ep5.「信ぴょう性の欠片もないな……」
“石橋磐眞さん
話があるので放課後、武道場の前まで来てください。”
色気も何もないルーズリーフに、走り書きのように記された几帳面な字。
指定された通りに武道場へ向かうと、先ほどベランダから見えたままの姿で喜屋武が立っていた。
弓道着に身を包んだ喜屋武は、制服姿のときと比べて一層凛として見えた。己斐西とはまた違う華やかさを持つ喜屋武の容姿は、本当にどの角度から見ても美しいと言えるほど整っていた。下の名前は照沙(てれさ)――まさに彼女が一人立っているだけで、周りが照らされるような輝かしい美少女だった。
ただ石橋は、そんな喜屋武の美貌に見とれるような心の余裕はなかった。
「やあ、石橋君。ご足労どうも」
ハリがあってよく通る喜屋武のその声に、石橋は背後の校舎――先ほど己斐西と立っていたベランダを指さしながら訊ねる。
「ねえ、さっき見てたと思うけどさ……己斐西さんが“喜屋武さんが待ってる”って言ってたんだ。どういうこと?」
「ああ。己斐西さんとは互いの平等を保つために、同日に告白すると決めたんだ。抜け駆けなし。私と彼女は言わば、こ、こ、……こ恋、のライバ、ル……ということになるから」
「恥ずかしいなら無理して言わなくても良いよ」
「恥ずかしくなどない!」
喜屋武とは直接話したことなどほとんどないが、彼女が感情的になりやすい人物だろうということは何となく察していた。すぐに照れすぐに怒るタイプだ。
少しでも取り乱した自分を恥ずかしがるように咳ばらいをして、喜屋武は再びキリっとした表情を作り上げて言う。
「さて改めて石橋君。あなたが好きなので私と付き合ってください」
「一応理由を聞かせてもらえると……」
「理由!? 理由かぁ……そうだな……ええと……理屈じゃ、ない。そう――理屈じゃないんです!」
石橋は思わずため息とともに苦笑を漏らした。なんて分かりやすい人だろうか――。
「もしも罰ゲームでこんな悪趣味な茶番をさせられてるんだったら言ってよ。僕適当に話合わせるからさ」
「う、嘘なものか! とにかく付き合ってください! 告白してるんです!」
「いや明らかに無理してるでしょ。こめかみんとこ冷や汗出てるよ」
「えっ」
「いや本当は出てないけど……冷や汗出そうな自覚あるんじゃん。何が喜屋武さんにここまでさせてるの」
「くそ、謀ったな!」
こめかみを触って確かめた手で拳を作り、喜屋武は吠えた。それから石橋に指をさし、宣言する。
「とにかく私は今、告白したんだぞ石橋磐眞! これから部活があるから、返事はあなたの気持ちの整理がついたら聞かせてもらいます。来週とか。――ではな!」
明らかに嘘丸出しの告白まがいの妙な宣言を捨て台詞に、喜屋武は武道場に飛び込んでいった。
つかみどころのない安斎のことと、まるで脚本通りに語るような己斐西のことを思い出す。石橋はこの時点ですでに吐きそうなほどのストレスを抱えていた。
――クラスでも指折りの魅力的な女子生徒が、同日に告白などしてくるか? 答えはNOだ。あり得ない。
「一応帰ったら、遺書を書かなきゃな……」
頭を悩ませながら、最後に残しておいた手紙の場所へと足を引きずった。
***
“石橋磐眞さんへ
これを書いてる今も、胸がドッキドキで破裂しそーに緊張してます。
でも正直に言いますね。えっと、あなたのことがとても気になってる次第であります!
気になるっていうのは、つまりそーいうことです。分かるよね? 分かってください!
とにかく、そーいう意味での告白をしたいので、YESでもNOでも答えてくれるなら、放課後、職員室まで繋がる渡り廊下に来てください。
あなたを心待ちにしてます。
ミステリアスなあなたに恋焦がれる赤いチューリップより♡”
「痰が絡むな……」
咳払いをし呟きながら、手紙に目を落としつつスマホで検索をかける。
赤いチューリップ――花言葉は愛の告白を意味するらしい。石橋はとうとう思いっきりむせた。
靴箱の一番下――つまり最初に入れられたらしい――に入っていた水色の封筒の中には、ピンク地の便せんに、これでもかと丸い文字でそう記されてあったのだ。
石橋がこの手紙を後回しにしたのは、四通の中で最もわざとらしかったからに他ならない。案の定、石橋は渡り廊下で十五分は棒立ち状態だった。待てど暮らせど人っ子一人来る気配はない。
「さすがに一通くらいは悪趣味ないたずらか……」
本当にポツリと、小声でそう呟いた。呟きながらどこかほっとする自分もいた。
むしろ本当に誰かが来ても事態がややこしくなるだけだ。やれやれと石橋がその場を立ち去ろうとすると、いきなり角の廊下から激しい足音が聞こえてきた。
足音はそのまま石橋の立つ渡り廊下まで突っ込んでくる。
「ほんっ――本っ当に申し訳ない! 待たせるとかお前、本気で好かれるつもりあんのかって話だよね……。いやマジでごめん……」
「は……玖珠さん……?」
両手を膝につき、玖珠は必死に息を整えながら石橋を見上げた。玖珠は少し安心したように笑い、一度メガネを外して額の汗を拭ってから再びかけなおした。
アシンメトリーに切り揃えられたボブカットを手櫛で整えながら、まっすぐ石橋の前まで歩み寄って来て告げる。
「はー、はあー…………。ふう。でも告白したくて呼び出したのは本当です。石橋君、付き合って……もらえないでしょうか……?」
そう言ってこちらに手を差し出す玖珠を見つめる。猫背気味だが細身でしなやかな体つきと、それを強調するようにスカートを吊り上げる赤いサスペンダーが、より一層スレンダーな印象を与える。可愛いというよりはスポーティ、もしくはスタイリッシュといった方が適切な外見だ。
手紙の内容を思い出し、目の前に立つ玖珠と見比べて、石橋は心の底から思ったことを口にした。
「ものすごく驚いてるよ……まさか玖珠さんが来るとは思ってなかったから」
「あはは、確かに意外っちゃ意外かもね……。でもさ、去年から同じクラスで、あたし結構グイグイ石橋君に話しかけにいってたでしょ? 二年生に進級してもそれは同じ。君も覚えがあるはずだぜ?」
「まあ確かに、僕が頑なに人見知りしてるのにお構いなしだったよね」
「前にも言ったかもだけど、何で人見知りするのか気になっていっぱい話しかけちゃった! ……多分ね、石橋君が自覚してる以上に、あたしは君のこと気にしてたよ。孤立を選ぶわりにクラス内政治のこと理解して立ち回ってるし、困ってる人がいたら間接的に手助けしてたし。クラスの子からも毛嫌いされてるわけじゃなかった。……なんかさ、自分から上手く影の薄いポジションを狙ってそれを死守しようとしてるじゃん。そういうの、ミステリアスで興味そそられるんだよね」
「そこまで語られるとちょっと照れくさいな……。ああ、でも、ミステリアスってそういう意味だったの? あの一節」
「一節?」
「ほら、手紙の最後の方に書いてあったでしょ? 花言葉が」
花言葉、という言葉に玖珠は一度表情をこわばらせ、次の瞬間にはおどけたように笑った。
「あー、ああ……あれね。そう! ほら、あたし文芸部。だから比喩表現を頑張ってみた感じ。いやちょっと、もうやめてもらっていい? 自分で書いた手紙の内容蒸し返されんの恥ずかしいわ……」
「それはごめん。……ええと、後さ、告白のこともごめん、受け入れられそうにない。玖珠さんとは今まで通りただのクラスメイトでいてほしいな」
「あー、まあそうだよね。いや良いんだよ、気にしないで、モーマンタイ! 好きって気持ちは本当だけど、期待もしてなかったし。宝くじ当たれば良いなー的な気分で告白しただけだし」
「それ本当に好き?」
「好き好き、超好き、愛してるー!」
「信ぴょう性の欠片もないな……」
告白をして断られたというのに、全く落ち込みも恥ずかしがりもせず玖珠は笑っていた。
「いやでも、気持ちを伝えられてスッキリはしてるよ。時間作ってくれてありがとうね。じゃあまたしつこいクラスメイトとして、これからも石橋君にバンバン話しかけにいくね!」
「僕人見知りだって言ってるだろ……」
***
帰宅して一番に、石橋は机の上に四通の手紙を広げて並べた。
まず一通目――安斎がいた化学準備室へ呼び出すものだ。石橋は棚からファイルを取り出し、学級委員の己斐西と河合が作ったプリントを取り出して見比べた。その手紙の筆跡は己斐西のものと同じだった。つまり今日の化学準備室では、己斐西が書いた手紙の場所で安斎が待っていたことになる。
二通目――己斐西がいた図書室へ呼び出すもの。印刷なので筆跡が全く分からない。それに文面も飾り気がなく愛想がない。ハート形には折りたたまれていたが、まるでとってつけたような愛情表現だ。少なくとも己斐西唯恋が書いたようには思えなかった。
三通目――ルーズリーフに書かれた、喜屋武の待つ武道場へ呼び出すものだ。記名も筆跡も喜屋武のもので間違いはない。しかし喜屋武のあの言い方は明らかに嘘っぽい。石橋を何故呼び出したかはハッキリしていないが、付き合うことが目的ではないことだけは明らかだ。
最後の四通目――渡り廊下で待つと書かれた、最も熱のこもったように見える手紙。間違いなく玖珠はあれを書いていない。玖珠は花言葉について言及されて焦っていたし、慌てて走ってきたように見せかけていただけだった。彼女が本当に石橋を待たせていたなら、あの激しい足音はいきなり近くから聞こえたりしないはずだ。
つまり結論として、今日石橋に告白をしてきた四人全員が何らかの嘘をついて近づいてきたのだ。この中の数人のラブレターが入れ替わっている可能性もある上、誰も本気で告白などしていない。
学校で孤立し“ぼっち”と陰で言われ続ける石橋が、なぜ同時に四人の女子から告白などされたのか――すでに心当たりがあった。
口封じだ。
一週間前、六月三日の己斐西と自分のやり取りを思い出す。
――石橋君、ホントにウチのスマホ何も見てない?
「あーあ……やっちまったな……」
石橋が己斐西の秘密を握ったと、先週の出来事で己斐西に勘付かれたのだろう。実際に石橋は昨年から、己斐西が年上の男性と金銭をやり取りする関係だと知っていた。
己斐西だけではない、喜屋武の秘密も知っていた。喜屋武が人目を避けて他の生徒の制服に顔を埋めて、性的に興奮している場面を目撃し写真に収めたことがあった。
玖珠に関しても、文芸部の活動とは別に執筆している、人には言えない内容のWEB小説を知っていた。
安斎については――意外と残虐趣味な貸出記録について知っているが、本当にこれが彼女から口止めのために告白などして近づかれる理由になるかはわからなかった。
石橋は学校内で安全に孤立するために、人の弱みを握れるだけ握っておかないと気が済まない性格をしていた。
いざというとき――それは先週、和田から悪意を持って近づかれたときのように――石橋はその弱みを使って人を脅迫し、黙らせてきたのだ。そうやって平穏を勝ち取って来た。
自分のライフハックとも呼べる悪癖が呼んだ災いだ。
己斐西は月曜日に嫌でも話すことになるし、安斎は分からないことが多すぎる。喜屋武は衝動的な性格なので、冷静に話し合える可能性は低い。
まずは最も有意義な話し合いができそうな、玖珠璃瑠葉から声をかけるべきだろう。
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