ep24.「何、急に目の前の売春女が哀れになった?」

 高校二年、六月六日、月曜日。

 部活帰りに駅ビル内の書店へ向かった。教室で盗み見た、玖珠の読んでいたSF小説を買いに行くためだ。玖珠が読んだものと同じ言葉や描写が自分の頭を満たすと考えるだけで、喜屋武はいつも少し救われる気がしている。


 ブックカバーを付けてもらった本を手に取り、書店を出ようとした。何とはなしに目を向けた窓の向こう側――ここからずっと下、地上のビル街の隙間に、喜屋武はまたしても汚らしい野郎を見つけてしまった。

 スーツの男がだらしなくにやけづらを晒しながら、隣の少女の肩に手を回している。少女は私服だったが、派手で可愛らしいその顔立ちには見覚えがあった。


 クラスメイトの己斐西唯恋だ。見た目は派手だが愛想があってしっかりしていて、面倒見の良いクラスの人気者。


 己斐西がなぜあんなことをしているのか――理由は喜屋武に想像などできなかったが、大きなショックを受けた。

 そして同時に思った。もしも部活の後輩が同じことをしていたら、自分は絶対に止めるだろう。まだ若く幼い少女が、得たいの知れない大人の男と一緒にいるなんて、何が起きるか分かったものではない。後悔があってからでは遅いのだ。


   ***


 翌日、六月七日、火曜日。

 喜屋武は朝練習を遅れると部員に連絡をし、本を読みながら教室で待った。クラスで二番目に早く登校するのが己斐西だと知っていたからだ。

 目論見通りに己斐西は、他のどのクラスメイトよりも早く教室に現れた。自分より先に登校していた喜屋武を見て少し驚いた顔を見せ、「おはよう」とぎこちなく笑って己斐西は自席に向かう。


「おはよう、己斐西さん。……ちょっといい? 実は昨日の夜、見ちゃってさ。あの――駅前の商業ビルから出てきたところ」


 己斐西に近づいてそう伝えると、彼女は目に見えて絶望をあらわにした。

「ああ」と無意味にうめいた後、椅子にどっかと腰を落として鼻を鳴らし、自棄を起こしたように声を上げて笑い出した。


「ははっ、はははは……やらかしたな……。喜屋武さんみたいな子には理解できんだろーね。先生に言う? それとももう言った? ああ、部活の子に言いふらすか。陽キャ気取った委員長がまさかのパパ活。さぞかしウケんだろーね……」

「え? いや、ちょっと待っ――」

「だけど一応言っておく。ウチにはウチなりの人生計画があって、そのためにやってることなの。あんたが弓道部で熱心に練習して試合出て頑張ってるように、ウチは将来の夢のために、使える手は何でも使って資産をためてんの。お金もそうだし、年の離れた男とたくさん話をして社会経験を積むっていうのもそう。学級委員だって進学のための内申点稼ぎ。分かる? ちなみに汚いことはやってねーし何ならまだ処女だよ、ほんとデートしかしてない。これでも色んなことを調整しながらキワキワのバランスで何とか上手くやってんの。それを正義感だかなんだか知んねーけど、あんたに……部外者のあんたに邪魔される筋合いはねーのよ……」


 己斐西はそこまでまくし立てると、脱力するように机の上の鞄に突っ伏した。

 喜屋武は再び強いショックを受けた。己斐西の話す内容が思っていたよりも理にかなっていて、彼女の強い意志と信念が感じられたからだ。

 己斐西のことを心配して声をかけたつもりだったが、今気づいた。己斐西の今の言葉を意外に思ったということは、つまり喜屋武は彼女を頭の軽い、貞操観念の薄い、金目当てで自分を安売りする馬鹿女だと決めつけていたということだ。


 ……これでは、汚らわしい男共と考え方が同じではないか……。


「……あの……急にごめん。我ながらデリカシーがなさすぎる切り出し方だったよね」

「何、急に目の前の売春女が哀れになった?」己斐西が自棄な声でぼやく。

「いやまだ売春してないんでしょ? それに哀れだなんて思わない。むしろ見直してるところだよ、同い年で将来のことまで考えていて、きっと私なんかより人生経験をたくさん積んでるんだなって……」

「無理して褒めなくていーよ。だって喜屋武さんまじめで潔癖っぽいから、こんなん軽蔑しねーわけねーし、きっと今頃担任にも学年主任にも教頭にも親にも弓道部員にも話が渡ってんでしょ……」

「さすがに渡りすぎでしょ短時間で。まだ誰にも言ってないよ。言うつもりもないし」


 喜屋武がそう告げると、己斐西は拍子抜けしたように目を丸くした。無防備な表情は大変に可愛らしく、喜屋武は胸が高鳴るのを感じた。それに、己斐西がいきなり情緒不安定に落ち込んだり、敵意を向けたりするのも予想外だった。


 もっと毅然として居直るか、どうでもいいとばかりにあしらわれるかと予想していた。随分と――あどけなくて可愛らしい……。


 正直に言えば、少しドキッとした。その心を振り払うように咳払いをして、喜屋武は続ける。


「あのね、くだらない理由で自分を安売りしてるようなら、やめた方がいいって説得するつもりだったんだ。きっと部の後輩が同じことをしてたら、私は必死に止めるだろうと思ったから。だけど己斐西さん、意外としっかり考えていたし、ギリギリのところで自分のことを安売りするのを避けてるみたいだし……。そりゃ、将来の夢に付け込んで若い女の子を搾取するようなオッサンは気持ち悪くて仕方ないけど……でも己斐西さんが自分で考えて決めたことみたいだから、私が口を挟む理由はないよ。出過ぎたことをごめん。昨日のことは忘れるから、己斐西さんも今話したことは忘れてほしいな」


 少し平静を取り戻したのか、己斐西は頬杖をついて小さく笑った。


「へえ、意外……喜屋武さんこーゆーの絶対許せないウーマンだと思ってたよ。意外と話分かんじゃん」 

「あはは、褒められてるのかなそれ」

「褒めてるよ。融通利くんだね、誤算だったわ。へー、でもそーか……。……マジ? マジで誰にも言わない?」

「言わない。言いふらしても私にメリットないし」

「そっか。そりゃそーか。確かにメリットないよね…………喜屋武さんには……」


 ぽそりと呟き、また己斐西が顔を曇らせた。突いた頬杖の手に口を埋めるように呟いた、最後の一言が喜屋武に引っかかった。

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