ep16.「妄想の中にのみ実在する妹……」

 午後六時を少し過ぎたあたりのこと。


「お待たせー! 次カラオケとかどーよ?」


 出入口に並んだガシャポンを眺めていた石橋が、分かりやすく眉をひそめて聞き返してきた。


「え? カラオケ? カラオケってあの……歌う……ドリンクバーとか頼むやつ……」

「そーだよ、歌って騒いで何か食ったりする、学生の定番の遊び場!」

「カラオケかー……良いけど僕、歌わないからね」

「何のためのカラオケだよ! 大丈夫だいじょーぶ、歌いづらけりゃ一緒に歌ってやっからさ」

「合いの手じゃだめ?」

「だめ。得意なクレーンじゃなくて残念だろーけどさ」


 石橋のような男でも、苦手なことを避けようとするのか。これまで勝手に抱いていた石橋へのイメージが、少しずつ払拭されていた。だが油断はしなかった。先程のように、初対面の茂木にすらずけずけと近づいて懐柔してしまうような男なのだ。


 商業ビルの中にあるカラオケ店でチェックインを済ませ、流行っているアイドルソングを適当に歌い上げる。適当に利かせた己斐西のビブラートに、石橋が適当に合いの手を入れる。こんなにやる気のないカラオケに来たのは初めてかもしれない。

 渋る石橋にマイクを押し付けると、「すんごいマイナーなやつ入れて良い?」と前置きした上で、石橋が歌いだした。


「夢は前にしかない~♪」


 己斐西は思わず飛び上がった。それは小学生の頃からずっと好きなお笑いコンビの、たった一曲しかない持ち歌だった。自分以外にこの歌を知っている人間を知らない。いや、知らないでいたのだ。


「まじ!? その歌入れる人初めて会った!」

「己斐西さんも好きなの?」

「好き! 超好きっ――」


 興奮気味に答えてから、ハッとした。やっと同士を見つけたと思って興奮する己斐西とは裏腹に、石橋の顔はいたって穏やかだった。彼が今この歌を歌ったのは、本当に偶然だろうか。それとも先程の――茂木を一瞬で懐柔してしまったような、狡猾な策略なのだろうか。

 石橋は間違いなく、人を見抜く術を身に付けている。見られたくないところまで見抜いてしまう、非常に不愉快な特技を。

 己斐西の通学鞄には、この歌を歌った芸人コンビのライブグッズがぶら下げられていた。


「一緒に歌う?」

「……いや、ウチはいい。別のにする」


 石橋が歌い終える頃には、すっかり興奮は冷めていた。戻ってきたマイクを手に、また適当なアイドルソングを歌う。テンションの変わらない石橋がまた、適当な合いの手を入れる。


「僕ちょっとお手洗い」

「行てらー」


 部屋を出ていく石橋に手を振って、少し経って扉を開け、男の姿がなくなったのを確認する。

 通学鞄から錠剤の入ったシートを取り出し、そのうちの数錠を石橋の飲みかけのドリンクに入れ、ストローで混ぜて溶かした。己斐西の母親が病院で処方される睡眠薬だった。


「……自分がひん剥かれる側になる気分、味わいな」


 暴力で石橋を黙らせるのは難しいようだから、プランBだ。


 ――眠った石橋の服を脱がせて自分にまたがらせて、写真を撮って彼を強姦魔と糾弾し脅す。


 人の秘密を勝手に暴いて握り込むこの男には、同じ痛みを味わわせてやるしかない。

 己斐西は自分の夢を叶えるため、その障害を排除するための手段は選ばなかった。自分の仕事を知った石橋の口を封じるためなら、犯罪まがいの方法だって取るつもりだ。



 ***



「妄想の中にのみ実在する妹……こりゃ相当痛いやつだなぁー」

「なんて人聞きの悪いことを」


 己斐西といた部屋を出てすぐ、石橋は隣の部屋に入った。中でドリンクを片手にスマホを眺めていた玖珠が、にやにや笑いながら石橋の入室を迎える。


「で、実際どんなトリックさ霊媒師殿? なんであのDQNが妹思いのファッションヤンキーだって分かったんだい?」


 まるでCM開けを待ち遠しく思うような声で玖珠が身を乗り出す。その隣に少し空けて腰を落とし、石橋は答えた。


「ただのラッキーボーイだよ僕は。住んでるアパートのお隣さんが、ちょうどこの前自慢してくれたんだ。娘さんが保育園で作ってくれたんだーって、さっきの彼のと似たようなデザインのストラップをね。思春期真っ只中の高校生が使うには抵抗あるデザインだし、それでもカバンに着けてるってことは、よっぽど贈り主を愛してるんだなって、猿にでも分かる。全くタイムリーな話さ」

「なるほどね。学校でもプライベートでも、人をよく見てるってわけだ」

「見てるよ。人を見ずにはいられない生粋の覗き魔だからな。だから……はいこれ――さっきのゲーセンでのお礼」


 そう言って石橋は、制服のポケットからカプセルを取りだして玖珠に手渡した。ゲームセンターの入口で己斐西を待っている際に回した物だった。


 先程ゲームセンターで両替機に向かった際、玖珠はすでに店舗内に先回りしていた。己斐西と茂木が話していた内容を立ち聞きし、チャットアプリで石橋に密告してくれたのだ。おかげで石橋は茂木に目をつけ、彼の弱点を探り当てることができた。


 玖珠は受け取ったカプセルを捻って開け、機関銃を抱えたネズミのフィギュアを摘まみ出す。


「あー……そういやSNSで呟いたっけな。これ集めてるって」

「被った?」

「いや、まだ出してないやつだわ。――ありがとっお兄ちゃんっ!」


 両手を広げて飛びつこうとしてきた玖珠の頭を押さえる。のけぞりながら石橋はうめいた。


「きっっっつ! 思った以上にきついな玖珠璃瑠葉のお兄ちゃん呼び……!」

「失礼だよお兄ちゃんっ! あ、ほら見てお兄ちゃんっ」

「やめろそれ気持ち悪いから……」


 玖珠が指差したスマホの中で、己斐西が動いた。部屋に置いてきた石橋の鞄――その外ポケットに差し込んだ彼のスマホが、ビデオ通話で部屋の中を中継しているのだ。


『……自分がひん剥かれる側になる気分、味わいな』


 忌々しげに呟いた己斐西が、シートから押し出して錠剤を石橋のグラスに入れた。ストローでかき混ぜてすっかりメロンソーダに溶け込んでしまったのを確認し、己斐西は何事もなかったように再び腰を下ろしている。

 うわ、と石橋が顔を歪める隣で、玖珠が大興奮で身を乗り出す。


「うっひゃー! こりゃなんて事件性の高い光景! スリルが泡吹いて噴火口だよッ!」

「今の何だろ、睡眠薬? 僕いったい何されるんだ。意識を失ったところをボコる? それともひん剥くって言ってるあたり、ヤバい恰好させられて写真に撮られるとか?」

「全裸写真なんてばらまかれたらかなりへこむよねー」

「ねー。あ、玖珠さんこれキャプチャ撮れる?」

「撮れるよー。一応撮っておこうか、さすがに洒落になんないわこれは」


 ふん、と鼻で笑って己斐西は足を組み、スマホを触っている。キャプチャアプリを操作しながら玖珠が尋ねた。


「で、こっからどうすんの石橋君? あたしが見てた限りだと、これを含めて三回は殺されかかってるよ、君」

「信号待ち、ゲーセンのDQN、睡眠薬……僕の命のためにも、そろそろ本題を切り出した方が良いね。多分この後晩ご飯食べに行くだろうから、そのときにでもお互いに腹を割ろうと思うよ。周りに人がいる場所で冷静にね」

「トークショーの内容は脅迫かい? 今のあたしのスクショを使って」


 苦笑いにも、純粋に楽しんでいるようにも見える表情で玖珠がこちらを見た。スリルと同じくらいに正義を重んじていると語った彼女の言葉を思いだし、石橋は肩をすくめた。

 石橋が己斐西の秘密を知ったことで、己斐西はいつか来るかもしれない脅迫のリスクに怯え、謀略を働いた。そしてその事実を暴いた石橋は、いつでも己斐西を脅迫できるカードとしてその事実を利用できる立場にいる――。

 まるで堂々巡りだ。恨みを買うために恨みを買う、不毛な連鎖。


 もっと爽やかにこのトラブルを解決する手段を選んだ方が良い……そう忠告するような友人の顔に、石橋は首を振って答えた。


「いいや。僕が知っている己斐西さんの秘密と、それを握った理由を正直に話すよ。そんで他言しないから意地悪しないでほしいってお願いする。玖珠さんが言った通り、己斐西さんは律儀だし一生懸命な人だ。これまでストイックにプランを練って守ってきた秘密を守ろうと、今も必死なだけなんだと思う。――多分、話し合いの通じる人だ」

「いいね。石橋君、今最高に光ってるよ。正義のための裏表ない交渉――これぞあたしの求めてやまないスリルだ! あたしも最後まで付き合うからね。万が一に交渉が決裂したときは必ず助けるから」

「そりゃ、心強い」



 ***


 午後七時を回った。

 一向にドリンクに口をつけない石橋にやきもきしていた不機嫌そうな己斐西とカラオケ店を出る。


「そろそろ晩ご飯でも食べに行く?」

「え? あー、そーね。ウチが店決めていい?」

「いいよ、行こうか」


 己斐西に主導権を握らせると、案の定ビジネス街のファミレスにつれていかれた。一番窓側の席に座った己斐西は、窓の外を見ながら明らかにそわそわしている。窓の向こうには銀行が見えた。シアンファネリ銀行という、全国展開する有名な金融機関だ。

 おそらくそこが、彼女のクライアント……“パパ”の勤務先なのだろう。


 ――いよいよリーサルウェポンのお出ましというわけだ。

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