ep19.「こんばんは、ミス・指名手配犯」
「……当てようか。己斐西さんが必死になって、内申点とお金を稼いで叶えたがってる夢」
「は?」
「ネイルアーティスト。だから美容専門学校に通う学費と、進学に手っ取り早く有利になる内申点が必要だったわけだ。――あーでも学費だけなら、あんな手段で手あたり次第に稼ぐ必要もないよな。もしかして、ゆくゆくは自分のサロンを開きたいとか思ってる? いい感じのインテリアに囲まれた部屋でさ、アロマとか焚いて……」
「なっ……何なのあんた、何なの唐突に気持ち悪いんだけど!?」
座ったまま飛びあがって己斐西が叫ぶ。差し出した指が引っ込められる前に、石橋は自分の指をそこにそっと絡めた。
「約束するなら、僕も持ち球は全部捨てておかないとね。――己斐西さんの爪っていつも綺麗なんだ。色は自爪に近いけど、多分ジェルネイルかな。クラスの子のネイル塗ってあげてるの、何度か見たことがあるよ。それから君とは全く系統の違う地味目の、それも男子に対して、指のささくれが痛いってうめいてた時に爪切り貸してあげたこともあったろ? ただ親切だなと思って見てたけど、明らかにその辺で買えるような形状の爪きりじゃなかったから当時は驚いた。ほら、もっとプロ仕様のやつ」
「……あんたほんと良く見てんのな……マジで今鳥肌立ったわ……」
「僕の母がよくやってるから知ってるってだけ。ジェルネイルって大変なんでしょ? ポリッシュと違って爪を一本一本、丁寧に下準備をして、塗り重ねて、根気強くライトで硬化して。気に入らなければやり直し。うちの母はよく言ってるよ、お金があれば人に依頼しちゃうんだけどね、って。――だからその作業を人に代わって請け負おうとしてるのってすごいことだと思う。己斐西さんの夢は立派だよ」
石橋が言い終えるまでの間に、何度も視線をきょろきょろと動かして、最後は耳まで赤くして己斐西は俯いた。それでも絡めた小指を振りほどこうとは決してしなかった。
「……どこまで見てんの、ほんと。マジキモイ。最低。覗き魔のストーカー適正カンスト野郎……!」
「お褒めに預り光栄です、委員長殿。さて、これで僕も約束できる条件は満たせたかな?」
「あークソ、ほんっとクソッ! こんなキモイ奴だって知ってたらあんな約束しなかった! 詐欺にあった気分!」
空いている手で目尻をさっと拭い、「指切った!」とやけくそになって手を振り払い、己斐西は勢いよく立ち上がった。
「バスくらい一人で乗れるでしょ? じゃ、また明日学校でね」
「己斐西さんはバス乗らないの?」
「ウチは電車で帰る。あんたと一緒にバスになんか乗ったら、今度は肘掛けの使い方から電話番号でも言い当てられないから」
「それって僕は何者なんだよ。ていうか駅まで少し歩くけど危なくない? さっきあんなことがあったばっかだし……」
「一人で歩きたい気分なの! それにあそこのスーパーの裏通ったら駅まで直結だし。……じゃ、今日はほんと、色々ありがと。真柴さんのこととか、特にね……」
早口にそう言いながら、歩き出そうとした歩みを止めて己斐西が一度こちらを振り返った。先ほどの取り乱した様子はすでになく、冷静そのもので彼女は訊ねる。
「……今思い出した。あんとき、玖珠さんいなかった? あんたと真柴さんが喧嘩になったとき。あの子の声がした気がしたんだけど」
玖珠が警備員を呼んで仲裁してくれたときのことか――。予想外の名前が出てきたことに驚きながらも、石橋は反射的に首を振っていた。
「……いいや、僕は知らないな。玖珠さんがどうかした?」
訊ねた己斐西の顔色を見てすぐに、不穏な気配がしたのだ。実際に石橋のその予感はあたったらしく、己斐西は返答を聞いて安心したように笑った。
「別に。ただちょっと個人的に、ウチ、玖珠さんのこと苦手だからそれだけ。……じゃ、今度こそバイバイ。また明日ね」
***
「こんばんは、ミス・指名手配犯」
「こんばんは、覗き魔のストーカー適正カンスト野郎」
己斐西が去ったのを確認して、曲がり角の向こう側から玖珠がやって来た。そいつが口にした不名誉な称号を聞く限り、玖珠はこちらの会話を全て聞いていたらしい。
つい先ほどまで己斐西が座っていた方とは逆側に玖珠が腰かける。サイダー缶のタブをやっとこじ開けながら石橋は訊ねた。
「一体なにやらかしてブラックリスト入りしたんだ?」
「己斐西さん? あー……我ながら心当たりがあり過ぎるな」
「じゃあトップ3を見出しだけ」
「……第3位、己斐西さんがチャラそうなのでこれまで経験した修羅場の数をしつこく聞いた。第2位、クラスの伊藤君が半ばストーカー気味に己斐西さんを好きなのはあたしが焚きつけたせい。栄えある第1位、大学生か社会人の彼氏がいるんじゃないかと質問した」
「第1位は地雷に飛び乗ってんじゃねえかよ。……ていうか伊藤君って、先月己斐西さんから爪切り借りた彼? あれ君のせいか」
「いやあたしとしてはさ、ちょーっと伊藤君の背中を押すくらいの気持ちだったわけよ。爪切りは女子にとって命の次の次の次の次の次くらいに大切なマストアイテム。ショートケーキのイチゴ、カチューシャのリボン、テンキーの5番にも匹敵する。それを貸してくれるんだから、君のことはそこまで嫌ってはいないんだろうよ、ってさ」
「伊藤君よくそれで脈ありだと思えたな……」
「ていうか!」
玖珠がこちらを指差し吠える。
「石橋君だって随分とまあ白々しいじゃないのさ。指切りげんまんなんかしちゃってさ。笑わせるね、彼女が絶対の安全を保証してくれるなんてあり得ない。まだ心から人を信頼しちゃいないくせに」
「そりゃそうさ、予防接種が100%じゃないってのは誰でも知ってる。あのとき大切だったのは、己斐西さんが僕に絶対の安全をくれると約束したことじゃない。僕の肩を持ってくれるって約束してくれたことだ。相手はクラスのカースト上位の委員長様だぞ? 味方として正直これ以上はない。僕にはそれだけで十分魅力的な提案だったよ」
「ああそう、君ってやつは身もふたもないんだな。……じゃあ持ち球を全部捨てるっていうのは? あたしが知っている限り――まだ捨てるべき持ち球が電子の海に沈んでると思うんだがね」
ああ、と石橋は声を出してスマホを取り出した。カメラロールをスクロールしながら答える。
「もちろん考えたさ。己斐西さんがパパ活してたときの写真持ってるから今ここで消すね、って言うかどうか。でもあの劇的ダイエットの話を聞かされた後だ。せっかく綺麗に話がまとまりそうなのに、あそこでそんな写真を蒸し返しちゃ、彼女、いよいよ鶏ガラになっちまうと思ってさ……」
目当ての写真を見つけ、タップする。ビルの窓越しに少しだけ映った二人の男女の写真だ。横顔でも分かる満面の笑みを浮かべる真柴と、腕を組んで歩く己斐西の姿。
液晶画面を隣の玖珠にも見せながら、メニューツールを開いた。
「そのために君がここにいるんだろ、親友? 僕の進化と誠実さを見届ける証人になってくれるために」
削除ボタンをタップする。
<ゴミ箱やデバイスからも完全に削除しますか?>
――律儀なダイアログに肯定の意を示し、端末とクラウド上から完全にその写真が削除された。
その光景を一部始終見せられた玖珠が、ちらりと横目でこちらを見る。
「……何?」
「いや……あたしから言っておいてなんだけど、石橋君が本気で心変わりする気らしくてさ……」
「何だよ、気味悪いって?」
「…………その逆だよっ! えらいぞお兄ちゃんっ!!」
「うわやめろそれ、実の妹だってこんな引っ付かねえぞ……!」
へばりつこうとする玖珠を引きはがそうと格闘している間に、眩しいほどのライトを投げ込みながらバスが近づいてくる。
「ほらバス来たから離れろ、おい」
「ざんねーん、帰る方向は一緒だからバスでは途中まで相席だぜブラザー!」
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