ep15.「このッ――ヘタレのシスコンペド野郎ッ!!」
殺すつもりなどないが、痛めつける気ではいる。少なくとも、人の秘密を言いふらす元気を失うくらいには。
午後五時二十分に、駅前にて待ち合わせ――。
それより十分は前に駅を出ると、よく知らない地方武将の銅像の前に立ってスマホを見つめる石橋を発見した。己斐西の人生の障害となる男だ。これからどんな目に遭わされるか知ってか知らずか、阿保のようにぼさっと突っ立って自分を待っている。
己斐西唯恋には叶えると誓った夢がある。
己斐西唯恋は自分が無力であると知っている。
己斐西唯恋は――夢を叶えるためなら、どんな手をも使う覚悟を決めている。人を踏みにじることもいとわない。
後ろ手に拳を握り、一拍。気合を入れてから己斐西は、大股で石橋の後ろ姿に近づいた。
「やっほ石橋君、待たせてごめんね」
「やあ、己斐西さん。僕も今来たところだから……それにまだ十分前だよ。己斐西さんってこういうところ、意外としっかりしてるよね。真面目っていうかさ、学校も遅刻してるとこ見たことないし」
クライアントとの待ち合わせに遅れたこともなければ、学校では無遅刻を貫いている。課題の期限は必ず守り、腕時計の針は常に五分早められている。己斐西は時間にうるさい女だった。
まるで小心者だと言われているようで若干の苛立ちを覚え、己斐西は軽く石橋の肩を叩いて歩き出した。
「意外って何だよ! とりま移動しよっか。高校生らしくゲーセンとかどう?」
「いいね。己斐西さんはゲーセンとかよく行くの?」
「たまにかなー。石橋君は?」
「クレーンで欲しい景品があるときぐらいかな」
駅前通りの地下に、この辺りにしては大きなゲームセンターがある。学生の帰宅ラッシュで人通りの多い街を歩きながら、国道を横切る横断歩道の前で立ち止まった。ちょうど信号が赤に変わった。
車道の前はすでに何十という人が信号待ちで渋滞を起こしている。制服姿の学生が多く、大きな声を出さないと会話が成り立たないから、誰もが大声でがなり立てている。己斐西と石橋もその群衆の一つになって溶け込んでいた。
誰も周りのことなど気にも留めていない。
つまり、今ならいけるというわけだ。
「あっ、なんか屋台やってる!」
大声で車道の向こうを指さし、肩を叩くふりをして石橋を突き飛ばした。交通量の多い車道に、石橋の体が傾く。
哀れな高校生が、不注意で車道に飛び出し不幸な事故に――。
「あぶなっ」
すんでのところで、石橋が脇の電柱に掴まった。がくん、と傾いた体を持ち直し、電柱を支えに立ち直る。
失敗した。小さく舌を打って、わざとらしく石橋の腕を掴んで引っ張った。抗議を受ける前に被せ気味にまくしたてる。
「ごめん大丈夫だった!? ウチとしたことがはしゃぎすぎちゃって……」
「いや大丈夫、気にしないで。そんで屋台ってどれ?」
「え? ああ……ええと、あれ……」
適当に指さした方向には、幸運にも焼き鳥の屋台が確かにあった。嘘から出た誠。不幸中の幸いにほっと胸をなでおろす。
「へえ、己斐西さん焼き鳥好きなんだ。てっきりクレープ屋とかそんなのかと思った」
「あー、あはは。そうそう、ウチ焼き鳥大好きなんだよね。特に砂肝……」
「渋いなあ」
死ぬまではいかなくとも、腕や足の一本でもへし折れて入院してくれれば良かったのだが、そう上手くはいかない。
無傷の石橋と仲良く雑談しながら歩き、難なくゲームセンターに到着した。長いエスカレーターで地下に降りる最中、そこから突き落とすことも考えたが流石にやめた。短い間に二度も手を出してはどんな馬鹿でも察するだろう。
それに、ここに着きさえすればほぼ勝ったも同然である。己斐西はすでに手を打ってあった。
「ウチクレーンでほしいやつあるんだよね。良かったら石橋君手伝ってよ」
「いいよ。じゃあ僕ちょっと両替してくるね」
クレーンゲームのコーナーから離れて、石橋が両替機へ向かう後ろ姿をしっかり確認してから、隣のクレーンの陰に立っていた青年にそっと近づいた。
「さっきもメッセージ送った通り、適当に因縁つけて懲らしめてくれりゃいいから」
目を合わせず、肩越しにそう呟いて視線だけで振り返る。己斐西の声に、青年は粗暴に笑って頷いて見せた。
彼は茂木といって、己斐西とは中学時代から付き合いのある他校の友人だった。ワックスで固めた派手な髪と着崩した制服が特徴の、いかにも素行の悪そうな青年。
実際に茂木は短気で暴力的な性格だが、母子家庭で育った者同士で意気投合し、根は素直なやつだと己斐西は知っていた。
茂木は石橋が去った方向に目を向け、半笑いで吐き捨てた。
「あんな純朴そーな童貞くんをね……。正直こういうのって気乗りしねんだけど」
「予定通り、バイト代は弾むからさ。妹ちゃん誕生日近いんでしょ?」
「あー、それ言われると欲に目がクラクラだ。しゃあねぇ。適当にイチャついてろよ。元カレ設定で割り込むから」
「りょーかい」
言い残して茂木がそっと近くの筐体に隠れた。やがて財布を片手に、己斐西だけを見つめて石橋が戻ってきた。
――近くに暴力的な男が潜んでいるとも知らずに、のこのこと!
「取れたら手数料払うからさ! ほらあれ、あの緑のペンギン!」
「ああ、あれね……」
石橋のすぐ耳元で、「頑張れ」だの「もうちょっと」だのと高い声を出してはしゃいで見せた。度々、肩や背中に体を触れさせてみたが、石橋は全く動じずクレーンに視線を送るばかりだった。こいつには異性に対する興味がないのだろうか。真柴ならこれでニヤニヤとだらしなく笑っていたのだが。
「あ、これいけるな」
「え?」
ぬいぐるみのタグに引っかかったクレーンの爪を見て、石橋が冷静に呟いた。彼の言う通り、あっさりと景品が取れてしまった。まさか本当に、同級生のボディタッチよりもクレーンゲームに集中していたというのか?
「きゃー! マジで取れたすごーい! 石橋君天才じゃねーの!?」
内心で石橋の性的な発育に問題を感じながらも、反射的に人懐っこい笑顔をつくり高い声でほめそやすことは忘れない。ペンギンのぬいぐるみを受け取って「ありがとー!」と抱き着こう腕を伸ばした瞬間、
「金額余っちゃった、ちょっと店員さん呼んでくるね」
またしても己斐西のボディタッチを素通りし、石橋が店員に声をかけに行った。
第三者の大人を呼ばれてしまったせいで、茂木が筐体の陰に小さくなって首を振っている。店員を指差し、手を振る。「無理」のハンドサインだ。茂木は学生には強いが社会人には弱いのだ。
店員と一緒に別の景品が入った筐体へと移動する。後ろを振り返ると、茂木がなんとかコソコソと着いてきてはいたが、その顔に先ほどの威勢の良さはなさそうだった。まさかこの作戦も失敗するというのだろうか。雲行きの怪しさにうんざりする。
石橋は残った金額でプレイしたクレーンゲームで、またもや景品を取ってしまった。自分の情報不足が招いた完全な失態だった。石橋がこんなにもクレーンが得意だと知っていたら、間違ってもゲームセンターになど連れて来なかった。
「あっ、やった取れた! けどこっちじゃない……」
白いレースのドレスを纏ったピンク色のテディベアを握り、石橋が不満げに呟く。もはや感心するしかなかった。
「文句言うなよ十分すごいよ。ていうか石橋君、そーいうの好きなん? なんか意外っつーか……」
「いや、ホントはブルーが良かったんだ。――まあいっか」
立ち上がって石橋がきょろきょろと辺りを探すように視線を動かす。嫌な予感に心臓が跳ねる。
まさか、と不快な汗がにじみ出るその瞬間に、己斐西の思った通り、石橋は茂木が隠れる筐体に近づいた。いきなり標的の方から接近された茂木が、明らかに動揺して肩を跳ねさせた。
茂木を見つけた石橋が、にっこりと胡散臭い笑い方で話しかける。
「こんにちは。いきなりすみません、先週、A保育園に来てませんでした? ほら、園のみんなでプラバンでストラップ作るイベントのとき。あなたを見かけたと思ったんだけどな」
「え――」
茂木のバックパックにつけられた、プラバンとビーズの拙い作りのストラップ。それを指さす石橋に、半ばうなされるような口調で茂木がもごもごと答えた。
「いや……あー、確かに行ったよ。ひまわり組だ。組が違ったのかな、お前のことは見かけた覚えねえけど……」
「我ながら影が薄いからなぁ。ええ、僕は違う組にいました。僕も妹に貰って、部屋に飾ってるんです。さすがに使うのはちょっと恥ずかしいと思ってたんだけど、やっぱり付けてあげた方が喜ぶかな――」
「当然つけてやれよ! せっかく一週間も前から準備してくれてたんだからよォ! 失礼だろォが!」
勢い余って熱弁する茂木に、己斐西は思わず天井を仰いだ。
茂木は今年五歳になったばかりの妹が大好きだ。溺愛している。己斐西のスマホに送られてきた写真は数知れない。粗暴で反抗的で手の付けられない不良と言われる茂木の唯一の弱点が、その妹の存在なのだ。それが一目で石橋にバレてしまった。
もう、茂木は使えない。
石橋は茂木の勢いに若干笑いながら、手に持っていたピンクのクマを差し出した。
「です、よね。良いお兄ちゃんなんだな、憧れます。――あ、そうだこのクマ、小さい女の子の間で流行ってるみたいだけど、そっちの妹さんも好きですか? よかったら貰ってくれると嬉しいんだけど」
「は、マジ? これ妹めっちゃ好きだよ! でもマジで良いの? せっかく取れたんじゃ……」
「うちの妹、ピンクじゃなくてブルーの子推しらしいんですよ。だから押し付けるみたいで申し訳ないんだけど、可愛がってくれる子に貰ってほしくて」
「マジか……じゃあ、ありがと! 絶対あいつ喜ぶよ。ホントありがと……」
「いえいえこちらこそ。良い里親が見つかって良かった」
爽やかに笑う石橋の顔が、もはや己斐西には嫌味にしか映らない。茂木に手を振って戻って来た石橋が、げんなりと腕組みする己斐西を見て首を傾げた。
「どうかした、己斐西さん?」
「え? あー、いや別に……石橋くん案外アグレッシブなんだなと思ってさ。てか妹いたんだね」
「まあね。――それよりごめんね、曲がりなりにも“デート”の最中にほったらかしにしちゃって」
「そーね。マイナス二百点。今んとこ石橋君、不採用まっしぐらだよ」
「あはは、我ながら馬鹿なことしたかも。そろそろ移動する?」
「そう、ね……。あ、石橋君先に入口で待ってて。ちょっとお花摘んでくるから」
石橋を先に行かせて、再びクレーンの筐体が並ぶコーナーへ戻る。気まずそうにピンクのクマを両手で抱える不良少年がそこにいた。
近づくや否や、その目つきの悪い眉間を小突く。
「ボコるどころか仲良くなってどーすんの!? このアホ!」
「だってしょーがねーだろ、まさか妹同士が同じ保育園通ってると思わねぇし。それにこれ、もらっちまったし……」
言いながら、茂木がクマの右腕を持ち上げた。可愛らしい仕草に余計に腹が立つ。
「まさかあんた、これで諦めるとか言わないよね?」
「ああ……悪りぃけど無理。だってあいつ殴ったら、あいつの妹からうちの妹に話が伝わるかもしんねえ。俺嫌だよ、あの子に嫌われんの。それに俺クレーン下手だからよ、これをくれたあいつは恩人だ。――お前も考えなおせよ。何の恨みがあんのか知んねえけど、そんな悪いやつでもなさそーだぜ? じゃあな。バイト代なら要らねえから」
「このッ――ヘタレのシスコンペド野郎ッ!!」
言われもない暴言を浴びせられても、茂木は黙って何も言わなかった。
「……っなにくそっ!」
そう吐き捨て自分を鼓舞し、己斐西は茂木に背を向けた。茂木とは良い友だちだと思っていたからこそ、彼に裏切られた気がして腹が立った。
出入り口へと向かうエスカレーターを踏み付け、地上へと運ばれていくにつれ、少しずつではあるが己斐西は平静を取り戻そうとしていた。
茂木は良い奴だ。そんなやつを巻き込まないで済むなら、それで良いのかもしれない。
……そもそも石橋は何者なのだろう。なぜあんなにクレーンが上手くて、人のことを良く見ていて、社交的で知らない不良に話しかけられるくせに、学校ではあんなに孤立を死守しようとするのだろう。
己斐西の秘密を知っているはずなのに、なぜ今もまだ、それについて触れてこないのだろう。
――噂話の楽しみ方ってよく分からないし、言いふらすような親しい友だちもいないですし。
脳内で記憶の安斎が、寂しそうにぽそりと語る。
もしかしたら石橋も、己斐西の秘密を知ったところで彼女と同じことを言うだけなのだろうか。
今さらイフを考えたところで、この男に下す鉄槌の勢いを緩めはしないのだが――。
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