんだってこんな暴力的なんだ、話し合えないのか僕たちはッ!」


 大声で叫びながら、喜屋武が扉を揺らす音に隠れてそっと窓の鍵を開ける。喜屋武は扉を叩くのに夢中で、こちらの様子には気づいていないようだった。


「抜かせ! お前のような奴と話したってどうせ、上辺だけの言葉で反省したとか言うんだろ! だから私が制裁を与えるんだ。一度痛い目に遭わなきゃお前は理解しない。出てこい石橋、肉体言語だッ!」

「普通に話そうぜ! なあ、君の大好きな玖珠璃瑠葉はどこに行ったの? まさか自分のモノにならないならこの手で……ってやつ!?」


 ダコンッ! 一際強い音が扉を打つ。


「お前ッ――お前のような部外者がッ! 勝手に口を出して良いような話じゃないッ! 邪魔をするな! 私の世界を汚すな! 私が玖珠さんをどんなに愛してるか……!」


 おそらく地雷に触れたらしい。悲痛にも聞こえる喜屋武の怒号の背後で、石橋は慎重に窓を引いて開けた。扉がより一層強く叩かれ――殴られる。

 窓からそっと身を乗り出すと、多少の高さはあるが地面はすぐそこだった。窓枠の大きさも申し分ない。まずは背負っていたリュックを外へ放りだした。荷物の落ちる音をかき消すようにして肩越しに声をかける。


「確かに人のプライベートに踏み入るのは僕の悪い癖だ。だけど自分の愛を押し付ける君も人のこと言えた義理じゃない。なあ、僕らどっちもどっちだろ。ろくでもない奴同士で一度話し合おうよ。きっと悪い取引じゃない。僕は君の害になるような奴じゃないよ、己斐西さんとだって現にもう和解した!」

「和解!? ふざけるな、和解したってんならどうして己斐西さんは今日欠席してるんだ!? どうせお前が己斐西さんの秘密を握って脅迫して、あ……あんなことやこんなこと強要したんだろが!」

「この分からず屋! むっつりスケベ!」


 交渉の余地なし。わめく声を背に窓から飛び降りた。運動不足が災いして足を軽くひねったが、気合と根性で地を蹴った。リュックは後で戻ってきて回収すればいい。今はとにかく、少しでも身軽になって喜屋武と距離を取らなければならない。


 石橋はまず体育館裏の倉庫へと向かった。体育館から出て教室へも戻っていないのなら、玖珠は倉庫にいる可能性が高い。端末が圏外だったことも頷けるし、喜屋武がこんなに怒り狂った出来事がその密室で起きたと言うなら納得だ。

 スリルだか正義だか知らないが、おそらく玖珠が話し合いで喜屋武をこんなに焚きつけたのだろう。余計なことをしてくれたな――。


 上履きのまま中庭を走って体育倉庫へ向かおうとしていると、いきなり足に固いものがぶつかって転倒した。足首の一か所だけが刺されたようにものすごく熱い。転んだ拍子に胸を地面で強くぶつけたらしく、息も詰まってえずいた。


「ったく嘘だろマジかよ喜屋武照沙――!」


 激痛に石橋は思わず吐き捨てる。手をついて上体だけ起こすと、足が何かに掠められズボンが破れているのが見えた。目線を地面に滑らせれば、なるほど、少し離れた場所に一本の矢が刺さっている。どうやら足に刺さりはしなかったようだが、喜屋武の放った矢は正確に石橋の足を掠めたらしい。


「姑息に逃げ回るなんて、やっぱり卑怯者じゃないか石橋……」


 ザク、ザク、と足音を立てて喜屋武が背後から近づいてくる。まさか一巻の終わりか? 冗談じゃない……。

 痛みに混乱する頭で石橋はなんとか言葉を紡ぐ。


「落ち着け喜屋武さん……よく考えろ。いいか、ここで僕を殺してどうなる? 君、そんな若い年齢で前科持ちになるんだぞ? これまで部活も勉強も頑張ってきた喜屋武さんの努力が全部水の泡。将来が台無しだ」

「はは、それなら心配ご無用ってやつだ。幸いにも私は女でお前は男。私がやむを得ずお前を殺さなきゃならない理由はいくらでも見つかるんだよ!」


 始末に負えない。今の喜屋武には何を言っても無駄のようだ。

 立ち上がりざまに地面から石を拾い上げ、喜屋武に投げつけて再び走り出した。駐輪場に面した、校舎と体育館とを繋ぐ長い渡り廊下を走る。


「逃がすか……!」


 かすかに聞こえた喜屋武の声。おそらくまた矢が飛んでくる。

 石橋が走りながら頭を下げると、そのはるか頭上を矢が過ぎていった。まさか、喜屋武に限って誤射などあり得ない――。

 そう思ったつかの間、石橋がちょうど走っていた渡り廊下の端に置かれた掃除用具入れのロッカーへ、ガツンという音を立てて矢がぶつかった。スチール製の扉が揺れて凹み、その上に乗せられていたバケツが落ちてきて、石橋の頭を直撃する。

 この女、狙いが良すぎる――。固いスチール製のバケツが派手な音を立てて廊下に転がる。酷い頭痛と吐き気に襲われ、石橋もその脇に倒れた。

 震える手で渡り廊下のコンクリートを叩き、呻く。


「ほん、とに、こんなとこで……」


 体育館へはあともう一歩。その奥の倉庫へは、叫んで聞こえるくらいの距離だというのに。叫ぼうと喉に力を入れると、今度こそ嘔吐しそうだった。

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