第四章 糾弾のレーザーライフル

ep21.「もう、始まったんだ……」

 六月十日、早朝。

 自分から言い出した計画が本当に実現可能なものかどうか――それを確かめるために石橋磐眞の靴箱を開け、喜屋武はぎょっと目をむいた。すでに一通の封筒が入っていたからだ。


「もう、始まったんだ……。そりゃそうか、私が言い出したんだから……」


 自分に言い聞かせるように呟いて、足早に廊下の隅で屈み込む。手早く鞄からルーズリーフを取り出し、雑な文面を書き込むと丁寧にそれを折りたたんでから、石橋の靴箱に入れた。

 喜屋武が見た限り、これで二通目の手紙が石橋の靴箱に投げ込まれたことになる。


 *** 


 喜屋武照沙がラブレターを書いたのは、これで二度目である。

 一度目は二年前の秋のこと。中学三年生、文化祭の翌週のことだった。


 文章に自信があったわけでもなければ、字を美しく書けるわけでもない。それでも愛情と、恋い焦がれる気持ちをたっぷり込めて、丁寧に綴った手紙だった。


 ――あなたが好きです。ずっと見ていました。私のことを好きにならなくても良いから、伝えさせてください──。


 いたって自分勝手な、独り善がりの片恋だという自覚はあった。だから受け入れて貰えるとは到底思っていない。それでも喜屋武が心を打ち明ける覚悟を決めたのは、相手の誠実さを信じたからに他ならなかった。

 相手は同じ学年の、同じ性別の女子生徒だった。

 すらりと長い手足や、襟足を少し覆う軽めのショートカットが男女を問わず多くの生徒を魅了した。涼しげな顔立ちは爽やかな美しさを持ち、しかし生まれもってのそのルックスにあぐらをかかず、演劇部員としてひたむきに努力する姿が眩しかった。


 先週行われた文化祭で、男装の麗人を鮮やかに演じたその姿に、喜屋武はとうとう胸の内に秘めていた恋心を押さえきれなくなったのだ。


 きっとこの心は報われなくても、茶化されるようなことはないはず――そう、信じて。


「あのっ――すみません、羽鳥さん。これ……後で読んでください! それじゃあ……」


 ぽかんと口を開けたままの羽鳥に封筒を押し付け、耳まで赤くなりながら喜屋武はその場から逃げ出した。

 喜屋武が教室を飛び出すのと入れ替わりに、数人の女子グループが教室へ入っていった。グループの一人が後ろ手に扉を閉める。喜屋武は廊下に一人、まるで追い出されたようにポツンとたたずんでいた。


 目的は済んだのだから、さっさと立ち去れば良かったのだ。それでもその場から離れがたかったのは、自分がいない場所で、その人がどんな風に振る舞うのかを確認したかったからなのかもしれない。


「えっ喜屋武さんって隣のクラスのあの喜屋武さん……?」


 先程教室に入っていった一人の声がする。嫌な予感が胸を貫く。そうならなければ良いと心底願う喜屋武を、次の瞬間には羽鳥の声があっさりと裏切っていた。


「ねー! めっちゃ意外。でも考えてみりゃあの人、あたしと話す時いやに距離近かったし、そーいやって感じ。まあ驚きは驚きだけどさ」

「うわマジかー。あたし結構喜屋武さんと話すことあったんだけど、もしかしたらあたしもそーゆー目で見られたことあったんかなー」

「確かにあの人、女子とばっか仲良くするもんね。うわそういうこと。はは、ちょっと引くわー」


 これ以上は傷口を広げるだけの行為だと自覚しながらも、喜屋武はそっと教室をのぞき込まずにはいられなかった。

 引き扉のガラス窓の四角形に、白い封筒をひらひらと見せびらかしている想い人と、それを覗き込んで笑う女子たちの姿が見えた。他人の――自分の、真剣な恋心をいともたやすく笑い飛ばしていた。

 打ちのめされる喜屋武の耳に、ダメ押しとばかりに心無い羽鳥の声が嘲笑う。


「でも瀬川に教えてやろっかな。あいつ喜屋武さんのことライバル視してたじゃん? 弓道部の矢島くんが好きだから、美人の喜屋武照沙が近くにいると気が気じゃないって」

「そーだねー、まさかその美人が女好きとは……瀬川驚くだろな。ウケる、反応見てみたいわ」


 様々な色を持つ大きなショックが去来した。

 まずは自分の人を見る目のなさ。人の本気を簡単に嘲り笑い、踏みにじって他人に見せびらかす羽鳥。そんな女に自分は今まで、朝も夜も夢の中でさえ恋焦がれていたというのか。

 次に、自分の学校内での立場が懸念された。“女好きの喜屋武照沙”――そんな噂を吹聴され、知っている人からも知らない人からも偏見と差別の目で見られ、誰ももう、先入観なしには自分を見てくれなくなる。

 

 ――こわい。どうしよう。今からでも冗談だと叫んで教室に飛び込むべきなのかもしれない――。


 視界が滲む。鼻頭が熱くなり、今にもしゃくり上げそうだった。

 震えるつま先を恐る恐る教室の中に向けようとしたとき、耳元に小さな風を感じて顔を上げた。


「…………っ……」


 声を出そうとして結局口を閉じてしまったのは、その子の名前を思い出せなかったからだ。クラスメイトの女子ということは分かるが、喜屋武の目には羽鳥以外の女子がまるで砂粒同然にしか映っていなかった。


 赤みがかったストレートヘアを揺らして颯爽と喜屋武の真横を通り過ぎ、目の前で彼女は引き扉を開け、高らかに言った。


「あのっ、お取り込み中すみません。羽鳥さん今いいですか?」

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