外遊⑤

 翌朝──。

 朝食のあとにルッツに稽古をつけてもらえることになった。

 出発までの短い時間の間だけど、何故か隣にイリスも居て、目がキラキラしている。


「私にとってルッツ様は剣聖にも等しいお方。私が剣を教わったのはリディアお姉さまだけど、ルッツ様はアマリリス辺境伯領で随一の剣士として有名だったんだ」


 イリス・ラエヴィガータが言うけれど、王都までその名は届いておらず。

 俺は「そうだったんですね」と答えるのみ。知らなかったからね。

 知ってるのはベローネの祖父で、以前はアマリリス領の領都アストロンで働いていたということくらいだ。

 イリスと隣り合って、ルッツと正面に向き合う。

 ルッツは右手に木剣、左手には小盾を装着──と、ほぼ俺やイリスと変わらない装備。

 剣先を地面について杖代わりにしながら彼は口を開いた。


「それでは、殿下。剣を振ってみてください」


 ルッツの言葉に従って、剣を数振り。


「ふむ。殿下はどなたかに剣を習ったことがおありでございましょうか?」

「はい。ブラン・ジャスマインという女性に教わっていました。それからイリスにも教わってます。最近はあまり教わっておりませんが……」

「そうでございますか。魔力を使わずにここまで立派に剣を振る。たいしたものです」


 ルッツの言葉に反応したのは俺でなく、イリスだった。


「魔力を使わない? それはどういうことなのですか?」

「言葉の通りでございます。我々は無意識の内に魔力を使い、身体を動作を補助させております。権能クラス特技スキルを持つものはそれらが補正して魔力を操り、あらゆる動作を調整してしまう。それでは当人の実力を伸ばすことができず、そのうちに限界が来てしまう」

「クラスやスキルについては聞いたことはある。私も鑑定をしたことがあって、剣士であることがわかった。だが魔法も使えるし、剣を振ることもできるが、限界か……考えたことがない」

「ええ。そうでしょう。特に女性は魔力に長けていて特別な能力を持った実力者が多い。クラスやスキルは万能感を齎し実力を伸ばすということから遠ざける傾向がある。故に魔力を用いずに稽古をする。我がリコリス家では先祖代々、そう教えられてきた」


 ルッツの話を聞いたイリスは腑に落ちない様子。

 しかし、そんなイリスをよそにして、


「時間は有限ですから稽古を続けましょう」


 と、ルッツは言葉を結んだ。

 ルッツの稽古はお師匠様との稽古によく似ていた。

 魔力を使わない体捌き。

 クラスやスキルを利用するとクラスやスキルの研鑽には繋がるが、素の武芸は身につかず、魔力が尽きたときに剣を振るえない。

 お師匠様もそうだったけど、ルッツもそれを良しとしなかった。

 短い稽古の後に、ルッツは


「せっかくですから手合わせいたしましょうか」


 と、最後に誘ってくれた。

 俺は望むところと言わんばかりに「お願いします」と返す。

 準備を済ませ、俺はルッツと向かい合う。

 剣と盾を構えてこれから戦おうという状況。

 審判はイリス。周囲にはヌリア母様など観戦者が俺とルッツを囲う。


「それでは始めッ!!」


 イリスの掛け声で模擬戦が始まった。

 しかし、俺もルッツも微動だにしない。

 ルッツと俺の間を風が吹き抜ける音が静かに響いた。

 正面で剣を構える老齢の剣士。彼の足や腰の動きを注視しながら、間合いを保つ。

 うかつに動けない。

 俺とルッツの間に張り詰めた緊張感に、イリスの額から汗が流れる。

 その彼女が固唾を飲み込んだその音で、俺とルッツは動いた。

 ふたつの踏み足の音が庭で鳴る。俺が一歩早く動いた。近付くルッツに目掛けて剣を振る。

 ルッツはヒョイっと剣を避けて盾で俺を打ち転げさせた。

 勝負あった。

 ルッツは剣先を俺に向けると「そこまでッ!」とイリスがルッツの勝利を判定。


「参りました。あの速さで避けられると俺は手も足も出ません」

「殿下こそ。その若さで魔力を一切感じさせないあの剣撃──素晴らしいものでした。剣士としてこれからが楽しみで仕方ありません」


 ルッツは剣を引いて手を伸ばしてくれた。

 ルッツの手を取って立ち上がり「ありがとうございました」と頭を下げる。


「いいえ。こちらこそ。殿下の成長が楽しみになりました」

「そういっていただけると希望が持てます──」


 ルッツの剣を受けられなかったことを悔やんだが、彼の表情と言葉が俺に光明を見せてくれた。


──俺はまだ成長できる。


 そう思えたのだ。

 だから、俺は、こう返す。


「ルッツ様。またの機会がございましたら、今日のようにお手合わせをお願いいたします」


 ルッツは嬉しそうに「ええ。受けて立ちましょう」と答えてくれた。


 ルッツと手合わせをした後に、俺たちはリコリス領を出発。

 次はアルストロメリア子爵領。

 この辺一帯は古い貴族が多く、ほとんどがピオニア王国建国以前からの歴史を持つ。

 そういった歴史を知ろうにもこういうところに来ないとわからないことが多い。

 前世の俺の記憶──ゲームではピオニア王国の歴史なんて詳しく語られていない。

 設定資料集なるものもあったらしいが、俺(朔哉)はそこまで深くハマっていなかった。

 あくまで母さんの手伝い程度──には行き過ぎたプレイをしていたが、ゲーム外の知識に乏しい。

 王都を出て書物を読ませてもらったのはリコリス領が初めてだった。

 これがこの旅の一番の目的だったこともあり、とても満足。

 また、ここに来たい。

 お師匠様のマトリカライア王国が失われた魔法の歴史を刻んでいるとしたら、このリコリス領は古の武芸を守る小里。

 次はお師匠様と一緒に訪れよう。


「思いの外、良い場所だったわね」


 馬車の中で、ヌリア母様が言う。

 特にお風呂がお気に召したようで、


「リコリスのお風呂はとても良い温泉だったわね。おかげで肌が艶々よ」


 と、満足げに胸元を撫でる。

 俺も良い湯だとは思ったけど、本を読むことが最優先だったので、あまり記憶にない。


「俺も、ここは気に入りました。また、来たいです」

「うふふ。あと二年もしたらサクヤは自由に外遊できるでしょう? ベローネ・アマリリスだったかしら? ルッツのお孫様をサクヤの傍に抱えても良いのよ」


 俺の顔を見て下卑た笑みを見し得るヌリア母様。

 整ったお顔でその顔はエグい。


「彼女はアマリリス辺境伯家のお嬢様。ベローネを迎えればこの辺一帯との繋がりもできるでしょうし、リコリスに滞在しても不自然じゃなくなるもの。良いお話でしょう?」


 女性特有の色香を漂わせて俺を誘惑する。

 考えてみたら、何人もの妾を抱える父上の妻の一人なのだ。

 男とはかくあるべきという考えもあるのかもしれない。

 王位継承権筆頭の俺に対する教育の一環なのかもしれない。

 そうだったら、否定するわけにもいかないのか。


「それはそうかもしれないですけど……」


 歯切れ悪く言葉を濁してしまう。

 この世界は基本的に一夫一妻だったはず。

 ゲームでは一夫一妻だと語られてはいなかったけど父上に妾がいたとか王妃が二人いたとかそういう伏線は存在しなかった。

 もし、作中では語られていないだけで、側妻を持つことが許されるのなら──第二夫人、第三夫人を迎えることができるのなら、この話の流れでエウフェミア以外の妻を娶る話があって然るべきなのだろう。

 俺はまだ十二歳になったばかりでこの国のことを深くまで知らない。

 前世の俺(朔哉)の知識だけじゃなく、俺(サクヤ)はこの世界のことをもっと深く知る必要がある。

 ヌリア母様はリコリスの温泉やベッドなど気に入ったものが多かったから関わりを持ちたがってる──ような気がした。


「まあ、アマリリス──アストロンでも、ベローネを娶るお話が出るでしょうから、ゆっくり考えましょう」


 ヌリア母様はそう言ってニコリとしてみせる。

 馬車から見える景色。北西には真っ白な山脈が連なっていて、あの向こうには何があるのかと思いを馳せた。

 [呪われた永遠のエレジー]の世界ではアマリリス領がスタンピードに襲われるカットシーンでしか見られない山脈である。

 ゲームで行けなかった山の向こうに何があるんだろうか。


 リコリス領の隣に位置するアルストロメリアに到着したのは日が傾いてからだった。

 真っ暗になる直前といったところ。

 当然暗くて辺りが見えにくいから馬車の外では護衛たちが魔法で明かりを灯していた。

 アルストロメリア家の屋敷にお世話になるため、領城前で馬車が停まり、馬車の外からイリスが到着を報せる。


「到着いたしました。既に日が落ちていて暗いですから足元に気をつけてください」


 イリスの声を聞いてから馬車を下りる。

 外は暗い。

 俺はつい、いつものクセで光属性魔法で足元を照らした。


「あら、これはサクヤの魔法? サクヤは魔法が使えないんじゃなかったの?」


 後ろからヌリア母様が見ていた。


「え、あ……はい。俺の魔法です……」

「魔法と言うには、詠唱してなかったわよね?」

「はい。母様。魔法のことはあとでお話しますから、先に下りてご案内に与りましょう」


 下りる途中で足を止めてしまっていたので、ヌリア母様に注意を促して一緒に馬車から下りる。

 俺は魔法を維持したまま、出迎えてくれたアルストロメリア子爵の元にヌリア母様と歩く。


「アルストロメリア城へようこそ。遠路はるばる、このような僻地にお越しいただき、誠に感謝いたします」


 髪の毛が真っ白な初老の男性である。

 隣には奥様だろう。その他に父上と同年代であろう面々。

 それから家人だろう女性たちがずらりと並んでいる。

 俺とヌリア母様はアルストロメリア領城にて盛大な歓迎を受けた。


 食事をして、風呂に入った後にヌリア母様からの呼び出し。

 イリスが迎えに来て俺を部屋から連れ出した。

 若い女性の使用人が部屋にいて少し鬱陶しかったからちょうど良い──とばかりに俺はイリスと一緒にヌリア母様の部屋を訪問。


「疲れたわね。リコリスみたいに適度に扱ってもらったほうが楽だったわ」


 それはそうだけど、リコリス領は王族を歓迎するのに明らかに人が足りない。

 だから、過剰な接待を受けることがなかった。


「ええ。本当にそうですね」


 俺のところには十代半ばくらいの可愛らしい女性が世話係にやってきて俺の面倒を見てくれていたけど、これがまた少しばかり色気が強い装いで居心地が悪い。

 そこでヌリア母様の呼び出しは助かった。

 とはいえ、助かったのはこれだけで、ヌリア母様は俺が魔法を使ったことを問い詰める。


「サクヤは魔法を使えるのね。いつから使えていたの?」


 ついうっかり、魔法を使ってしまったことで弁明はできない。

 諦めてお師匠様から俺でも使える魔法を教わったことを素直に話すことにした。


 全て話し終えると、ヌリア母様は「サクヤが使える魔法を見せてもらえるかしら?」と、そう聞いてきたから、一つずつ魔法を披露。

 火属性魔法、土属性魔法、風属性魔法、水属性魔法の基本四元素と呼ばれる魔法と──。

 光属性魔法と闇属性魔法……。


「詠唱が無いのは違和感があるけど、同じ属性でもスタンリーの魔法より密度が高いのがわかる……けど………」


 ヌリア母様は考え込んだ。


「でも、どうして詠唱すると魔法が使えないのかしら?」


 疑問に思うのはご尤もな話。

 俺も疑問でしか無かったからね。


「お師匠様が──ブランが言うには、俺が詠唱魔法を使うと術式が魔力に耐えきれず破綻するのだそうです」


 それから事細かく聞いてくるヌリア母様に一つ一つ丁寧に答えた。

 この時、俺は考慮するべきだったんだろう。

 ヌリア母様はエウフェミアの叔母で、ネレアの母親だということを──。

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